【討論】1995年7月参議院選挙結果は何を意味しているか
7月23日の参議院選挙結果から我々は何を導き出すべきか。アサート編集委員会(在阪メンバー)と投稿等でお世話になっている読者も参加いただき、7月30日に参議院選挙結果をテーマに討論会を開催しました。以下はその要約です。
(文責 編集委員会 佐野)
<感想>
【非常に疲れた選挙だった】
A:たくさんの問題があると思われますが、まずそれぞれの関わり方から感想を述べていただきたいと思います。まず私の方ですが、労働組合の立場で大阪選挙区選挙に関わりました。大阪の選挙区は谷畑議員が衆議院に替わるということになり、候補者選びが難航。1カ月前に福間みね子に決定。結果として「無党派」狙いの候補者だったことが裏目にでて、比例区の社会党票の2/3しか取れず、新進、共産、自民に負けたわけです。
労組の立場で言えば、社会党は最後まで動かなかった。金属、自治労、全逓などは比例区候補と持つ労組が主体の選挙だった。それでも末端までは固めることはできなかった。社会党議員は社会党の選挙だと思っていなかったようだ。非常に動きが悪かった。結果は言わずもがなと言える。新進党はダントツで、その辺の評価は非常に苦しむところだ。全体的には非常に疲れた選挙だった。
また旧来の社会党支持労組・団体の中で問題を残している。消え去る社会党とは言え、解放同盟などの新進党よりの動きには、労組の中で違和感を与えているのは事実だ。
B とにかく無関心、燃えない選挙だった。自分自身統一地方選のあとということもあり、今までの主体的な関わりに比べて、無関心だった。投票率が低く、組織票が前に出た選挙だった。気になるのは、新進党と社会党との関係、解放同盟がかなり組織的に白浜に流れた。これまでの社会党系労組の組織票が固定的になっておらず、タガがゆるんできている。今後の政治と労組なり、解放運動なりの大衆運動との関係の枠組みが流動的になっている。大阪の民主主義運動と政党との関係が見えなくなっている。新進党票の半分以上は学会票ではないだろうか。公明ということならこんなにはとれなかっただろう。今後の小選挙区制の衆議院選挙なら組織票が決定づける。私は以前から小選挙区制反対だが、危惧していたことが、無関心層の増大というかたちで出てきた。
C 新進党が1250万票とったうちの、600万から700万が学会票だと言われている。
E 私は結果をみて、2つの点に関心がある。1つは、従来の大衆運動団体と既成政党との関係が再編されている、ギクシャクしているということ。ただ、私はあまりその点には興味がない。2つめは、投票率が45%ということで、今の政治のシステムに参加しているのはこれがマキシマムだ。政令指定都市とその周辺が非常に低い。30%台である。これだけしかくくっていない政治の中で結果を出せば、組織票の棲み分けはある程度すんでいるので、こんな結果だろう。政治というものをどういうシステムにしていくのか、どういう統治のありかたにしていくのか、根本的な再生を打ち出していくようなことがないと、今の既存の枠の中で政策を掲げて闘っていくのでは、もはややっていいけないのではないか。大きな新たな日本社会の統治のシステムをどうしていくのか、を展望して政策を打ち出していく新たな政治勢力がでてこないと再生できないと思う。
F このメンバ-のなかでは一番現場のしがらみがない私だが、なんとか投票にはいき社会党-福間に入れた。前回のアサ-トにも「悩み」を書いたが、現場でがんばっている先輩がいろんな動きを見せる中でどう考えていけばいいのか、いまだに悩んでいる。結果は投票率が低いときにはこんなものかなと思う。いわれている「無党派層の増大」も、これまでの浮動票がふえただけのことではないか。消費税の時には社会党にいき、新党ブ-ムの時には新党にいき、今回はネタがなかったのでいかなかっただけではないか。次のネタは何かということが問題だ。新進党も内部的は公明との関係でややこしくなりそうだし、社会党はますます民主リベラル勢力の結集が敗け続きの中でしんどくなるだろう。どうすればいいのか、あい変わらず悩みはつきそうにない。ふと気が付けば自分自身が無党派になってしまっていた。
