【本の紹介】『マルクス主義の崩壊』A・ヤコブレフ著、1994.2発行、サイマル出版会、2500円
『コミュニズムとの訣別』A・ツィプコ著、1994.2発行、サイマル出版会、2300円
<<奴隷制社会との酷似>>
周知の通り、ヤコブレフは、ゴルバチョフ、シェワルナゼとともにペレストロイカを推進した重要な人物である。この三人は、切っても切り離し得ない関係であり、彼らにとっては意図せざるソ連崩壊という事態の中で、冷戦構造の終焉という決定的な歴史的役割を果たしてきた。その意味ではもはや歴史上の人物でありながら、現在においても無視し得ない存在感と現実へのさまざまな関与を行っている。ヤコブレフはゴルバチョフ元大統領の首席顧問であり、ソ連共産党の政治局員であったが、もう一方の著者ツィプコは、政治哲学者として両者の顧問となり、ペレストロイカの重要な多くの局面に立ち会ってきており、現在、ゴルバチョフ財団の事務局長である。両書は書かれているスタイルは違うが、内容的には一体のものともいえ、ヤコブレフの著書に、ツィプコは「真実が遅すぎることはない-ペレストロイカ設計者の良心」という前書きを寄せている。 ヤコブレフはペレストロイカ以前のソ連社会について、「奴隷制社会に酷似していた。あらゆる人達をあらゆるところから完全に疎外した結果、システムは全体として下層社会にも上層社会にも誰にも必要でない、という状況が出来上がった。まさにそのせいで『かの社会主義』は、かつて戦争も革命もないのに奴隷制が崩壊したのと同じように、電撃的かつ驚くほどあっけなく崩壊したのだ」と述べている。そして、「70年にわたるロシアの発展の経験が証明しているのは、計画経済、社会化された経済という方法では、労働の生産制、労働の文化、テクノロジーにおける先進諸国からの立ち遅れを克服することはできないということだ。換言すれば、個々の立ち遅れでなく、現象としての、慢性的状態としての後進制は克服できないということだ」と結論づける。
<<独占と選択の自由の問題>>
それは、真理と権力の独占の問題、それと対置される選択の自由の問題として集約される。ヤコブレフは述べる。「マルクス主義は、己の真理性を疑うことはなかった。なるほど、時には、他の思考方法もあり得ると慎重に認めることもあったが、マルクスの教義の心理は、布教の心理であり、予言の、メシア思想の心理であって、科学のそれではない」。「はじめから『真理』が与えられていることが、実は、きわめて大きな損害をもたらすことになった。『真理』が与えられているために、社会主義計画に基づく社会生活の変革における矛盾や、見込み違いや、失敗を分析する可能性は封じ込められた。その結果、マルクス主義は党のイデオロギーと化した」。
ヤコブレフはきわめて率直に語っている。「どうしても理解できない。マルクスほどの、掛け値なしに最高の頭脳の持ち主が、選択の自由という一番重要なものが自分の理論にはないことになぜ気がつかなかったのだろう」。「世界観の選択は言うに及ばず、どんな些細なものにも選択の自由がないのだから、個人の責任もなければ、良心の裁きも、罪も、悔恨の念もないことになる。直接的に社会化された労働という思想は、働き手を厳重に縛り付けることを前提とし、選択の自由とは相容れない」。
独占は、それが政治であれ経済であれ、腐敗と停滞と堕落をもたらすことは体制の違いを問わないものであり、われわれが直接間接経験していることでもある。反独占政策は労働者階級によって提起されたにもかかわらず、資本主義ではそれがせめぎあいの場となってきたが、社会主義では全く無視され、むしろ国家的独占の形態においてよりいっそう醜悪で寄生的な色彩を強めてきたのである。それが現実のソ連社会においては、極限にまで進行していたといえよう。ヤコブレフの指摘するとおり、「独占は、自分そのものが腐敗するばかりか、経済も社会も奈落に引きずり込み、技術的遅れやその他の遅れを決定づける」こととなった。
<<マルクス、エンゲルス、レーニン>>
それではこうしたことにマルクスは責任を負うべきなのだろうか。この点についてヤコブレフは次のように述べている。
