【投稿】ロシア人の宗教意識とオウム真理教

【投稿】ロシア人の宗教意識とオウム真理教
                               鈴木 太

ゴールデンウィークに10日間、ロシアのサンクトペテルブルグ市を訪れた。主目的は、学術研究のための資料収集であったが、研究対象がロシアの社会・文化であることから、ロシアでも耳目を集めているオウム真理教の周辺事情にも大きな関心を寄せた。特に、信者数が3万とも5万とも言われており、これだけ多くのロシア人が、しかも短期間に(モスクワ支部開設は1992年)この宗教に惹かれた要因に関心があった。
訪れたペテルブルグでは、意外にも、オウムへの関心は低く、友人らとの会話の中でほとんど話題にのぼらなかった。おそらく、騒ぎの中心地モスクワと、教団の支部はあったものの裁判沙汰になるような揉め事が(現在までのところ)生じていないペテルブルグとでは人々の関心のレベルが違うのであろう。もちろん、直接・間接にオウムに関与した人にも出会えなかった。したがって、ここでは、現地の新聞記事等をもとに、この宗教が多くの人を惹きつけた背景を垣間見ることにしたい。
ロシアでは1988年に、国の伝統宗教であるキリスト教(ロシア正教)がロシアに伝わって1000年目を祝う「キリスト教受洗千年祭」が国家的行事として催され、宗教の復活を国内外に印象づけた。さらに90年には、新たに宗教活動の自由を保障する法律が採択され、宗教の復権は確固たるものとなった。
こうした宗教自由化の流れの中で宗教への関心が高まり、1992年に行なわれた大規模な宗教意識調査(筆者も関係している)では、その間に「神を信じる」者が3倍に増え、無神論者が急減したことが明らかにされている。しかし、こうした現象をさらに深く分析した種々の研究を見ると、事態はかなり複雑であることがわかる。宗教への関心は確かに高まっており、伝統宗教であるロシア正教や他宗派の信者も増えているが、その一方で、神は信じるが特定の宗教は信仰しない者、また神は信じないが何か超自然的力を信じる者も急増しているという。特に後者は、1970年代後半から高まりはじめた東洋の宗教やオカルト、占いなど神秘的なものへの人気が現在も衰えていないことを物語っている。確かに占星術の類は人気があり、現地のテレビや雑誌などでこの種のコーナーをよく見かけるし、東洋の気功やヨーガなど、科学的な医療を否定するような健康法への関心の高さも出版物の多さからうかがえる。
ここにあげた今日のロシア人の宗教意識の2つの特徴、つまり東洋的で神秘的なものへの関心、特定の宗教を信仰しない傾向が、今回、オウム真理教がロシアで多くの人を惹きつけた遠因になっている。ある地方紙は、ペテルブルグに住む元信者の入信のきっかけを次のように紹介している。
「アレクサンドルがオウム真理教に入信したのは、まったくの偶然であった。昨年の夏、彼はラジオのチャンネルを回していると、ラジオ“マヤーク”でオウムの宣教番組が流れているのを聞いた。声の主は、オウムの教義を知れば、完全な内的自己浄化によって超能力を得ることができることを聴者に約束していた。以前から東洋の精神的自己完成法に興味をもっていたアレクサンドルは、この放送を聞くやいなや列車の切符を買いに走り、モスクワへ向かった。モスクワの支部で会員証を受け取った彼は、一旦はペテルブルグに戻ったが、数日後にはモスクワのセミナーに参加していた」。
この男性のように、東洋の精神性への関心からオウム真理教に入信したケースとは別に、真の生き方を求めて入信した例もある。
マーシャは、日本でいえば中学校を卒業したばかりの16歳の少女。彼女はちょうど一年前に、テレビでオウム真理教の番組を見て入信、すぐにモスクワ支部に移り住んだ。彼女は6歳で母親を亡くし、父親も不幸な人生を送っている。「どうすることが人間にとって正しい生き方なの?」。その答えを与えてくれたのがオウムであったと彼女は言う。
この少女がオウム真理教のどこに惹かれたのかは詳らかでないが、前の男性のようにその属性(東洋的ということ)が大きな役割を果たした可能性は少ない。したがって彼女の場合、他の宗教に頼ることもありえたはずである。また、ある資料が伝えるところによると、オウムの信者の多くはロシア正教の洗礼を受けており、教会にもよく通っていたが、オウム真理教で初めて求めていたものを得ることができたという。これらの事実を考えあわせると、オウムが多くの信者を獲得した背景には、特に伝統宗教でありロシア人に受け入れられやすいはずのロシア正教が人々の心をとらえきれていない現実がある。このことは、特定の宗教を信仰しないというロシアの宗教意識の特徴にもつながる問題である。
このように、ロシアにおけるオウムの進出には、ロシア人の精神的、心理的状況にマッチした手法がとられている。しかも、こうした活動が、政府の手厚い保護のもとで行なわれているのが特徴である。ロシアには外国のさまざまなカルト教団が進出しているが、
このような特別待遇を受けているのは、オウム以外にはない。ロシアの社会状況を考えると、この理由は、よく言われているように、ロシア高官への多額な献金であることは、確かなことであろう。
ソ連邦の崩壊とともに始まった、オウムのロシア進出と、オウムの軍事化と変質の間に深い関係があることは、客観的に見て明らかであろうが、これを推進したオウムの情報収集の正確さと戦略の巧妙さには驚く外はない。今後、こうした問題が解明されるならば、我々が、予想もしていないような実態が明るみに出されるかもしれない。(5月13日)

【出典】 アサート No.210 1995年5月20日

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