【本の紹介】投票率の低下と民主主義
『アメリカで「革命」が起きる ワシントン解体を迫る新ポピュリズム』、
ケビン・フィリップス著、1995.6.9発行、日本経済新聞社、2300円
<<「議会制民主主義へのサボタージュ」>>
今回の参議院選挙で、投票率の低さ(44.51%)が民主主義の危機として大きく取り上げられている。投票日翌日7/24、日経紙一面の「敗北した民主主義」と題する論説はその中でもなかなか刺激的である。編集委員の田勢氏はその中で「有権者の政治意識はもはや「怒り」というような生易しい段階ではなく、二人に一人が投票を拒否するという議会制民主主義へのサボタージュとなって表れた。事態は深刻である」、と注意を喚起している。歴史の教訓はこうしたサボタージュの結果が何をもたらしたかを明らかにしている。「ドイツでワイマール共和国がわずか14年で崩壊し、ヒトラーの登場を許したのも、わが国が太平洋戦争への道をひた走ったのも、政府が機能せず、国民の意思表示がなかったためだ。民主主義は戦わなければ守れない。歴史はそのことを教えている」と氏は強調する。
「民主主義は戦わなければ守れない」、確かにその通りである。さらに言えば、「民主主義は戦いとる」ことこそが重要であろう。しかしそれは様々な分野で多種多様な形態で、より広範な人々の積極的な参加を得て、闘われていることが前提であろう。ドイツナチズムと日本軍国主義の台頭を許した歴史的な反省と教訓は、戦後50年の今日においてもまだまだ汲めども尽きせぬ重要な諸問題を提起しているといえよう。議会制民主主義の空洞化とそれに照応した投票率の低下もその一つである。
田勢氏は「政治が人々の心を捕らえることができないのは世界的な傾向だが、欧米先進各国に比べても今回の参院選の投票率の低さは異常だ」として、米大統領選挙55.2%(92/11)、英総選挙77.7%(92/4)、仏総選挙68.9%(93/3)、等を上げて日本の投票率の異常さを指摘している。確かに今回の参院選の場合、一部では有権者の一桁台の得票だけで当選していることを考えれば異常である。これを「無党派層の増大」で片付けるのではなく、なぜこのような事態がもたらされているのかを明らかにしていくことが問われているといえよう。
<<米中間選挙との共通性>>
しかし田勢氏は上げていないのであるが、昨年94年11月に行われた米中間選挙の投票率は、38.7%に過ぎなかった。これでも最低の投票率ではなかった。政治の閉塞した状況が続けば、日本でもまだまだこの程度までは投票率は下がるのではないだろうか。すでに都市部では30%台の投票率になっているのである。しかもこの米中間選挙は、今回の日本の参院選と状況に多くの共通性を持っている。どちらも半数改選であり、現政権にとって初めての国勢レベルでの選挙であった。そしていずれも野党側が大きく躍進した。その結果米議会では、40年ぶりの共和党の上下両院支配という新しい事態が出現し、クリントン政権は少数与党として再選基盤が大きく損なわれ、改革の姿勢も右往左往せざるをえない状況に追い込まれたのである。
ここに紹介する表題の書名はやや誇張した感を与えるが、原題は「傲慢な首都--ワシントン、ウオール街、アメリカ政治の欲求不満」である。訳者(日経編集委員・伊奈久喜氏)によれば、アメリカでの「革命」は、1776年の独立革命であり、その革命思想とは、人民が政府を倒す権限を持つとするジェファソニアン・デモクラシーとも呼ばれる考え方である。本書で著者がポピュリズムと呼ぶものである。
著者はこの昨年の米中間選挙について次のように述べている。
「94年11月の選挙に関する最初の警告は、幻滅したアメリカの選挙民の極端な気まぐれである。投票者はもはやワシントンも、共和党、民主党の二大政党制も信頼していない。大統領就任式から18カ月たった民主党のビル・クリントンは自分の信頼度、再選への支持率が30%に落ちるのを見た。11月8日、彼は大量の不信任票を突きつけられた。