「マルクス主義は、科学における自分の地位を保っているし、保ち続けるだろう。それでも、マルクス主義に対する科学的批判は避けられない。出発命題のある部分は、すでに根拠薄弱ぶりを露呈しているが、他の部分は、真理であることが確認されている。通常の科学の基準からいって、この点に不自然なところはなにもない。それに、マルクスは、自分の思想上の遺産を後世の人々がどう扱ったかという問題に責任を負うものではない。」
「現在は、マルクス、エンゲルス、レーニンの名があまりに安易に批判の矢面に引きずり出されている。まして、彼らはすでに故人となっているというのに。彼らがそれに答えられるのは、その昔に書かれた自分の文書によってだけだというのに。」
ツィプコは、「後期マルクスには、自分の学問的成果の再検討が始まっていたことを証明する個々の発言を、実際に見つけだすことができるのである。『ドイツ・イデオロギー』や『共産党宣言』の著者である短気なマルクスと、「祖国雑記」編集部やベーラ・ザスーリッチあての手紙を書いた冷めたマルクスとの衝突は、神でさえ間違うことがあり、共産主義への見方をたえず変えていたことを、読者に示すことを許した」とも指摘している。
さらにヤコブレフは、「過去の一部の思想家の期待に反して、社会の組織化と社会の活動の性格・条件はますます複雑さを増し、人間の生活が営まれる場としての社会構造はますます多様化している。人類の文明の発展は可変的であること、偶然という力が存在すること、人民は政治的・思想的に選択する力を持つこと、政治の指導者達は淘汰されること、これらはもう疑いようがない」ことを強調する。
そうした上に立って、ヤコブレフもツィプコもマルクス、エンゲルス、レーニンの重要な論点を取り上げ、それらを批判し、マルクス主義、コミュニズムとの訣別を宣言している。それはソ連社会70有余年の経験に裏打ちされた批判である。単なる反共主義、反マルクス主義として片付けられるものではない。
当然こうした論調に対して、旧共産党勢力は「裏切り者」の筆頭に彼らを上げ、復讐に燃えている。ヤコブレフは彼らを念頭において、「この雪辱に燃える党が地下に潜ってしまわないように、また自らの立場を公然と、しかも法律にのっとって守るチャンスがこの党に与えられるように、あらゆることをしなければならない。しかしその一方で、この雪辱に燃える党には、民主主義の理想、目的、規範に基づいた刷新の党が対置されなければならない」と強調している。
<<民族主義への「羞恥心」>>
ツィプコは、ロシア民族主義と民主主義の問題について問題を投げかけている。「本書の主人公は、私の国ロシアである。その指導者達や政治家を通して、私はロシアそのものの相貌を理解したい。なぜ、彼女の、つまりロシアの子供たちは母を母と呼ぶことを恐れるのか。東欧諸国の民主化はまず自分たちの国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ブルガリアを救ったのに、なぜわが国の反対派は、ただ純粋な民主主義だけのために戦ったのか。わが国の民主運動、解放運動のこの「羞恥心」は、何と説明すべきだろうか。この点において、つまりロシアの運命との関わりにおいてのみ、ゴルバチョフやヤコブレフのような政治家が私の興味を引くのである。エリツィンについては、書きたくも考えたくもない。自分の情熱を制御できなかった、この不幸な人間がやったことを考えただけで、ぞっとする。ロシアの悲劇は、エリツィンの個性にはっきりと表れている。しかし、それにしても、ゴルバチョフもヤコブレフも、その根も心もすべてロシアに根ざしているのに、自分たちのロシアの利益を表現することも、守ることもできなかったのだ。私は誰も非難したくない。ただ、彼ら自身の真実を理解したい。ペレストロイカの指導者たちについて、左翼・右翼の反動家たちが国民に植え付けている、皮相的でばかげた観念への抗議の印として、私はこれを書いている」。
