【本の紹介】『赤い月 阪神・淡路大震災 鎮魂の歌』
盧 進容著、1995.7.27発行、学習研究社、1200円
「赤い月
為すすべもなく ただ呆然と
涙流れるままに 夜を仰げば
燃えさかる 炎を前にして
そこに 赤い月
アボジ オモニ
泣き叫ぶ父と母
娘四十を越え 初めて授かった孫
その二人が 炎の中にいる
ぼくの同級生が そこにいる
崩れ落ちた 家の中で
ひと月に なったばかりの命
発するその泣き声が 尽きた時
炎は 二人を襲った
ああ 赤い月
マナコ
涙かれた 彼女の眼なのか
涙うるむ その子の眼なのか
今、泣き叫ぶ 両親の眼なのか
この光景を見て
異国の月も 充血しているのか
気のせいではない 決して
そこに 赤い月 」
詩集の冒頭に掲げられたこの詩「赤い月」が、あの大震災から二週間ほどたった「筑紫哲也のニュース23」の中で神戸市長田区の焼け跡から放映されたそうである。私は残念ながらその場面を見ていない。しかしこのテレビ放映を見ていた学研の編集者・田中奏生氏がこの詩に感動されてぜひ「詩集を出したい」と連絡を取られ、奔走された結果、長詩『大震災』を含むこの詩集が出版の運びとなった。その感動がひしひしと伝わってくる詩集である。
著者の盧進容(ロ・ジンヨン)氏は、「第二の故郷は?」と聞かれれば「神戸」と答えるほどの人であり、長田区の市営住宅の12階で被災され、灘区の両親の家に避難されているという。
長詩『大震災』の最初のほうで、
「今 ひもとかれる話
長田の町 ここから始まる
国際都市 港町 この神戸にあって
その華麗さとも美しさとも
かかわりがなかった町 庶民の町
最も被害が甚大であったところ
まさにここ長田から始まる 」
と書き出されている。事実、長田区は最大の震災被害を受けたばかりか、その後の火災規模でも燃え尽きるに任せられるような状況であった。その中で多くの人々が炎に飲み込まれ、今でもその傷跡は生々しい。その怒りと悲しみがこの詩集には凝縮されている。 しかし盧氏は、その長詩の「結び」の中で
「だがひとびとよ
生き残った兄弟たちは
幾日か地を叩き ただ泣き叫んだあと
その悲しみをそっと深く胸にしまい
生き残った日本の友人たちも
幾日か頭をたれ ただむせび泣いたあと
むしろ手に手を取り 耐えている
むしろ互いに助け合い くぐり抜けていこうとする
おなじ苦痛 おなじ悲しみを
そしてわたしたちは
汚名を着せられることもなく
怯えもなく 街に出る
そして日本の友人たちは
流言蜚語もなく
竹槍を手にすることもなく 街に出る
まさに 七十二年前のあの日とはうらはらに 」
と、あの関東大震災時との違い、助け合いと交流、希望と愛が歌われている。
しかしあれから早や八ヶ月が過ぎ、「喉元過ぎれば・・・」で、あの震災が問いかけたものが軽視されたり、忘れ去られたりはしていないだろうか。本質的なところで事態は本当に前進しているのであろうか。その後の政治が取り組む姿勢一つを見ても、なんとも歯がゆいばかりか、住民不在であり、自治と参加、分権と共生は未だ遠しといった状況である。その後もあちこちで震度4規模の地震が頻発していることからすれば、この詩集が、そしてあの阪神大震災が提起した課題の重さが、広く深く受けとめられる必要があるのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.214 1995年9月22日