下院で53議席、上院で8議席減らしたのだ。新任大統領が、議会で自分の党がこれほど多くの議席を失うのを見たのは、1922年のウォーレン・ハディング以来である。」
<<「新たな第3党」への期待>>
なぜこのような事態になったのか。著者はこれについて、「政治家たちはひとたび選ばれてしまえば、ただ表面的な改革に取り組むだけだという教訓は、アメリカだけでなく、日本やその他G7諸国にもあてはまる」と述べ、さらに「アメリカ政治に於ける4回の地滑り現象のどれもが、権力を持つ政党、大統領に対するリアクションだったことを明らかにしている。つまり野党の特定のテーマに対する支持というよりも、不況、スキャンダル、戦争、市民の不安に反応したものなのである。共和党は今回は状況が違うと強調してきた。・・・ビル・クリントン、民主党、ワシントンへの反対票は、・・・共和党の「アメリカとの契約」を実際に支持したと主張したのである。しかし1994年のタイム誌、CNNの調査によれば、共和党支持者ですら、投票者たちが共和党のプログラムに対する支持に動機づけられたとは信じていない。
まず多数の投票者は、新たな共和党議会がただいつもと同じ政治を演じているだけだとの考えを表明し続けている。新しい時代の到来を見る人はほとんどいない。・・・95年3月のタイム誌の全国調査によれば、アメリカ人の56%は依然として新たな第三党を望んでいた」ことを明らかにしている。
さらに著者は、日本語版への序文の中で「勝利者たちが騒々しく変化をがなりたてた。しかし主な現実はといえば、特殊利益グループにカネを迫り、その言い分を立法化する政治家の一団が一方から他方に変わったに過ぎない。ただ今回は、立法者も利益グループ側もより保守的で経済界寄りになった。日本の読者は、このパターンをありふれたものと思われるかもしれない」と実に皮肉たっぷりに共通した特徴を指摘している。
<<「90年代に関する予測」>>
著者は主要国に共通する政治の閉塞状況と動脈硬化を歴史的に分析しながらも、にもかかわらず長期的な政治変化の可能性に大きな期待と現実的な可能性を寄せている。著者の「90年代に関する予測」は以下のようなものであるが、日本にとっても多くの共通性と示唆に富んでいるといえよう。
・ワシントンに対する軽蔑(他国では首都への軽蔑)は、政治、統治機構の改革への主要な力であり続けるだろう。
・政党の基盤は侵食され続けるだろう。他のG7諸国と同様、アメリカにも新党が現れるかもしれない。しかしこうした新党が民主党や共和党のような規模に達するとは考えにくい。
・次の十年間のうちには無所属の大統領の登場も考えられる。
・次の十年間のうちにはアメリカの代議制は、もっと直接的な参加型デモクラシーになる可能性が大きい。ある状況においては直接投票によって投票者に州と国の法律を作らせる。市民に電話、郵送、コンピューターによる投票を許す。全国集会を開き、投票者を代表するグループが主要問題を議論する。そして多分、上下両院議員がワシントンの本会議場にいるのを求められるよりも、選挙区の地域、州から投票あるいは立法を行うことができるようになる。技術の変化により、こうしたことがすべてぐっと容易になるだろう。
・こうした変化が広範に起きれば、アメリカの選挙における投票率は、大統領選挙50-55%、中間選挙36-38%という現在の低水準から跳ね上がるだろう。またそれが起きるのは、有権者全体があまり裕福ではなく、中間層への傾斜も少なくなり、保守的でなくなっている時だろう。・・・この現象は、2000年、そして新たな千年期が近づいた時に一層鮮明になるだろう。
参院選や日本の政治状況を振り返って、多くの共通性と同時に刺激的な問題提起を与えてくれるのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.213 1995年8月11日