【投稿】政界再編と社会党
1、社会党の連立政権離脱について
<改新結成は口実ではないか>
まず社会党の政権離脱問題です。裏話などは、最近はテレビでも報道されているのそちらを参考にして下さい。羽田首相が首班指名された直後にいわいる「改新」という院内会派ができて、今までコメ問題とか国民福祉税構想とか政策的な問題や、細川辞任後の第2の連立政権をつくる時の政策協議の時点で、連立政権離脱・離脱と言いつつも与党の合意を守る形で社会党は政権に留まってきたわけで、「改新」結成という時点でも、政権離脱はないのではないかと思われてきたわけですが、結果的にはたった一晩で出てしまった。それにあたっては、党内で政策論議の時のように右派と左派が喧々額額の論議もなく、右派も「ここまでなめられたら」という感情を背景に、村山委員長のイニシアのもとに離脱が行われたわけです。
考えに考え抜いた末ではなく、結局「改新」結成が信義にもとるということで出たわけですが、落ち着いて考えてみたら、決断自体は情緒的な判断、感情に流された決断と言えるわけで、「改新」結成ということで政権離脱と言いますが、それは口実にすぎない。そのきっかけに過ぎないと思えてくる訳です。
細川連立政権をつくったときは良かったのですが、それ以降、社会党の主体性というものが、与党の中で埋没してしまい、フラストレーションがかなり溜まっていたと、いうことでしょうか。とりわけ、いままで野党の立場に安住して、主義主張・国家を論じておれば足りる、という経過を持つベテランの議員を中心に、連立政権の中では、「えーかっこ」ができないということで、不満が溜まっていたわけです。村山委員長自身のバックも左派と言うことで本人も、中選挙区派なんです。小選挙区か中選挙区かという政治改革の関係において、参議院での議決の時期でもいわゆる番記者に「どうしたら政治改革法案をつぶせるのかな」と聞いたと言う話もあり、そんな本音を胸に秘めて来た人なわけです。
そんな村山委員長を筆頭に、「改新」問題から巻き返しを図った、ということでしょうか。
<政策論議は久保書記長に権限・・村山(左派)の出番>
離脱に至る過程での与党内の政策論議の中では、そこに出て行くのは久保書記長なわけで、会議の中ですり合わせをして各党に持ち帰る、そして論議されるわけですが、党を代表してまとめてきた内容に、あまり露骨な反対もできないわけです。政策論議を口実に、国民福祉税や北朝鮮への制裁問題などでも与党代表者会議で持ち帰ったものに村山委員長でさえある意味で従わざるを得なかった。
しかし、改新結成の問題では、政策論議と言うような問題ではなく、久保書記長もその判断に権限が及ばない、委員長の決裁事項だというような関係で、村山委員長が巻き返して、守旧派というか左派と言うか、そんな部分が動きだし、さらにデモクラッツも決断ができず引っ張られ、わずか一夜で離脱したわけなんです。
いろいろ言われていますが、とくかく党内がまとまっていないという現状が隠しきれないわけで、他の政党に足元を見すかされている現実があるわけです。地方においても兵庫県の例もありますが島根など右と左の対立が起こっています。連立政権の8ヶ月の間も双方の政策論議は綱渡り的にしかまとめられていないわけです。一枚板の公明党や近頃ぶれていますが新生党などから見れば馬鹿にされてしまう現実があったわけ。
政権離脱後、テレビなども取り上げて、社会党の支持が若干上がったのではという幻想が蔓延して「もっと行け!」という空気もありましたが、落ち着いて考えてみると、与党の中で8ヶ月間を一挙に無にしてしまう軽率な行為ではなかったか、と思います。そんな空気がようやく党内で出てきている状況です。
<狙いは中選挙区選挙?>
連立与党を離れたわけですが、僕はほとんどの議員が「中選挙区」がいいと思っていると思います。例えば昨年の選挙で70まで減ったわけですが、東北の場合、ほとんどの選挙区で共倒れになっていまして、今度中選挙区で一人に絞れば、最低10は回復できる、また与党の中での 一・一ラインへの反発もあり、もう少し上積みできる、九〇近くまで・・というように考えれば、ほとんどの議員が中選挙区でやりたいというのが本音ではないか。同様に中選挙区での選挙を望んでいる自民党の議員連中とも、自社連立の動きがそれの基礎にあるわけです。
改新結成に端を発した連立離脱の問題の底流に、こうした背景があるのではないか、と思います。
2、羽田政権の評価について
<自民党、社会党あるいは自社連立よりまし>
そうして政権離脱後は、閣外に出て国会の中で羽田政権に対して、北朝鮮の核疑惑やコメ問題・ゼネコン汚職の続きなどで攻めているわけですが、そこで羽田政権の評価ということです。
