【本の紹介】「スウェーデン・モデル」は何を提起しているか

【本の紹介】「スウェーデン・モデル」は何を提起しているか
       —増税論議と高福祉・高負担問題—

   「おんなたちのスウェーデン  機会均等社会の横顔」、
       岡沢憲芙著、NHKブックス、9月20日発行、980円
   「体験ルポ 日本の高齢者福祉」、
       山井和則・斉藤弥生著、岩波新書、9月20日発行、620円

「スウェーデン・モデル」は崩壊せず
去る9月18日のスウェーデン総選挙で、社会民主党は45.4%を獲得、穏健党(保守)を軸とする保守・中道連立政権の四党を合わせた41%を抑え、三年ぶりに政権復帰を果たした。3年前、91年9月の総選挙で「福祉か成長か」、「高福祉・高負担社会に未来なし」、「スウェーデン・モデルは崩壊した」と叫び、公共支出と社会福祉の削減、移民受け入れ反対、減税と経済自由化を主張して、社会民主党から政権を奪還したブルジョア4党連合が敗退したのである。しかも注目すべきことは、社会民主党は選挙直前の8月末に、雇用増大を公約すると同時に、高福祉高負担社会を維持し、財政赤字を削減するために増税提案を行って選挙に臨み、前々回の得票率(43%)を上回る支持を獲得したことである。社会民主党が、1930年代から政権を担当しなかったのは9年余りだけということになる。同時にこの選挙では、左翼党も6議席伸ばして22議席を獲得。前回は規定の4%を得られず議席を失った緑の党も18議席を獲得、全体に「左翼の風」が吹いたという状況がもたらされたことである。
当面、復帰した社会民主党政権の最大の課題は、この11月13日に実施される国民投票で、欧州連合(EU)加盟に国民の合意を取り付けることであるが、左翼党と緑の党はEU加盟に反対しており、またボルポ、ユリクソンなど大企業4社首脳が増税実施の場合は企業の国外移転を実施すると警告し、社会的危機を煽り立てていることである。政治的力関係も複雑に入り組んでおり、単純ではない。
しかし、税金と負担金の合計が所得の60%にも及び、25%という世界最高の消費税率によって維持されてきた「スウェーデン・モデル」は、保守連合政権によっても突き崩すことは出来ず、国民の多くはその継続と強化をあらためて支持したのである。いくらか変化しつつあるとはいえ、日本の政治状況ではとても考えられない事態である。ここに紹介する二書は、今回の選挙以前の状況であるが、いずれもなぜ「スウェーデン・モデル」が確固として社会に根付き、支えられているかを具体的に明らかにしてくれる。いずれも日本の現実との対比が鮮やかである。そこから日本社会に提起される両者の具体的提言は、賛否相半ばするかと思われるが、傾聴に催するものである。以下、その政策的提言にしほって両書を紹介しよう。

「三つの連帯」

岡沢氏は三つの連帯の必要性について強調する。
「一つは世代間の連帯、自分達は成長と繁栄を享受し、次の世代には膨大な国債のツケを回すという政策はいずれ持続不可能」である、と指摘する。この点については、高齢化社会が差し迫ったものであり、初期高齢化の段階である7%から14%に到達するまでに、スウェーデンは約80年間かかったが、日本はわずか25年間でそれに到達する。具体的な政策課題として、高齢者介護と家族のあり方、ホームヘルパー制度の整備と在宅介護システムの整備、サービス・ハウスや世代間交流を大切にした機能的な集合住宅の建設、生涯学習環境の整備、国民背番号制度の導入とプライバシー保護、そして真の豊かさを目指した労働環境・住宅環境・余暇環境・通勤環境の整備、社会資本の充実及び自然保護、等を上げ、こうした課題について「自分の問題として考えようとしないこうした態度こそが、自己選択・自己決定・自己投資の精神を鈍らせ、合意形成を困難にし、急がなければならない社会資本の充実を大幅に遅らせる重大な理由になっている」と断ずる。
「もう一つは国境線もしくは国籍線を超えた連帯」の重要性について触れ、外国人労働者の受け入れ問題とその福祉体制、在住外国人への選挙権・被選挙権付与という政策的課遭を提起する。
「そして女と男の連帯である。」岡沢氏の今回の著書の重点はここに置かれている。これなくして社会の活性化はありえない。女性環境の整備、女性の社会参加こそが「スウェーデン・モデル」を支えている。日本においても「どういう迂回路を経由しても究極は、専業主婦業界の縮小・解体を進めることになろう。配偶者扶養控除限度額制度の抜本的見直しや廃止、全ての成人が確定申告の対象になる個人納税制度、それに在宅介護専従主婦の有給化などが、いずれ具体的な政策課題となろう」と指摘する。
斉藤氏は、「スウェーデンでは高齢化につれて、女性市町村議員の数が増加してきた。女性市会議員の比率は全国平均で33%(1993年)、女性議員の比率が50%を越える市も誰生している」ことを紹介し、福祉についての大きな権限が自治体に移された社会では、政治家は「地域の顔役」や「名誉職」ではつとまらないし、ましてや男性だけにまかせてはおれないことを明らかにしている。