E 既成の政党が、理念、利害、大事にすることという政党の基礎になる違いがわからないから選びようがない。保守的な人からすれば、今の自民党は社会党に加担しているように映るし、従来の社会党支持者にすれば、自民党にとりこまれていて、社会党に投票することが自分の考えを表明することにはならないという構図になっている。新進党は何をしたいのかわからない。自社へのアンチということになる。こんなことでは壮大な金をかけて何をやっているのか、全然わからない。非常に危機的で、政治が本質的なところで機能していない。選挙結果で違いなり、政策の変化が出てこない。結果のもたらすことが、政権の行方と党の役職人事だけである。
【新進党は躍進したのか】
C 客観的なデ-タで注目しておくべき点がいくつかある。新進党が比例区で1250万票、得票率で30.8%獲得しているが、93年7月の衆議院選挙の新生党、公明党、民社党、日本新党の合計した1887万票より630万票減っている。得票率は30%である。0.8%あがっただけ。投票率が低かったので議席を多く獲得できた。
もうひとつ、共産党は今回前進したと赤旗では評価しているが、得票率は前回の92年に比べて7.9%から9.5%にあがっているが、前々回395万票で今回387万票で絶対的な票では変わっていない。公明にしろ共産党にしろ、ほぼ確定的な固定票がそのまま移行しているだけで、投票率が下がるから相対的にあがっただけ。選挙区でも共産党は前々回536万票だったのが今回431万票に減っている。が、得票率は9.4%から10.4%に1%あがっている。選挙後の日共常任幹部会の声明では、「・・・我々は前進した。これに勇気づけられて・・・」と言いながら、「・・・これまでにない広い人々が初めて日本共産党への支持と投票に踏み出したこと」と言っているのは、先の分析で見れば嘘である。決して無党派層からとったわけではない。また「今回の参議院選挙で赤旗読者の陣地を前回より後退させたままで闘わざるを得ませんでした。・・・後退の危険な状態にあります」ということで、新たな読者が2万で、やめる人が2万以上あるという中でとった票だいう分析を一方でしている。公明、共産の固定票の評価については、厳しい見方をしておかなければならない。投票率については、まだ下がる危険性があると思う。平均で30%台にいくのではないかと。こういう不明確なままでダッチロ-ルしていくのであれば。アメリカの先の中間選挙も36%だった。非常によく似た状況にある。共和党が改革を掲げて、クリントン政権に巻き返している。投票率が下がれば、新進党の単独過半数もあり得るという危険性も十分にみておかねばならない。
【低投票率は政治システムの危機】
E 投票率はこれから新たなことがない限り上がることはない。もっと下がっていく。都市部では先行している。票の後退性の問題で、後退の少ない固定票のあるところが浮上している。権力の正当性が問われているという根源的な危機だ。そういう選挙総括を訴える政党がなぜないのか。自分の党の勝った敗けたではなく、日本の政治システムの一種の危機なんだと。社会党は、社会党の危機を日本の政治システムの危機に置き換えればよいのだ。そういう訴え方をしないと。そうすれば新党論議もバックグランドを持った話と受けとめられる。共産党も勝ったといっているようではダメだ。新進党は勝ったというが、勝ったということに未来を感じない。45%の割り振りでは伸びない。やはり残り55%から新しい政策を打ち出して、いくら取ってこれるかだ。
G 投票率という点では、今回は参議院選挙という自分とは遠い存在だという意識があるのではないか。誰に入れて誰がなっても自分の生活には関係ないという意識があるから低いんだろうと思う。うちの市でいうと、市会議員選があって、市長選があって、府会議員選があって、府会では敗けてということで、非常に疲れているときに参議院選挙があって、「福間?誰?」という感じになった。ただ、危機だといわれているが、政治をやっている人は危機だと思わなければならないだろうが、市民のレベルではそんなに危機とは思っていない。私もそんなに危機かなあという気がする。新進党が増えてどうなるのかといっても、新進党が何を主張しているのかわからない。感覚的に「小沢、公明がいやだなあ」ということはあっても・・・。しらけているというよりも、今はこれでいいんではないかという意識の方が強いのではないか。私は組合の役員をやっていて、多少政治にかかわっていて、今の状況はぼろぼろだなとは思うが。組織で票をとっていく時代から、個々の価値観で考え、投票しようと・・・。
