【投稿】社会党は一致して党の危機を突破すべし
---分裂の火種消せない社会党のジレンマ---
<国会閉幕し、社会党の動向が焦点に>
見切り発車・先行離党か、と言われた兵庫の社会党国会議員の離党騒ぎがあったが、新進党の結成が予想通り世論から厳しい評価が出てくる中で、社会党を大きく分裂させないまま、「民主主義・リベラル新党」へと移行させる大きな流れができているのかな、と思われる(思いたい?)のが今日(12月10日)現在の政治状況であろうか。
新進党の年内結成が、小選挙選挙対策と政治改革法に基づく政党補助がらみであったように、新民連の性急な動きも同様であった。「もはや社会党では闘えない」と「国会に如何に戻って来るか」だけを目的とした一連の動きでは、社会党内部どころか国民的にもなんら新しい印象すら与えることはできないことは明白である。
臨時国会が終了した今日、1月中旬の通常国会までの間は、新進党の結成を受けて、むしろ舞台は社会党の党内の動きが焦点となってくる。
<新進党結成に冷たい世論>
12月10日国会議員214名を集めて新進党の結成大会が行われた。国会議員200名を越える政党の誕生は、55年の保守合同・自民党結成以来の事とは言え、国民的な反応は、不信と不安の混じった複雑なものであった。
まず、党首・幹事長選びでは、最後に至って投票による選出が行われたものの、まず小沢幹事長ありき、から始まり、旧新生党内の亀裂しかり、旧自民党の派閥抗争にも似た形だけ「民主的」、中身は派閥争いそのものと国民には映っている。新進党が、小沢や公明の縛りから如何に独立しているかを、示したかっただけ、というのが誰の眼にも明らかだからである。
旧民社党委員長大内はじめ、準備会に参加した225名から、結成時点で12名が不参加を表明し、早くも足並みは乱れている。
さらに、公明は、国会議員だけを参加させ、地方議員(約3000名と言われる)と地方党組織は「分党」と称し、自民党との「再婚」の可能性にカードを確保している。
すでに党を解党した民社、日本新党に至っては、地方組織含めて、新進党に本当に移行することができるのか、極めて疑問である。
聞けば、新進党は、300の小選挙区すべてに候補者を立て、それそれの選挙区を党の支部とし、支部長が小選挙区の党候補者が兼ねるという構想だと言われている。中央で新党結成であっても、地方に至ればなかなかまとまるには時間もかかる。(連合5年目でも故郷に固守している現状もある。まして旧新生党・公明主導が明きらかであれば、この党の今後は極めて不透明と言わざるをえない。)
また、「たゆまざる改革」とは言っても、参加した各党・個人の間に国家観や基本政策において、十分に明確な一致が果たして存在するのかも不安材料の一つとなっている。
なによりも「小沢独裁」が確保されているという事実に、「新」進よりも古い体質を国民は感じている。かつて日本新党が「新党ブーム」を創ったと同じ様なイメージはこの新進党にはかけらも感じられない、というのが国民の一般的な受けとめ方ではなかろうか。 マスコミ各紙も、党首選挙をめぐる報道や新進党結成を報じる中で、むしろこうした本当に「統一新党」になれるのか、数だけの問題で政権奪取をめざす実態に、国民はむしろ「政治不信」を強めていると警告している。
<闘う前に地方で離党・・社会党>
一方の社会党はどうか。残念ながら極めて深刻な事態と言わざるをえない。統一自治体選挙・参議院選挙を前に「社会党の看板では当選はおぼつかない」と、社会党公認より無所属でとか、社会党の来年1月の臨時大会(?)の結果を待ってなど、とにかく候補者と支持労組は動いても、党公認を現時点でも申請しない候補者が続出している。
東京では前回の統一自治体選挙では250名の候補者を擁立したが、現時点でも100名程度の候補者確定に留まっている。全国的にも同様の事態となっており、県会議員候補者がゼロというところもあると言う。
これらの議員意識を生み出しているのが、村山政権の誕生、9月臨時大会での基本政策の転換が「党内議論の徹底」で行われる事なく、「政権党になったから」などの、瓢箪から駒的に決まっていったからに外ならない。(この点では、今号の依辺論文の趣旨と私は同意見である)
<自治労後藤委員長、党内抗争を批判>
国会会期末を控えた12月8日自治労の第105回中央委員会が広島で開催されたが、挨拶に立った後藤委員長は「(社会党の状況について)政権をとって、委員長をトップに送って日本の政治の諸課題に対処すべき時期に、一部の官僚に重要問題をゆだね、ほとんど毎日党内抗争に明け暮れているという現状は情けない。・・・新しい時代の中で責任を果たすべき政治勢力をどう創るか、このことをめざして努力するのならともかく、見方によっては、永田町に帰ってくるにはどうすればいいかを念頭においた出るの、出ないのということはまことに滑稽であり、悲劇ですらある。そんな政治家は去るべきで、政治家の資格はない」と痛烈に社会党内の動きを批判した。
