【本の紹介】社民リベラルとは何か
山口二郎著「日本政治の同時代的読み方」を通じて
朝日新聞社 95年3月5日 ¥1,600円
93年7月の自民党政権の交替前後から、最近まで、よくマスコミに登場する政治学者に山口二郎北海道大学教授がいる。このほと89年以降折々に書かれた政治評論、新聞への論稿などをまとめた本が出版された。私は昨年大阪で山口教授の講演会を企画し、身近に氏と接する機会があり共感するところがあったため、折々の氏の発言には注目していたところであった。この本を紹介することを通じて、「社民リベラル」の政策について考えてみたい。
また、この本を読むことで、ロッキード・リクルート以来の政治改革論議、93年の自民党政治=55年体制の崩壊から細川政権の役割、その崩壊の過程、羽田政権から
村山政権の成立の意味、政治改革の課題、政治と政党、政治家に問われている課題などが提示されている。我々もその動向に注目している社会党の「社民リベラル新党」への移行問題に対しても有効な示唆を与えてくれるに違いない。
護憲から創憲へ_
山口教授を有名にした言葉に「創憲」という言葉がある。自民党は結党以来、憲法9条などを含む憲法の改正、自主憲法の制定なと改憲をスローガンにしてきた。それに対して社会党など戦後の民主勢力は、「護憲」をスローガンを対置してきた。冷戦の時代には、自民党の軍事増強・反社会主義路線に対抗する力を、国民の中にある反戦平和の願い、自民党の増長を押さえる必要を感じる意識に依拠しつつ社会党は形成することができた。山口教授もこうした戦後の護憲運動の役割については評価をされている。しかし、冷戦が終了した時点で、抽象的スローガンである「護憲」運動は、急速にその政治的意味合いを薄くしていった。特に「小沢調査会」が憲法の前文を根拠に、自衛隊の国際貢献=紛争の地への停戦部隊として出ていくことを合憲と主張するに至っては、憲法を守るか、改憲か、が論点ではなくなった。
「‥…禁止型護憲論に自足して、憲法の理想を普遍的な言葉で語り、実践する努力を怠ってきた革新政党や知識人もまた、怠惰のそしりを免れないであろう。・・・今必要なのは禁止的護憲論を繰り返すことではなく、国際社会における紛争処理の後衛としての役割を日本が果たすための制度や組織の構想である。その意味で、戦後憲法に書かれた高い理想と世界の現実をつなぐための新たな憲法の創造、創憲こそが求められているのである。」(1991年5月 「護憲から創憲へ」
村山連立政権党足時の3党合意においても、憲法問題では自民党からも改憲論は出ず、自民党内ですら改憲論は影をなくしている。もはや政治の論点は、「護憲」か「改憲」かではなくなりつつある。今後は憲法に依拠しつつ、社民リベラルという立場が、いかなる点を重点に置くのか、政策展開をするのかが、問われるように思える。特に戦後馳年を踏まえての「不戦決議」の議論を通じて積極的な論戦の展開、具体的な「平和的貢献策」の提案が求められている。
官僚政治から議会政治ヘー
自民党が一党支配を戦後38年間も継続できた理由の中には、弱体な対抗勢力の問題もあるが、官僚制の問題も大きい。政党と官僚が、双方の利害を補完し合い、首相が変わろうと大臣が変わろうと各省庁は自らの利害を確保し、政治家は「族議員」となり、政府予算を自らの支配権益として政治基盤を強化し、政党は官僚層に政治家の供給源を確保する。政党には政権交代が必要で、一方の官僚制には一党支配に従属させないシステムが求められる。こうした官僚たちの権限の縮小、中立化こそ、政治システムの変換に必要だという主張を山口教授は行っている。
1990年3月の「世界」に「政権交代で何を変えるのか」という論稿がある。前年の89年には東欧革命があり、社会主義体制が現実的に揺らぎはじめた。日本では消費税・リクルート汚職など反自民の強まりから、夏の参議院選挙で社会党が躍進し、自民党は参議院において過半数割れを起こしている。まさに政権交代が夢物語ではなくなった時期である。 山口教授は、日本の議院内閣制は、自民党の一党支配システムと結合した極めて特殊なシステムであり、政権交代がないために、与党と官僚制が癒着し、野党がその意味をなさなくなっていると指摘する。89年の参議院における自民党の過半数割れを生みだしたのは自民党支配に対する国民の拒否反応であり、民主主義ポテンシャルの高まりであるとすれば、対抗勢力の伸長という事態になれば政権交代も十分予測できる。その場合を想定して、新政権が「かりそめの多数派」として、「一党支配システムと結合した議院内閣制」という長年のシステムを変革していく構造的政策とは何か、という提起の中で、二つの課題を提示されている。ひとつは、権力をめぐる公平なルール作り、とりわけ選挙制度の改革である。政権を担当する政党を選択することを明確にした選挙制度の改革。第二に政策の立案・実施に巨大な権力をふるう官僚制の中立化のための政策である。
具体的には、情報公開制度、行政手続法の立法、地方分権の推進などで枠をはめ、外からの批判やチェックを容易にすることが必要となる。
官僚の中立化、利益政治からの解放することで、政権交代においても新しい政策の実施にあたって混乱は少なくなるだろう。
残念ながら、自民党の一党支配を崩した細川政権は、国民福祉税問題など官僚主導を断ち切れないばかりか、現在の村山政権においてもこの課題は手が付けられていないように思える。特に官僚に対抗できる政策能力が政党に問われるところだが、政権を取った社会党から連立の枠内にあっても、具体的な政策提起が見えないのはどうしたことか。現在2つの信用組合の救済を巡って、国会は揺れている。大蔵官僚の金融機関との癒着も暴露されている。金融機構の揺らぎに対して、大蔵主導ではない金融政策はいまだ明示されていないように思える。官僚依存からの脱却は村山政権になって逆に強まったとの批判もあるが、この面での後退は、改革の看板を降ろす結果にもなりかねない。
