【投稿】繰り返される植民地支配美化論と村山内閣
<<ほとほとあきれるその政治感覚>>
渡辺美智雄元外相が「日本は韓国を統治したが、日韓併合条約は円満に作られた国際的条約で、法律的には『植民地支配』にはあたらない」と発言して、「歴史も恥も知らぬ政治家」として国際的非難を浴び、陳謝したのは、つい5ヶ月ほど前の今年の6月のことである。
10月5日には、村山首相が国会答弁の中で「日韓併合条約は法的に有効に締結された」と発言し、韓国側の猛反発に驚き、首相見解表明で併合条約が「形式的には存在していたが、対等、平等な立場で結ばれた条約ではない」ことをあらためて確認したのが10月17日のことである。
そのさなかの10月11日に「日韓併合は強制的だったとする村山富市首相の発言は間違っている」として、村山内閣の閣僚である江藤隆美総務庁長官が、「日本の朝鮮植民地支配にもいいことをした」のであり、日韓併合条約は「強い国と弱い国、ほかに方法がないわけだから。心理的圧迫、政治的圧迫があって結ばざるをえない。あの時は自分の国が弱くてやられたときだから、仕方なかった」と発言したのである。
<<確信犯としてのオフレコ発言>>
江藤長官は、植民地支配と侵略的行為への反省を明瞭にした戦後50年国会決議に対して、「日本は侵略的行為も植民地支配のどちらもしていない」として反対し、欠席した「終戦50周年国会議員連盟」(奥野誠亮会長)の副会長である。彼は、報道陣を前に「メモを取るな」と前置きをした上でとうとうとまくしたてた確信犯なのである。「日本はいいこともした。全市町村に学校を作った。一挙に教育水準を上げた。まったく教育がなかったわけだから」などとでたらめ極まる発言をし、創氏改名についても「全部の国民に創氏改名をやらせたとは思えない」、「赤坂や六本木には韓国と中国人が多い。
韓国人が日本に来てあらゆる階層で活躍するようになった。あるいは日韓併合条約の効果だったかもしれない」と開き直り、あげくの果てに「日本人全体としては、あそこは植民地とは思っていなかっただろう。だから内地、外地と呼び、外地を内地の水準に高めようとした」のだと強弁したのである。「内地外地」発言自体がいまだに植民地意識を堅持している時代錯誤思想丸出しの人物である。
<<またもや一転して発言撤回、陳謝>>
こんな人物が、韓国外務省が11月8日に「報道内容が事実なら、衝撃と怒りを禁じ得ない」として抗議声明を発表し、日本政府に「適切な措置」をとるよう求めると、同日、手のひらを返したように、あれは記者団とのオフレコ発言にしかすぎず、不正確であり、誤解されているとして発言を撤回し、陳謝したのである。またもや過去のさまざまな反動的閣僚と同様に、それまでの勇ましい発言を「不適切な発言」、「配慮を欠いた発言」だったとして撤回、陳謝するあの悪しき伝統の繰り返しである。
江藤氏は、「(日韓併合条約については)合法的に締結された条約ではなかった。発表が一週間後で、軍隊を配置し強制的に結んだものだからだ」とこれまでとはまるで見解を一転させ、創氏改名についても「思い出をもとに話した」ものであって「法律で定めるのはもっての外だ」とすりかえ、さらに「村山首相が国会で、強制的に調印させその結果、植民地支配が行われ国民に多大な迷惑をかけたことを心から反省し謝罪すると言われたことを閣僚の一人として認める」と弁明し、閣僚を辞任するつもりのないことを明らかにした。地位にしがみつくあきれ果てた「確信犯」である。
<<「進退を問う」必要はないのか>>
問題はこれに対する政府・与党の対応である。自民党の山崎拓政調会長は「戦前の軍部の侵略的行為の反省に立った言動が(政治家に)要求されている」と述べ、発言は配慮に欠けたとの認識を示しながらも、「江藤氏は記者会見で(日韓併合条約をめぐる認識は)村山内閣の方針通りと言っており問題はない」と、閣僚としての進退を問う必要はないとの考えを示したのに対して、新党さきがけの田中秀征代表代行は「(江藤長官の)立場を考えれば軽率の印象は否めない。過去の植民地支配という歴史的事実は、その中でわが国の行ったすべての行為を超えた重い過ちだ」とするコメントを発表した。
ところが社会党は江藤発言を批判しながらも「(進退については)自民党が判断すること」として、首相を抱える政党としての責任を放棄しているのである。APEC首脳会議を間近に控えながら、河野外相の釈明のための訪韓も拒否され、韓国側があくまでも具体的な「適切な措置」を日本政府に求めていることが明らかにされてようやく久保書記長が江藤氏本人の辞任を期待する発言をした程度なのである。ここには現在の政府・与党の歴史認識ならびに国際感覚の欠如につらなる、社会党自身の問題も現れているといえよう。