ツィプコにはいわばあきらめきれない思いがある。それは「ゴルバチョフはエリツィンと彼のチームが意識的にロシア国家を破壊していると非難して、エリツィンを倒すことが出来た。しかし彼は、自分の権力のなかで、ロシア的な根につながるすべてのものを、極度に恐れた」ということである。つまり「ゴルバチョフはあらゆる弱点にもかかわらず、エリツィンがやったようなことはやれなかったという見方を強めている。数年間クレムリンの主人になるために、自分自身の国を犠牲にすることは、ゴルバチョフにはできなかった」。「残念ながら、ゴルバチョフはあまりに理性的で、西欧的に思考する人間である。彼にはほんの少し、超越性が足りなかった。敗北を避け、今日の惨事を避けるためには、心から発してくる深いメシアニズムが不足していた」ということである。実に意味深長である。
<<「民主的ろくでなし」>>
それではエリツィン・グループについて、著者たちはどのように評価しているのであろうか。ヤコブレフは、ゴルバチョフの優柔不断と迷妄、失敗について舌鋒鋭く多くを語りながらも、常に行動を共にしてきたといえよう。しかし彼は、ゴルバチョフを批判したようにはエリツィンを批判しなかった。批判できる共通の政治的思想的基盤が成立していないのである。彼はエリツィンがしでかしたこと全体に驚き、「私は彼を知っているが、勝利、権力、クレムリンの執務室などの酔いから醒めて、すべてを理解したときには、彼の心は持ちこたえないだろう。一種の狂気だ」と述べている。ヤコブレフは一度も、ロシア共和国のソビエト連邦からの離脱という考えを支持したことがなく、この考えをばかげた無分別なものと見なしていた。独立国家共同体というエリツィンの企てからは何も結果が出ないこと、「ベロベジの森の3人組のなかでいちばんずるい」クラフチュクがエリツィンをだましたとみなしていた。
ツィプコはこの点について、「もしもわが国の民主主義者たちが、もっと賢明だったらとは言わないが、もう少し見る目があったら、彼らは連邦の崩壊ではなく、連邦の刷新に、またエリツィンではなく、ヤコブレフに賭けたはずだ」と述べている。
しかし現在、ヤコブレフはエリツィンの指名によりロシア連邦テレビ・ラジオ放送庁長官を引き受けている。ヤコブレフに全面的な信頼と共感を寄せているツィプコは、著書の最後でこの点についてふれている。「ヤコブレフは純粋に人間的理由だけでも、エリツィンのグループには入れないと、私は思いこんでいた。彼はブルブリスやシャフライがどうしても我慢できず、彼らのことを『民主的ろくでなし』と呼んでいた。彼には、彼が言うところの『エリツィンの坊やたち』に敵意を抱く権利があった。ヤコブレフ自身の言葉によると『カインの烙印』をつけた政治家エリツィン、地滑り的だったソ連の崩壊に基本的な責任のあるエリツィンに、ヤコブレフが接近したことは、今日の情勢では道徳的にも政治的にも自殺行為に等しい」と断言している。
しかし同時にそうせざるをえない混沌としたロシアの状況の重さを指摘する。「ヤコブレフは、赤色愛国者たちや攻撃的民族主義者の攻撃を受けている。だから彼は何よりも保護を、最も単純な、絶えまない身辺警護を必要としている。ところが今日の情勢では、ヤコブレフだけでなくすべての民主主義者にとって、そのような政治的安全の保障となるのは、エリツィン政権だけなのである。
わが国では傑出した歴史的人物さえも尊厳を保つことが出来ない。なぜならわれわれはいまだに、法律がほとんど何も意味しない国、内戦の状況が残っている国、軍とKGBと民警を握る者がすべてを決定する国に住んでいるからである。しかも、ガイダルの「ショック療法」が失敗して、新民主主義政権の名誉が汚された現在、今では愛国者の衣を着ている保守派共産党員による報復の危険が感じられるようになった」。
事態は単純ではなく、複雑であり、また混沌としてもいる。ロシア社会の民主的刷新と再生に苦闘している著者たちに共感を抱かずにはおれない。しかし、ペレストロイカに、マルクス主義の再生と創造的発展を期待してきた者にとって、「マルクス主義の崩壊」、「コミュニズムとの訣別」は、再生の基盤そのものを放棄することを迫っている。(生駒 敬)
【出典】 アサート No.197 1994年4月15日