小沢一郎について
細川、羽田、村山と一年半の間に日本は三つの政権を生みだした。良くも悪くも小沢一郎という名前がつきまとってきた。小沢一郎論もまた、本書の随所に展開されている。
「国際秩序の維持はすべてアメリカに任せて、経済発展に専念し、それによる財の分配に終始してきた。野党の言い分も聞きながら、予算をできるだけ公平に分配すれば済んだ。その談合が政治のすべてだった」(『日本改造計画』)と小沢は戦後自民党支配を総括し、強い権力の創出と責任の明確化のために内閣制度や選挙制度の改革を提唱し、国民自身の選択による政治的リーダーシップの創出を主張した。談合政治の生み出す政治の停滞、国民の政治離れへの批判について共感するところがあるとしつつも、戦後政治への断罪と言いつつ、戦後の平和をまるごと否定しようとしてる印象を多くの国民に与えている事実、また「一国平和主義」から抜けきれない日本列島改造論ばりのばらまき政治を主張している点に対して、「外では国際貢献を行い、内では列島改造流の利益散布型を行うというのは、・・・かつての自民党の包括政党路線の亜流でしかない。・・・戦後政治の中で本当に反省すべき点は何かと問われれば、経済の量的拡大を自明の価値として考えて、安易な公共事業を垂れ流すことで国土を破壊したことこそ第一の過誤ではないか。」と批判する。
さらに「普通の国」の問題について。「小沢の用語法に従えば、普通の国とは軍事面も含めて国際的公共財の提供に必要なコストを分担する囲を意味するわけであるが、軍事的実力の面でどれだけ参加するは国によって大きく異なる。・‥‥・今の対外政策論議こ必要なことは、国際的公共財の提供に対する日本独自のスタンスを明確にすることであり、とりわけ実力組織によるコミットメントの上限を明らかにすることではなかろうか。普通の国と言う言葉は依然として曖昧なシンボルであり、この言葉を開いて日本が軍事介入の泥沼に引き込まれるのではないかという危惧を多くの人が感じるのは当然であろう。」と批判し、平和に安住した国民に国際貢献というけじめを訴えることはできても、行き着く先の不安を拭う事はできないという。
小沢については、永田町の論理という業界のルール破りと言う意味で、学者や政治家にはその「優秀さ」は理解できても、国民には「危ない政治家」としか映らないのではないかと指摘し、「得たいの知れなさ」の故に、小沢グループは公明党と共に「拒否政党」になる可能性も残されていると指摘している。
「いずれにせよ、彼の普通の国に対抗する国家像とビジョンを打ち出す政治勢力を構築し、権力をめぐる競争を作り出すことこそ、21世紀に向けた我々の課題である」(『THIS IS 読売』」1994年3月)
社民リベラルが生き残るために_
羽田政権当時、短命政権に終わることが明白であった時期、細川・羽田と続いた連立政権のもとで、新・新党の動きが進んでいたが、この時期の論稿に「社民リベラルが生き残るための四つの政策」(エコノミスト 94年5月)がある。
政界再編論議にふれて、「普通の国」とか「きらりと光る」とかのスローガンの競争に事欠かないのだが「政党再編成が政策や理念の分水嶺に即したものになるかどうかは、政治家や政党が社会における利害村立を発見し、それを争点化できるかどうかにかかっている。」とし、欧米の様に政党の政策が明確な場合もあるが、経済成長や教育の大衆化、生活水準、教育水準など平準化が進んだ日本の社会では政党間の政策対立を生み出すような社会実態を見つけることは‥・・‥一見むずかしいように思えるが「ただ、地方分権、福祉、環境、減税などどの政党も等しく主張するスローガンを現実の政策として制度化していく過程では、必ず様々な利害対立が起こる。・昔のイデオロギー対立と比べれば選択の余地は狭まったものの、…・・・対立の選択の契機は残るのである」と、政党の政策能力の向上が求められるとされる。
その上で、日本における社民リベラル勢力の政策について4つの問題を提起する。
★基本理念については、民主主義の再生である。腐敗政治からの決別、官僚支配から脱却した政党政治の確立、地方分権が不可欠。効率のための地方制度改革ではなく、民主主義の学校としての地方自治の強化という発想が必要。
★内政では洗練された福祉国家の構築であり、採用試験型公共サービスから資格試験型公共サービスの提供、拡充である0このためにはコストをめぐる合意も必要となる。
★外交では護憲のバージョンアップ。反対・阻止型の受動的護憲運動ではなく、憲法の理念を実践する積極的な護憲運動が求められる。具体的には軍事面ではなく環境保全を通じた国際貢献という武村ビジョンの具体化、人的貢献の検討。国連の新しいイメージとPKOへの日本の役割の上限の提示など。
★リーダーシップについて、政治家のリクルートシステムの確立を上げている。社民リベラル勢力にとってもっとも欠けているのはシンボルとなるリーダーであるとし、新しい政治家のリクルート、発掘が必要だとしている。
あくまでも政治学者の見解である。現実の政治、政党運動は残念ながらこのような方向には動いていないように思える。社会党は、「95宣言(案)」を出して、参議院選挙前の「民主リベラル政党」への移行を打ち出してはいるが、私のエリア大阪で見る限り、こうした政党再編成に向けた議論はまだ着手されていない。統一地方選挙で手一杯というところもあるが、手遅れにならないうちに、国民に分かりやすい社民リベラル路線の確立が急がれる。
(95-03-12 佐野秀夫)
【出典】 アサート No.208 1995年3月18日