【投稿】河口堰を監視続けよう!
「11/5 開け!河口堰 長良川監視DAY」報告
貴重な連休(11月4・5日)を長良川で過ごしてきました。「本格運用」が始まった長良川河口堰を前にした伊勢大橋上流の河川敷には、昨日からキャンプを張っているスタッフ、参加者の色とりどりのテントの屋根が続いています。
河口堰はすでに「ダム」として水門を上げて約1.5Mの落差で水を貯め始めています。用水としては、導水路もないため全くの無意味そのもの。汽水域であった漁場を分け隔てて、生態系への深刻な影響のみをもたらしつつ。
今年の「NAGARAGAWA DAY」は、監視することがキーポイントです。5月の野坂建設大臣による「河口堰の本格運用決定」によって、サツキマス、天然アユ、そしてヤマトシジミにどんな影響が出ているのか、「監視」を続けること、決して長良川河口堰問題は終わってはいないことを運動の側が示していくことが課題でした。
4日朝に大阪を出発した車は、午後1時には現地へ到着、食事の後イベントに参加しました。以下はささやかな2日間の報告です。
<4日河口堰運用止めナイトは深夜まで>
4日は、午後から夕刻までは、小室等のコンサートとか、リンさん(椎名誠のいやはや隊の料理長)の料理教室、藤門 弘さんの「アリスファーム」から持ち込まれた山羊の丸焼きバーベキューなどのイベントが続きました。
夕方がらは、長良川監視委員会からの報告タイムです。監視委員会事務局長の天野礼子さんから、監視委員会発足の経過、活動報告が行われ、続いて監視委員会会長の大石武一さんから委員会を代表してのあいさつがありました。
具体的な川の変化の報告は岐阜大学の粕谷志郎さんから、長良川シジミ漁師の中村さんからは激減したシジミ漁の実態を怒りを交えての訴えがあり、今後予想される導水事業と水道料金について、河口堰差し止め訴訟団の村瀬さんから報告がありました。
続いて、全国の川を守る運動からの報告があり、水源開発問題全国連絡会の遠藤さん、徳島県細川内ダムと闘う木頭村村長藤田恵さん、相模大堰に反対する実行委員会の岡田さん、徳島の吉野川で河口堰反対運動をしている姫野さん、石川県の「兼六園と辰巳用水を守りダム建設を阻止する会の中川さんなどがそれぞれの報告を受けました。
後は、佐高信さんの辛口トークなどがあり、やや遅れぎみの進行で午後11時まで続きました。それでも参加者約500名は最後までこれら川の報告を熱心に聞いていました。
<野坂=社会党はだめで、さきがけはいいのかな?>
当然ながら、発言では「野坂」批判が続出、怒りの集会となりました。政党では共産党とさきがけ三重が参加してましたが、社会党の姿はありませんでした。労働組合では、全電通名古屋支部(電通労組関係者によると一部セクトが強いらしい)、名古屋水労、国労の旗がありましたが、自治労の旗はなし。
不思議におもったのが、さきがけの参加。兵庫の高見裕一衆議院議員は日本新党の時代から環境運動に力を入れていたことは知っていますが、「本格運用開始」は自社さ連立政権が強行したはずなのに、「知らぬ顔」でデモの先頭を歩いていたのは、すこし虫のいい態度ではないのかな。悪いのは野坂=社会党だ、と言わんばかり。さきがけは、参加者に機関誌は配るは、フランス核実験反対行動のパネル展示はするは、「環境問題のさきがけ」を参加者にピィアールしていました。(しかし、どう見てもさきがけブースの要員の若者はアルバイトという雰囲気でしたが・・・)
<粘る参加者2500名>
5月の運用開始により、「長良川河口堰はもう終わった」みたいな雰囲気もあり、実行委員会では、例年を大きく下回るのでは?という懸念をもっていたのは事実です。実際の参加者は2500名(主催者発表、参加費1000円を払った人の数)で、「よく集まった」という評価をしているようです。(当初の予想より1000人は多かったようです)ただ、今年は3日には岐阜からのカヌーによる川下りデモ(約100艇参加)、岐阜市内の長良川河川敷での「お魚トーク」(根津甚八さんなど参加)があり、4日・5日の伊勢大橋周辺での行動と3日という期間の全体の参加者が2500人だったということなのです。当然3日連続参加というのは限られた人々であって、5日の一斉行動の参加者は全体でも、甘めに見て1200人というところでしょうか。カヌーデモも昨年の半分というところです。毎年秋の恒例となったこのイベントに参加して5回目位になりますが、少し運動的には疲れてきているかな、という雰囲気は否めません。粘る運動としてはこれからなのかなとも思うところです。
さて、11月ともなればキャンプも寒い寒い。シュラフの中に毛布をさらに入れて、最後に胃袋にはアルコールを入れて、やっと眠りにつきました。飲み過ぎた性か午前4時頃尿意を催し、外にでたところ、寒々とした満天の星に感慨無量でした。(やっぱり来てよかった!)