さらに、「①1月の臨時大会で新党結成というのは時間的に無理がある。新しい政治勢力作り、社会党の総括を支持者・国民にしっかりと説明が必要②新しい政治勢力の理念や基本政策、当面の政治課題、中長期的な課題を国民にわかりやすく提示すべきで、国民の支持を求める作業に入ることを臨時大会で決定し、新党準備会スタートを臨時大会で決めるべきだ。③さらに統一自治体選挙、参議院選挙の全党あげた体制をつくり、95宣言についても大胆な議論をすべき」とかなり踏み込んだ発言を行っている。
また、社会党分裂の動きが鎮静化したというのは誤りであり、「何かが起きるとすれば、たぶん密かに、しかも潜行する形で行われることが過去の例である」と、むしろ社会党は分裂をする危機的状況にあるとの認識で自治労は対処すると明言している。
こうした発言は、8日が新進党の党首選挙の日であり、国会会期末という状況の中、社会党の分裂は許さないとの意欲の現れと見るのが妥当と思われる。
<95宣言が示される>
そこで問題になるのが社会党の新しい基本政策である。保守2大政党ではなく、「第3極」の形成を社会党が一致して進めるとの方針の中では、村山委員長、久保書記長とも一致していると言われ、社会党は12月6日、新しい政策の基本である「95宣言(案)」を発表し、12月18日の全国代表者会議で討議し、その後組織討議を行うとしている。 95宣言起草委員会による95宣言草案は、A4で4頁という簡潔なものである。
「(1)はじめに--寛容な市民政党」では、この95宣言は「新しい政治勢力で形成する「民主主義・リベラル新党」に提示され、相互討論を通じて深化・発展される」と、新しい政治勢力のたたき台であることを明確にしている。
以下(2)基本価値と政策目標、(3)新しい社会目標、(4)新しい家庭と男女の社会的平等、(5)教育の改革・文化と宗教の自由、(6)福祉と医療の改革、(7)人権と環境、(8)地域主権の確立、(9)共生型の市場経済、(10)政治の改革、(11)外交・防衛政策の基本、(12)国際協力と国連改革、(13)むすび--新しい政治基盤と国家像、の文書が続く。
特徴的な言葉を拾えば、「新党は・・公正と国際性を重んずる寛容な市民政党」「社会民主主義者は新しい政治勢力の中で重要な役割と任務を果たす」「社会民主主義者の政治・政策判断や社会秩序形成の基準となる基本価値は、公正、共生、平和、創造である」「(新しい社会目標は)ゆとりとバランスのとれた成熟社会の実現を掲げる」「地方分権推進法の制定、自治体の自立した行財政の確立、中央省庁の簡素化と統廃合」「軍備なき世界を人類の究極の理想として掲げる」「自衛隊は合憲とし、段階的な縮小・改編に取り組む」などである。
そして、最後結びでは「日本社会党は結党以来、社会的公正と国際民主主義を求めてきた。この理念は共感を呼び、多くの成果を挙げることができた。しかし、社会主義的な反体制の思考による政策手法は、戦後資本主義のダイナミズムの前では限界があった。・・・・日本社会党はいま、その歴史を「95年宣言」に受け継ぎ、さらに新しい政治勢力を基盤により大きく、より力強く、社会民主主義の翼を広げる決意を表明する。日本社会党は政治・経済・社会のたゆまざる改革を通じて、ここに掲げる基本価値と政策目標を実現し、世界の範となる「新しい平和モデルの国」を建設する」となっている。
<社会党は、新党結成の牽引者となれ>
すでにサイは投げられた感がある。社会党という政治組織は今のままの姿でこれ以上存続することはありえない。問題はその新しい中身であり、姿である。さらに、その政策が国民の支持、もっと正確には勤労者の支持を得られるかどうかにある。
最近の党内抗争のように、単に国会議員の当選第一主義だけを印象づけるような対応では国民の支持は得られまい。また、これまでの社会党支持者からも見放されかねない。
今社会党に求められるのは、少なくとも大部分の現行勢力、国会議員を維持しつつ、新党に移行し、新しく生まれ変わる事であると思われる。(1994.12.11佐野秀夫)
(参考) 11月29日日本社会党の中執内部では以下のことが確認されたと言われている。
①政界再編成の第3極として、「民主・リベラル新党」をつくる
②新党は「新しい党」とする。党名変更ではない。
③新党は既成の政党、政治家の枠を越えて結成する。
④可能な限り広く議論し、とりまとめる。
⑤政界再編の政治状況に対応するため、できる限り急ぐ。
⑥その理念は「95宣言」に盛り込む
⑦12月中に全国代表者会議を開催する。
【出典】 アサート No.205 1994年12月15日