【投稿】「村山政権」に望むこと

【投稿】「村山政権」に望むこと

社会党・自民党・さきがけの連立政権「村山内閣」が誕生して2カ月余、支持率の低迷が気になると同時に、「自衛隊合憲」や「日の丸・君が代容認」等が矢継ぎ早に発表された経過について懸念する。
新生党代表幹事小沢一郎氏や公明党市川氏らの「社会党はずし」のいきさつから考えて、自民党と組まざるをえなかった社会党の事情は理解できる。だが、自民党と組んだからといって、自民党寄りとみられる政策変更を、なぜ次々と短期間に行う必要があるのか、疑問である。「連立」というのは、どの政党も単独で政権が担えないから、複数の政党の合意で成立しているはずなのに、自民党の数に遠慮しているのか、屈服しているのか、はたまた、自民党の政治力・行政力に押されているのか、真相はわからないが、村山首相の好感度ぶりとは裏腹に、社会党にはやや情けないものを感じる。
社会党と連立を組まざるを得なかったのは何よりも自民党なのである。その点では自民党自身が一番大きな矛盾を抱え込んだのであり、困惑しており、日々の新聞報道でもよく感じられる。だからこそ、タカ派で差別主義者の渡辺を押さえて、ハト派色、民主派色の強い河野総裁が登場したのであろう。小沢氏が最後のカケを託した海部氏も、党内タカ派の中曽根や渡辺が支持したとたんに挫折したのではないだろうか。その意味では自・社・さ連立政権は、反共冷戦時代の終焉を象徴する時代の転換点に直面しているからこそ、成立し得た連立政権であると思う。とすれば、社会党はもっともっとハト派色、民主派色で自民党内にクサビを打ち込む政策的な攻勢をしかけるべきであろうし、自民党にそれを飲み込ませる絶好の機会ではないのだろうか。
「自衛隊合憲」にしても「日の丸・君が代」にしても、現実的対応とは別に、本来ハト派・民主派が目指すべき軍縮と核兵器廃絶への国際的イニシャチブを鮮明に打ち出した上で、論議をしなければならない問題である。左派といわれる人達は一体どうしたのだろうか。小選挙区制問題の時にはあれほど自民党や新生党を利する抵抗をしておきながら、今回は音無しである。社会党がキャスチングボートを握っていればこそ、党内はもちろん、広く国民にアピールする形で、議論を巻き起こすことができる最大のチャンスなのである。こうしたチャンスを生かせなければ、「自民党政権と変わらない」とか「社会党の変節」とかばかりがまかり通って、このままだと次の選挙が相当苦しくなるのではないかと思う。
これまで掲げて来た政策・方針を変更しなければならない時は、時代や情勢の変化とともに、常にある。今回も「政権与党」「首相のおひざもと」という、これまで以上に責任を問われる立場であることは明白だし、もはや「対立」の時代ではなくなったのも事実である。しかしながら、「変更」には、理解や納得が必要である。これまで社会党を支持してきた票数は小数ではない。紆余曲折がありながらも、長い間第2党の地位を維持してこれたのも、多くの国民の支持があればこそである。「被爆者援護法」をはじめとして「消費税」「自衛隊派遣」等々、越えなければならないハードルはたくさんあるだろう。その時は、自民党をも含めた政権内の議論をできるだけ国民にわかりやすいように公開し、結果だけポット発表することのないようにするべきである。
政治に「黒幕」も「仕掛人」もいらない。徹底した話し合いを基に合意し実行していく民主的スタイルの確立を、対立から連立へと大きく変貌させた村山政権下でこそ、望みたいものである。(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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