<長良川監視宣言を採択>
翌5日は、よく晴れていよいよ一斉行動の日。正午のアピールに向けて集会が朝9時から始まりました。(残念ながら私はそのすべてを聞いていないので、発言者名だけお知らせします) 冒頭は、「長良川河口堰監視委員会会長」の大石武一さん(初代環境庁長官、この方は84才の高齢ですが、しっかりしていました。デモも参加されました)。政党からは、(?)旭堂小南陵さん、新党さきがけ高見裕一さん、日本共産党 有働 正治さん、労組は全水道、名古屋水労(自治労連)、国労など。
最後に「長良川監視宣言」が提案され、全体の拍手で確認されました。その内容は「一、治水のために河口堰が必要であるという官製治水論は流域住民説得のために捏造であった、一、災害時にも河口堰は安全と言うが、災害時に無傷で残るのは堰本体だけである、一、野坂大臣は環境への悪影響はないと行ったが、河口堰の運用はたちまち水質悪化をひきおこし、生態系への深刻な影響が始まった、一、十分な水源を確保するために河口堰は必要と言うが、水は余っており、導水事業を強行すれば、地元は不必要な水のためにさらに巨額な支払いを強いられることになる、という認識のもとに河口堰の運用中止を訴える」というもので、「私たちは長良川の監視を続け、さらにそれらの(山・川・海を守る)ネトワークとも連帯し、すべての不必要な大規模公共事業の見直しを求めて協力し、行動すること」を宣言したものでした。
<陸上デモは、河口堰本体の上に進む>
5日はデモが主体の行動の日です。あいさつ関係も簡素に行動に備えます。昨年まではカヌーデモが河口堰に向けて接近し、陸上デモは、伊勢大橋の上からシュプレヒコールして一斉アピールというのがパターンでした。しかしすでに河口堰本体は完成し、本格運用で水門が上げられている状況です。一方建設省・水資源公団は河口堰を観光地のように「見学」ができるように、オープンスペースとしています。(ちょうどダムの上から湖水がみえるような感じに)。そこでデモは河口堰本体の近くの堤防まで進み、一旦そこで「解散」し、三々五々「見学者」として河口堰本体の上に終結して、カヌーデモと合流して、一斉行動を行おうと言うわけです。
午後11時デモ隊は、さきがけ高見代議士、共産党有働代議士、旭堂小南陵さん、天野礼子事務局長、大石武一監視委員会会長を先頭に河川敷を出発、河口堰を目指します。
労組部隊を先頭に、「河口堰運用を中止せよ」「塩害なんて起きないぞ」「ヤマトシジミも棲めないぞ」と元気よくシュプレヒコールを繰り返しながら進みます。
マスコミ報道関係者は、カメラ4台を確認しましたが、結構来ていました。約40分で河口堰近くの堤防に到着、解散の形で参加者は堰本体の上に進みます。
そこは、本来「公共スペース」として解放されているため、警察の規制も厳しくなく全員のデモ参加者は、河口堰の上に終結することができました。
一方カヌー隊にはやっかいなことが起きていました。本格運用されているために、これまでのように力強い長良川の流れが無くなっており、静水状態になっていたわけです。今までは昼の間は下流への強い流れ、夕方には上流への風と波という中で止まっているのも疲れる程の状態から、自分の力で漕ぐしかないというわけです。
正午を期して、「陸上デモ隊」はシュプレヒコールを、カヌー隊はパドルを高く掲げて抗議の意
志を表しました。空には報道関係のヘリが2機、低く旋回しています。
<粘るしかない、環境運動>
こうして今年の長良川監視DAYは終わった。本格運用により失ったものは極めて大きい。水質悪化、生態系への悪影響は確実に進行している。また運動側も少し疲れが見えている。他方で長良川の経験は全国の川を守る運動の大切な財産であり、個別の長良川を守る運動も今後とも粘り強く続けていく必要がある。
監視委員会という新しい形態からの反撃はここから始まるという決意で、長良川を後にした。(1995-11-13佐野秀夫)
【出典】 アサート No.216 1995年11月18日