是々非々ということで予算を通すまでは支持をすると言っているわけですが、結局自民党や社会党の単独政権、あるいは自社の連立政権よりは羽田内閣の方がましである、ということが言える。自民党単独政権ということは元に戻るということですし、社会党の単独政権はありえないにしても、ちょっと心もとなく、与党の経験を忘れてしまった社会党というのは、党内から見ていても少し恐い気がします。また、自社と言う場合も、それぞれの良いところがひっつけばいいのですが、どうも悪いところがつながっているようです。政策の勉強会ということで自社の有志での意見交換などをやっていますが、自民党から出てくるのが亀井静香など、小沢一郎よりも更に右であるような、どうしようもない連中が出てきているようです。そんな連中と組むというような話で有れば、自社連立という話ももし中選挙区での選挙であっても、大敗は必至であるということを客観的に認識しないといけないと思います。
<内閣不信任案は無茶>
結局羽田政権に替わる明確なビジョンが出せない、羽田政権に対して本当の是々非々の対応をしていく、もちろん、羽田政権の中には、永野法務大臣の発言や柿沢外務大臣の豹変とかいろいろ言われていますが、問題のある閣僚はたくさんいるわけですが、危機管理内閣というよりは、それ自身が危険な内閣であると言われています。しかし、結局は不安定な内閣ですので、タカ派的な部分も持ちつつも、最後までつっぱしれない。小選挙区での選挙を経た後でなければ安定しないと思われます。今の与党の中には、そんな認識がありますので、何としても中選挙区での解散・総選挙は避けたい、ということで動かざるをえないわけで、ヘタに自社を刺激するようなことはせずに、調整・合意を図りつつ、進んでいかざるをえないわけです。自社いずれかから、内閣不信任案をだすということで、最初はボルテージは高かったわけですが、社会党が野党になった途端、奥田議会運営委員長の解任と言う方向が出ましたが、社会党の中でかなり異論がでまして、自社連合は最初からつまずきました。内閣不信任案についてもまだ良く分かりません。久保書記長も盛んに連立復帰、その前提は自主的な内閣総辞職だ、と言っておりまして、不信任案先行の自民党河野総裁と微妙な違いも出てきているわけです。
不安定な要素を含みつつ、現時点では会期延長をしても小選挙区の区割り法案を今国会に提出するという構えで、秋には小選挙区での総選挙を行うとしています。
3、新たな政権構想について
<政策より人物?>
そこで、新たな政権構想という動きが出てきているわけですが、何が軸になるかということです。自社の勉強会、改新の動き、社会党の有志と新生党とのつながりなど、かなり複雑になっています。明確に政策を出して、それに賛同する政党による政権づくりということからすれば、非常にわかりにくくなっています。むしろ、政策よりも人物の問題になってきています。端的には、小沢なのか反小沢なのか、といった立て方ですね。しかし、小沢が好きな人も嫌いな人も、小沢を過大評価し過ぎていると思います。小沢が日本の将来を左右するんだ、みたいな考え方が両者共にあるわけです。思いこみが激しいため、政策などが埋没する傾向にあります。
小沢という人は、実際健康に不安があるわけです。これは本当のようです。胸にペースメイカーを入れていますし、この前ヨーロッパに極秘に行きましてイタリアの小選挙区選挙を見てきたと言っていますが、ペースメイカーの取り替えに行ったという話もあります。かなり健康に不安があるため、生き急いでいる、と言う話です。自分が元気な内にいろいろしたいということでしょうか。小沢と久保書記長が仲がいいということですが、やはり久保さんも心臓が悪いわけなんです。
<民主主義対ファシズムの幻>
反小沢というような「人間」を対象にした連合で果たしていけるのか、そうであれば、非自民で集まる方が政策的な問題やどより分かりやすい対応ができるのではないか。
しかしながら社会党の護憲派とか自民党のリベラルと言われている人たちが出している構図なんですが、「ファシズム対民主主義」というのがこれからの政治の軸ではないかと言うわけです。これも、小沢や一・一ラインに対する過大評価に基づく構図であって、日本が戦前のようなファシズムに戻るとかまた、それに反対するとしている自民党の皆さんが本当に民主主義なのか、ということも含めて安易に「ファシズム対民主主義」で危機感を煽っていく(共産党も同様の主張)のでは、誤るのではないか。社会党の先祖返りを促進するだけだと思います。むかしのように反対闘争一本槍にならないか。
小沢一郎の言う政策で集まれ、と言う問題ですが、政策で一致する新党つくりはそれなりに筋は通っているわけで、それに対して自民党・社会党が打ち出している方向は、有る意味で政治技術の問題になる。それではすれ違う。自社でやるといっても、武村の小さくてもきらりと光る国みたいな路線で一致できるかというとこれも難しいわけです。どこで政策的な一致を自社で出来るかと言えば、ほとんどできないとしか言えないわけです。護憲もあれば、改憲もあり、そこでどうした一致が可能か、ということなんです。自社でどのような政治勢力ができるか、といえば全く霧の中としか言えないわけです。