<<日韓併合条約の「有効」性>>
問題は、10月5日の村山首相の国会答弁に象徴されているようである。共産党の吉岡議員が、植民地化が強制的に行われたがどうかを問題にした質問に対して、問われてもいないのに、日韓併合条約の有効性にまで言及し、「日韓併合条約は、当時の国際関係の歴史的事情のなかで、法的に有効に締結されたものと認識している」と発言したのである。これは官僚の作文を棒読みしたものであった。もちろん、それに引き続いて「深い反省と遺憾の意」を表明しているのであるが、ここには、こうした歴史認識と国際関係にかかわる重要な問題を、官僚が用意した作文、しかもきわめて意図的な作文をそのまま読んでしまうという政治的感覚の欠如が現れている。いくら「深い反省と遺憾の意」を表明しても済む問題ではなかったのである。
30年前に締結された1965年の日韓基本条約第2条では、日韓併合条約は「すでに無効」と表現されているが、韓国側は「初めから無効」との立場を取り、日本側は「今では無効」と解釈する両義解釈可能な条文となっていた。日本側からすれば、「併合条約はすでに無効」であるはずが、「法的には有効」な条約であったということによって、韓国側からの新たな賠償要求を阻止しようという外務官僚の稚拙な、しかし歴史認識を逆転させる反動的歴史観に寄与することになってしまったのである。その結果、村山首相は10月13日の再答弁でも、日韓併合条約は「すでに無効」と言えなくなってしまった。
<<「新しい条約」締結を求める決議案>>
こうした新たな事態の展開の中で、韓国の与野党議員106人は10月26日、1965年に結ばれた日韓基本条約を廃棄して新しい条約締結を求める決議案を国会へ提出することとなった。すでに韓国国会は10月16日、村山首相発言に抗議して、日韓併合条約が当初から無効であるとの決議を採択しており、その上に立って、決議案は「日韓基本条約は日本の戦争責任と、韓半島(朝鮮半島)を不法に強圧的に植民地化し、残忍な方法で支配した責任に免罪符を与えた韓国の屈辱的外交の標本である」とし、さらに「(新しい)基本条約では、過去に日本が犯した韓国に対する侵略と植民地支配への謝罪と反省の意が明らかにされ、日韓併合が根本的に最初から無効であることを明示しなければならない」と主張している。
韓国国会(定数299)の現議員数は290人で、決議案は与党・民自党35人、野党の新政治国民会議36人、民主党29人、自民連5人、無所属1人の与野党の計106人が共同提出している。李洪九首相は10月26日、日韓基本条約について「三十年間、日韓両国の支えとなった基本条約の見直しは考えていない」と語り、同条約の再締結交渉などを行う考えがないことを明らかにしているが、決議案提出で中心的な役割を果たした民主党の金元雄議員は「現在の情勢では決議案が採決されることは間違いない」と話している。
<<問われる政治哲学>>
村山首相は、これまでのどの政権よりも踏み込んで、過去の日本帝国主義の侵略行為と植民地支配について真摯な反省と謝罪の立場を明瞭にしてきたことは明らかである。
また社会党がこれまで一貫して、日韓併合条約は強制的に締結されたものであるとの立場を堅持してきたことも事実であろう。そのことは正確に評価する必要があろう。にもかかわらずこの時機に、その日韓併合条約は「法的には有効」であったという発言は、これまでの努力を水泡に帰し、「村山首相よおまえもか」とさせるものであった。
韓国の李仁済・京畿道知事は10月31日、村山首相と会談し、日韓併合条約をめぐる最近の首相発言を念頭に「両国関係の不幸な歴史に関する問題が出たため韓国民は心配している。『大衆に学ぶ』というのが首相の政治哲学と聞いており、指導力を発揮してほしい」と要請したと報道されている。
韓国の金泳三大統領は大阪で開かれるAPEC首脳会議出席のため11月17日から20日まで大阪を訪問し、19日の首脳会議を挟んで、18日にクリントン米大統領、村山首相と、20日にはバンハーン・タイ首相とそれぞれ首脳会談を行う予定である。今やこの日韓首脳会談の実現さえ危ぶまれているが、韓国の李首相が「APEC大阪会議前のこの時期、この問題が日本のリーダーや国民が歴史問題を考え直す契機になることを期待する」と語っていることを真剣に受け止める必要があるのではないだろうか。(生駒 敬)
【出典】 アサート No.216 1995年11月18日