無党派と言いわれているのは、青島・ノックの時からで、それまでは無党派ではなかった。政党がみんな敗けたということで、都民や府民が「変えれるんだ」ということに気付いたんだと思う。参議院は誰に入れても変わらないだろうということから、この参議院というのはまだまだ総括しにくいんじゃないかという気がする。共産党も、本当に勝ったんなら、世の中もっと変わるはずだ。よく勝ったなどと言えるな、恥ずかしくないのかなと思う。今回投票にいった人は何かで利害、関わりを持った人がいっただけ。政党より国民の方が前にいっている。衆議院になると、もっと身近になって投票にいくんじゃないか。利害代表の時代は過ぎているはずだが、やはり利害代表になっている。どう考えても連立の時代になっていくだろう。価値観を持っているいろいろな政党が出てくるだろう。
H 自分のまわりでも投票に行かなかった人が多い。地域でも意志一致がされなかった。行かなければという熱意がなかった。何かあれば、残りの55%に火が付けば、一気に変わるんじゃないかという気がする。
【社会党に危機感はあったか】
A 大阪の参議院選挙では、もともと社会党は6年前の谷畑選挙以外は本格的な選挙にならなかった。今回も候補者選びの遅れもあり、まず労組が前に出る選挙になった。一時は旧総評系だけで選挙が出来るというスッキリした気持ちもでたが、労組票というのももはやあてにならないな、という感じだ。全逓と全電通が社会党の支持団体から抜ける。自治労も今年の秋の大会で社会党一党支持をやめる。週刊誌によれば、自治労の後藤委員長が「さきがけを中心としたリベラルをつくる」と言っているそうだ。自社政権が過渡的なものといいながら、当面維持し続けているわけで、そのケジメのなさが、社会党支持層にはわからない。左派は嫌いだが、自民党はもっと嫌いだから。
C 信組、大蔵省の問題で、さきがけが票をとれなかったということと、野坂建設相の長良川の問題で、どちらも自社政権でありながら、本来発揮すべき重要な役割の時に何もできなかったという両党に対し、あきらめというか阿呆らしさというか、投票に行かなかった人が増えただろう。中村敦夫は当選してほしかったが、東京ということで信組問題の影響をもろに受けた。社会党も長良川では100万票逃げたと言われているが、どんな解決をするにせよ、ああいう格好でしか野坂が言えなかったというのは大きく響いた。
【無党派層は無責任層(?)】
B 辛口の発言をさせてもらえば、無党派層という問題について。先ほど進歩的というような発言があったが・・・。政党政治の危機というのは私も賛成だが、我々が評論家的に論じるだけではなく主体的にどうするのかを真剣に考えるなら、新しい政党がでてこなければ、と言っても仕方がない。現状においては自社と新進党の2極なのだから、この2極の中でどういう選択肢がありうるのか、よりましなより民主的な政府とは何かという真剣な議論をしないと、どこがやっても一緒、だから無党派層がでてきたんだ、白けているその人たちの方がよく考えているんだという言い方は、マスコミチックな過大評価だと思う。
正直に言って、現実のこの枠組の中で新党をつくらなければというのであれば、どういう新党をつくることができるのかということを真剣に考えざるをえない。民主リベラルと言うのであれば、どういう運動をすすめるのか。確かに社会党系の労組は、社会党支持をやめつつあるが、民社党系の労組も新進党支持とリベラル支持と2極化がすすんでいる。双方歩みよっている世界がある。アンチ公明も含めて・・・。労働者の立場から労組としては主体的にどういう政権ビジョンを描くのかというのをもう少し具体的に考えていかないとだめである。それが少なくとも責任ある労組の立場だろう。
もうひとつ、無党派層は確かに、浮動票といわれている時からその時々の情勢に応じて動いてきた。消費税反対の時は社会党に入れたし、既成政党反対の時は青島・横山を当選させた、かと思えば投票しない無関心層として登場する。マスコミは過大評価するが、これは批判すべきだと思う。投票にいかなかったこと、関心がなかったことが、あたかも政党が悪いからだということだけで済ませているマスコミの無党派層の持ち上げに対しては、「無党派層は無責任層」という評価をきっちりとすべきであろう。