<北朝鮮をめぐる問題>
現在、北朝鮮の問題、税制改革、政治改革、地方分権の問題が焦点になっています。
北朝鮮の問題ですが、先日京都府警が強制捜査で失敗しましたが、若干緊張が高まっているかに見えます。社会党が言うのは対話による解決ということです。それはいいのですが、対話による解決と言うのは、金日成が死ぬことによって可能だ、ということにならないか。北に対する対応をめぐって2つの意見がでていますが、実際に対話路線と言っても、自然に北が変わるのを待つということしか意味していません。NPTをどう評価するのか、という問題があります。核を持っているアメリカが北朝鮮のことを言えるのか、というもっともらしい言い方があるのですが、日本のアジア侵略について、欧米も植民地を持っていたのだから、日本のことに口を出すな、みたいな論理でしかないわけで、北朝鮮も核を持ってもいいんだみたいな論理に組みすることはできません。それは北朝鮮だから認められないのではなくて、これ以上核保有国が増えてはいけない、と言う立場から北の核保有については止めさせる必要があります。どうして止めるかと言う議論では、対話の政策といっても具体的には何もない、制裁を主張する方もありますが、肝心なのは北朝鮮がどんな国なのかということです。
先日大阪で北朝鮮に帰ってから行方不明になった人を探そうという集会が行われたのですが、朝鮮総連系の人々がこれを妨害して潰すということがあり、大阪府警の強制捜査のきっかけになりました。あれは、北朝鮮国内の政治を日本の中に反映している事件であって、もちろん北朝鮮国内では、そうした集会は開くことができません。日本国内でさえ集会を潰しにくるという対応をみれば、北朝鮮の政治体制がどういうものなのかということが分かるわけです。対話という主張も分かるのですが、一定の制裁もやむを得ないと私は思います。
<税制、政治改革、地方分権>
税制問題、政治改革、地方分権の問題ですが、羽田政権発足の時に合意した政策があります。村山委員長なんかはこの合意はご破算だと言っているようですが、それは無責任と言わざるを得ないわけです。国民からあきれられます。現実問題として今後の高齢社会対策、自治労も最近税制改革の政策提起をしていますが、どのように進めるか、積極的な提起をしていく、その場をつくるためにも、新たな政権の中での対応が問われています。政治改革についても同様です。
地方分権ですが、羽田政権になってから地方分権のことは忘れられた感がありますが、細川政権時代は、首相も官房長官も県知事出身者ということで地方分権が前に出てきたと思うですが、羽田政権には知事出身の閣僚がいないわけです。そうであればこそもっと地方分権を前に押し出していく必要があると思います。
4、社会党の仕事とは
<世界観だけの主張か>
今社会党が言っているのは、しんどい課題は避けて、またしても世界観の一方的な主張をしはじめているわけです。何度も言いますが、与党で何を勉強してきたのか、ということです。今社会党がしなければならないのは、内閣総辞職などに向かう手続きの問題は詰めなければなりませんが、早急にさきがけなどと政権構想をだすといわれていますが、どれだけ現実的な政策を出せるかに掛かっている。それを軸に政権に復帰を試みるべきだろう。それについていけない人には出て言ってもらうしかないように思います。左派と言われる人たちは、自民党との共闘など言わずに、共産党との共闘を言うべきです。(現実には不可能としても)
<デモクラッツは期待できるか>
デモクラッツですが、派閥的に見られていますが、まだまだサロンのようなもので、現実の力になっていませんし、参加している各議員がどれだけ腹をくくっているのかと言えば、まだまだ根性が座っていません。
現実的には、社会党の看板をいつ降ろすのか、ということになっていきます。来年は統一地方選挙がありますが、果たしてそれまで社会党があるのか、と迷っている方も多いようです。すでに、社会党の歴史的役割はほぼ終わったと思いますし、はっきりと「民主党」などを創る動きをしながら、連立政策も練り上げ、世界観の主張みたいなことではなく、地味な課題にも取り組んでいくことが必要かと思います。
福祉、教育、人権、環境などの問題について、公明党は国家間の問題では一・一ラインで右だと言われるわけですが、国際司法裁判所への核問題での対応では左バネが働いたと言われていて、地味な課題などで社会党に替わる役割を公明が取っていくことになれば、非常に難しい問題になります。早急に政権協議を開始して、連立復帰が望ましいと私は考えています。(94・06・12大阪O)
【出典】 アサート No.199 1994年6月15日