【投稿】戦後責任の背景

【投稿】戦後責任の背景
      -『閔妃暗殺』から『悲しみの島サハリン』まで-

<<「過去に目を閉ざす者は」>>
去る3月31日、大阪で、『悲しみの島サハリン-戦後責任の背景-』の出版を祝う会が開かれた。著者の角田房子氏はすでに80歳を越えられているが、次の新たな作品の取材や講演会の途上に出席された。角田氏はすでに、1988年に『閔妃(ミンピ)暗殺-朝鮮王朝末期の国母-』、91年に『わが祖国-禹博士の運命の種-』をいずれも新潮社から出版されており、今回はいわば日韓関係3部作の締めくくりでもあった。そして三度とも、大阪に来られて青丘文化ホール(代表・辛基秀氏)主催の会合に来られて、講演をされている。
角田氏の執筆の姿勢は、非常に明瞭であり、そして一貫している。それはいつも紹介されるドイツのワイゼッカー大統領の言葉に表されている。「われわれドイツ人全員が過去に対する責任を負わされている。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはいかない。過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」。この後、角田氏は「だが日本では大衆に向かって、このような主旨の呼びかけが行われたことは一度もなかったように思う」と語られる。

<<『閔妃暗殺』と『わが祖国』>>
84年に初めて韓国を訪問され、4年後に『閔妃暗殺』を世に問われたのであるが、これには「韓国では誰でも知っている事件を、加害者側の日本ではそんな事件があったことさえ一般には知られていない」、余りにも大きい落差を少しでも埋め、日韓両国民の友好関係を築くためには、まず日本人が歴史の真実を知らねばならぬという思いが託されている。それは、1895年10月8日、日本公使を中心とする暗殺者集団が王宮に乱入し、李氏王朝の王妃を殺害した事件であり、当然韓国の教科書には掲載されている。最近あらためて注目されている安重根の伊藤博文暗殺(1909年10月26日)の第一の理由は、この「国母暗殺事件」への復讐であった。この『閔妃暗殺』は、韓国で翻訳され、出版されている。
角田氏はこの取材の過程で、それ以上に日本人には知られていない事実に突き当たる。それは、日本人に目的も明かされぬまま王宮に乱入して閔妃暗殺事件に巻き込まれた朝鮮軍の大隊長の一人が禹範善(ウボムソン)といい、彼は日本へ亡命したが、祖国からの刺客に殺され、日本女性との間に生まれた遺児・禹長春(ウチャンジュン)が東京大学で農学博士号をとり、育種学者として多くの業績を築き、1950年突如、52歳にして韓国に渡り、韓国農業の近代化に心血を注ぎ、最高の名誉である大韓民国文化褒賞を受けて、これもまた韓国の教科書に掲載されており、誰でもが知っているという事実であった。「父の国と母の国、禹博士はいずれを祖国に思い定めたか、それは何ゆえか」という問いが、『わが祖国-禹博士の運命の種-』に結実したのであった。

<<問われる日本の戦後責任>>
そして今回、『悲しみの島サハリン』である。周知のように、現ロシア領サハリンにはその大多数が日本によって強制連行され、戦後も置き去りにされたまま望郷の念にかられる約4万人の韓国・朝鮮の人々が存在している。戦後日本政府は、それまで朝鮮併合で皇国臣民一体を強調していた「日本国民」を、引き揚げに際しては日本人と朝鮮人に選別し、日本人だけを帰還させたのである。それがその後の朝鮮戦争と冷戦時代への突入の中で、まったく忘れ去られるような状況をもたらしてしまった。そしてゴルバチョフ政権の登場から冷戦体制の崩壊によって、ようやくこの問題に光がさし始めたのである。しかしあまりにも時がたちすぎている。角田氏は、直接サハリンの各地を訪問し、当事者や関係者と面談し、座談会や懇談会を持ち、交通の不便なところまで訪ね歩き、そして生き別れにさせられた韓国の妻や家族を訪問し、共に涙し、怒り、励まし、時には落胆しながらも、地道で綿密な取材をされている。
角田氏は、細川連立政権が登場して、首相が記者会見で「太平洋戦争を『侵略戦争だった』と語った。戦後すでに48年がすぎたが、日本の首相が『侵略戦争』と明言したのは初めてのことである。この首相の発言を、国民のかなり広い層がほっとした気持ちで支持した」と書いておられる。さらにその三カ月後の日韓首脳会談で、首相が日本の植民地支配につき、創氏改名や母国語教育の禁止、徴用など具体的な例をあげて「さまざまな形で絶え難い苦しみと悲しみを経験されたことに対し、加害者として心から反省し、深く陳謝したい」と、かつてない表現で謝罪したことにふれ、そこに信頼も期待も寄せながら、同時に戦後責任を具体的にどのように果たして行くのかが不明であることを指摘されている。その細川首相が自らの政治資金疑惑を理由に辞任せざるを得なくなった。角田氏はきっと落胆されていることだろう。次の政権が、戦後責任を具体的に実行できる政権となるまでは、日本の世界における地位は信頼されるものとはなりえない。それだけに角田氏の三部作の持つ意味が大きいといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.197 1994年4月15日

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