政党政治の危機ということで、新しい政党論が言われているが、もうひとつ言わなければならないのは、今回の結果をそのままもってくれば新進党が大勝利になる小選挙区制という選挙制度そのものについての問題も、しかたがないということではなく、より民主的な意見が反映される民主システムとしての選挙制度は何が正しかったのか、あの時の政治改革路線は正しかったのか、自己批判的な総括も含めてきっちりすべきである。従来自分たちがやってきた議論に対しても、責任をもった議論の上に立って、今回の選挙総括をすべきである。
E 政権ビジョンという言葉があったが、一番私が気になっているのは一体何をしようという政権ビジョンの中身である。対立点と言われている国連の常任理事国になるとかならないとか、そういうレベルのビジョンではなくて、自分の生活との関わりの中で政治がどういう役割をしてくれるのかということと選挙との関わりがどうなっているのかということがはっきりしていかないとわからないではないか。何のために選挙をやっているのか、争点になっていない。選挙制度だけではなくて、もっと広い意味で今の政治のしくみがそれを争点化しにくいのであれば、違うかたち、私は地方分権しかないと思うのだが、地域に市民の政府をつくっていくんだということを本当に今はっきりと打ち出していくようなことがないと、逆にもう見えてこないんではないか。
【論争無き政治・政治でいいのか】
B それは全くそのとおりだと思う。要するに無党派層は無責任層であるけれども、政治を肌に感じないという日常生活と政治との隔たりがあると思う。それは政策での論争があまりにも無さすぎるということで、政策と言えば、昔は安保で最近ではPKOだとかかなりイデオロギ-チックなことを政策ぽく言ってきた経過があるから、環境の問題にアプロ-チできるのはどういうことなのか、高齢者介護の問題をどうするのかといった政策ビジョンをきっちりと議論を出しながらの選挙運動になっているのか、そうはなっていない。抽象的になっている。そういう政策ビジョンを議論しにくい選挙制度が非常に問題だと思う。立会演説会がなくなっているとか・・・。選挙制度だけに責任を負わせられないとは思っている。利害の問題で言えば、サラリ-マンの利害と農民の利害は違うし、商工業者とも違うだろうし、すべてを包含するようなことを言おうとするから政党に対して「ええことばっかりいいやがって」ということがあるのではないか。もっと具体的な勤労諸階層のある一定の部分の利害を代表する政党がもっとあってもいいのではないか。どこに依拠した政党なのかということを言わない政党が多すぎる。きっちりと言うことが、政党に求められているという気がする。
【社会民主主義と新保守主義と】
C 言わないというよりも、新進党にしても自社にしても、社会民主主義と新保守主義との対立があるとすれば、両方とも同じものを抱えているわけである。新進党も社民的なものがあるから一定の労組が支持するが、新進党の主流が新保守主義であることは間違いないわけである。自社の方も、社会党はやはり社民勢力だが、自民党もリベラルな部分もあれば保守反動的な部分もある。これが両方で闘っていて、対立軸が明らかにならない。とすれば、社民の側はもっとそのスロ-ガンや地方分権のことをはっきり出すべきなのである。出さないまま突っ込んでいくから、どうしても大衆のものにならないのだ。
E 既成政党の枠組みの中で、どうやったらガラガラポンができるのか。何かあれば保・保連合の話がでるが、早く保・保でくっついたらいいのにと、当面の政党再編のスパンでの関心はそこにある。まずイデオロギ-の混在状態にあるのを、すっきり縦に線を入れたい。そのためには極がしっかりしないと後が集まりにくいので、自民党の渡辺の勢力と小沢の勢力がちゃんとくっついてほしい。根が同じ人たちの勢力が。戦後50年決議のように戦争観・歴史観の問題とか、小さい政府論でいくとか、そういう新保守の人たちが高らかに旗を振ってくれないから、後がすっきりしないという気がする。小沢の日本改造論は評価している。日本の保守政治家でああいう理念的なものを先に出したということで、中身の賛否はともかく、あれを軸に色分けがされればすっきりとしていた。
