【投稿】ヒロシマの地に立って思うこと

【投稿】ヒロシマの地に立って思うこと
                <<ヒロシマのメッセージとフランス核実験>>

「被爆50年」「戦後50年」・・・「50」という数字に押されて、今年の8月6日は、大阪でなくヒロシマで過ごさなくてはという思いが、日に日に強まり、日帰りの旅となった。4日前に友人に知らせると、「組合の動員?」と役員をしている私の立場を思いやって聞いてくれた。連合の平和集会のことも、心の片隅にはあったが「50年」の今年こそは、仕事や立場から少し離れて一個の人間として、ヒロシマの地に立って考えてみたかった。
新大阪駅の待合いのソファに腰掛けているとき、「8時15分」になった。ヒロシマに向かって黙祷をした。広島に着くと、すぐ市電で平和公園へ。資料館は8月6日に限り無料であった。地下1階の壁に展示してあった「ひろしま21世紀へのはがき;一人ひとこと-未来に残そう市民の声・伝えよう私たちの思い」の数々が目を引いた。今年4月1日から7月15日までに届いたはがきを、年齢別に貼ってあったが、60台70台の人たちの多くは、小さな字でびっしりと思いを綴っていた。中には16枚も繋げてあるはがきもあった。これらはすべて資料館に100周年まで保存されるそうなので、私自身も平和な21世紀を願って、置いてあったポストに投函した。
被爆したアオギリの横で、車座になった人々に「おばちゃんはね、、、」と語っておられる方に見覚えがあった。沼田鈴子さんだ。ベンチの下に置かれた松葉杖。戦争が、原爆が、21歳の女性から左足のみならず青春のすべてを奪った。戦争の愚かさ、原爆のむごさが、多くの語り部たちによって伝えられているのに、今また、「核実験」を強行しようとする国がある。冷戦時代は終わり、地球規模で平和を考えていかなければならない時に、「なぜ?核」「どうして?実験」、憤りとともに人間の愚鈍さが痛烈に胸を突き上げてくる。フランスの発表に機敏に反応したオーストラリアの首相はさすがだ。村山首相にももっと敏感になって頂きたい、唯一の被爆国ニッポンの首相として。抗議の国会決議で済ませず、「大使一時召喚」ぐらい本気に考えてほしい。「戦後50年決議」も一生懸命やったわりには評判がよくない。連立政権は気苦労が多いとは思うが、村山首相には社会党党首として「平和の問題」については有終の美を飾って頂きたい。
私自身は、署名運動はもちろん、当面は個人でもフランス製品不買をする決意だ。戦後原水禁運動が、東京の一主婦の呼びかけからスタートしたように、出発はいつもささやかである。「禁」と「協」が、「連合」と共に話し合いのテーブルについたように報じてあったが、「50年」を境目にしなければ行動できない狭さを相互に猛省したい。
今回の短い旅の終わりに立ち寄った「広島市現代美術館」(比治山公園)の展示作品「ヒロシマ以後-現代美術からのメッセージ」は、強烈であった。建物もアートそのものでよかったし、8月6日にふさわしい作品の数々を丁寧に集められた方々の熱い思いが、ひしひしと感じられた。1995年8月6日、ヒロシマの地に立って思ったことをこれからどう肉付けするか思案しながら、比治山を下りた。
(田中 雅恵)

【出典】 アサート No.213 1995年8月11日

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