「税金観から問い直す必要」
岡沢氏はこうした政策課題との関連で、高福祉・高負担の問題を提起する。「日本では先ず、税金観から問い直す必要がありそう。町税金は何でも反対」「間接税増税は公約違反だから絶対反対」。ここからのスタートはしんどい。せめて「増税何でも反対」という未熟な公約を提出する政党の無責任を問うべきかもしれない。「政権を取るまでは財源論は不要」という政党政治こそ問題」と主張する。
山井氏も「福祉充実を訴える以上は、人間らしく老いるために必要なコストを負担する姿勢が必要だ。「行政改革して無駄を削れば、福祉財源は増やせる。新たに負担する必要はない」という意見もある。「行政改革をして無駄を削る」ことには私も賛成だが、そのことと福祉財源を増やすこととは切り離して論議すべきだと思う。行政改革が進まない限り、お年寄りが人間らしく暮らせない、というのは筋が通らない。必要な負担はして、権利として介護を受けよう。そして人間らしく老いる権利も主張しよう」と述べる。
岡沢氏は同時に、「『福祉先進国がそうだから』」では税率アップの根拠にならないであろうし、「公約違反だから絶対反対』では、その程度の政治家を選出した有権者の力量も問われる必要がある。超高速高齢化の到来は誰もが予測できたのであるから。ましてや『政治や行政が信用できないから、絶対反対』といわれると、『高齢者福祉はめいめいが勝手にどうぞ』になってしまう。その末路は余りにも悲惨である。とにかく、<説得・納得・合意>の政治の時代である」ことを確認する。
しかし、日本では増税論議の前提であるこの<説得・納得・合意>がなきに等しきか、完全に欠落しているような状況である。スウェーデンでは、情報公開や情報アクセス権の確率、データ法によるプライバシー保護、新開への公庫補助制度、プレス・オンブズマン制度などの工夫は、倫理間の強い政治業界の風土とあいまって、「見える政治」「開かれた政治」を支え、それが「わかりやすい政治」「納得できる政治」を加速させている。岡沢氏は、「そうでなければ、だれが25%もの間接税を払うだろうか」と強調する。

決定権力は「可能な限り、
市民の日常生活の近くに」

当然、市民と政治の間の、説得・納得・合意という手順が、負担と貢献の意欲につながることはいうまでもない。とすれば、決定権カは「可能な限り、市民の日常生活の近くに」というのが大原則にならなければならない。分権が当然の帰結なのである。
岡沢氏によれば、現実にスウェーデンの自治体パワーは大きい。消費量でGNPの19%。これはパブリック・セクターの全消費の71%に当たる。「小さな中央政府・大きな地方政府」のフレーズ通りである。歳出はGNPの25%。これはパブリック・セクターの全歳出の39%に当たる。そして、雇用については労働市場の27%。これはパブリック・セクターの全雇用数の72%に当たる。多くのコミューンでは、最大の雇用体がコミューンそのものとなっている。地方自治体の収入の大部分は地方税と国庫補助金、それに料金収入である。1991年の税制改革で年収約20万クローナ以下の所得層は約30%の地方所得税だけでよくなった。それ以上の所得層はそれに加えて20%の国所得税を納入する。給与所得層の約10人に二人弱くらいしかこれに該当しないので、多くの市民は地方税だけということにな
る。税制自体も地方重視になっているのである。
斉藤氏によれば、現在スウェーデンには23県(ランステイング)、286市(コミューン)が存在する。市は大きな自主財源と権限を持って、生活関連サービスを担当している。市の平均人口は約3万人である。市は自主財源を持つので、固からの補助金がなくても、市民のこ-ズをいち早く施策化することができる。
そしてこれは重要なことだと思われるのだが、スウェーデンの地方議員のほとんどが「兼業議員」である。圧倒的に多いのは、政党を問わず、教員で市職員、サラリーマン、民間労働者、医療福祉関係者と続く。政治家としての給料は、公的な会議へ出席した時間で計算される。ベタショー市(スウェーデン南部、人口7万人)の場合は、時給130クローナ。市議会は月に一度、各委員会の会議が毎週あるとしても、議員だけの給料ではとても生活できない。(1クローナ=約13-14円)
斉藤氏は、こうしたことによって「現場の声が政治に反映されている」というよりも、むしろ「現場の声が政治を動かしている」と指摘する。
以上、両書のごく一端を紹介したに過ぎないが、それでも現在の日本の状況からすれば、充分に刺激的な問題提起と言えるのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.204 1994年11月15日

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