B 地方分権で言えば、消費税が定着したというのなら、インボイスにしてきっちりとって、地方の財源をはっきりさせてというような政策をはっきりと出さないとダメだ。連合が民主リベラルというのであれば、そういう具体的な政策でいわないとダメだ。今は避難場所として民主リベラルが言われている。連合がいうのであれば、もっときっちりと出すべきだ。連合自身があいまいに出している。村山政権の不信任ということで言えば、具体的に政策ビジョンをどこも出していない中での組織票の強いもの勝ちという結果だから、不信任はされていない、ただし信任もされていないというのが率直なところだ。信任、不信任を問うような選挙の実態ではなかった。現状の政治状況をただ単純に表しているだけのことだった。
【介護保険:社会保険か租税方式か】
E 私はこの間アサ-トで地方分権の問題を書いてきたのだが、もうひとつの問題意識は大分こだわって書いてきたのだが、介護保険制度の問題である。最近になってようやくマスコミがいろいろと書いている。今の政治改革の問題というのは、中央官僚を中心とした政策決定と議員を中心とした政党、政治とのバランスの問題というのが隠れた問題としてある。介護保険制度の導入を柱とした老人保健福祉審議会の中間報告を参議院選挙が終わった後に出しているのだ。では参議院選挙で政党の側は、公的介護という21世紀の高齢社会を支える根本的な政策の柱となる課題、租税方式でいくのか、社会保険方式でいくのかというのは国家ビジョンとしてすごく大きな争点だったはずなのだが、結局何も言っていない。社会党は含みのある言い方で「介護保険制度も含めて検討する。介護体制を充実するシステムをつくる」と、さきがけが結構断定的な言い方で「介護保険制度を導入する」と、自民党や新進党となるといまいちよくわからない。たぶんみんなよくわからない中で選挙をやっているのだ。それぞれ詳しい人はいるのだが、党全体の認識として詰めた議論をしていない。
北欧の社会福祉制度を研究していて、日本の遅れを指摘し充実を訴えてきたオピニオンリ-ダ-の人たちは、今やみんな公的介護保険導入の旗振りをしている。共通しているのは、リアリズム、現実主義なのだ。結局今の政治に対し、北欧型の租税方式でやるのはとてもじゃないが間に合わない、そういう政治勢力もないし、合意形成もできない。だから、社会保険方式でいくのだと言っている。展望もないのに租税方式でいけというのは無責任だといっている。私に言わせてみれば、社会保険方式でいくにしろ、医療保険制度自身が多くの問題を抱えている上に、屋上屋を重ねれば大変なことになる。決して国民の理解も容易にならない。確かにスウエ-デン方式が日本で難しい事情があるというのは正しい。ただ、この日本の難しい理由を変えることこそが、今の日本の政治が抱えている本来解決すべき課題であると思うのである。それは逆に、21世紀に向けて本当に急速に高齢化が進んで、それをどうするのかという時、後押しされている時でないと、政治というものの根本的な変革はできないと思うのだ。今の政治の現状で言えば、確かに租税負担方式でいくのは難しい。だから社会保険方式のように、より合意形成が簡単で、現状に修正してできるようなものにしたらというのは、福祉関係者の発想だと思う。
私は逆に、だからこそ、それをバックにして、その必要性を背景にして、むしろ政治の方を変えるという芽をどうつくるのかという発想になる。そのひとつの枠組みとして地方分権の問題があり、硬直した予算配分の問題があり、消費税といった間接税の税率の問題がでてくる。段階税率を採用して、インボイス方式を導入して税の透明感を増して、間接税を高くして、そして福祉を充実するというのが社民路線のはずだから、新党という以上は税財源論と地方分権をセットにした政策、福祉・地方自治のシステムをパックにして打ち出さなければならない。そうやって打ち出すと、新保守の人もそれへの対抗軸で競争原理、自助努力を打ち出して、争点化ができるのではないだろうか。
(残念ながら会場の都合で討論はこのあたりで打ち切りとなりました。本日(95-08-06)時点では政局は、自民党内部の総裁選絡みの抗争と内閣改造に焦点は移っています。この討論で今回の参議院選挙の大きな問題点については明らかにされているように思います。引き続き9月号でも、読者の皆さんの討論を受けて議論を続けて行きます。積極的な投稿をお願いします。(佐野)
【出典】 アサート No.213 1995年8月11日