【投稿】映画「マルコムX」と「ASSERT」

【投稿】映画「マルコムX」と「ASSERT」)

映画「マルコムⅩ」を観た。久しぶりの感動を味わった。一緒にみた職場の仲間と感動の余瀕に酔いしれるほどであった。スパイク・リー監督自身が映画の上映前から売り出していた「Ⅹ」のロゴをつけたTシャツなどのマルコムⅩグッズまで買ってしまった。
クリントンも大統領戦のさなか、Ⅹ帽子を被ってジョギングをしていたという。
映画は冒頭から鮮烈である。昨年のロス暴動で大問題となった、白人がよってたかって黒人を投打しているロドニー・キング暴行事件のビデオが登場し、アメリカ国旗が燃えながら「Ⅹ」の文字に変わるシーンに、「・・・われわれは民主主義をみたことがない。
われわれがみたのは偽善だ。われわれが体験したのは悪夢だけだ。‥・」というマルコムⅩの演説がそれに重なる。39歳の若さで凶弾に倒れたマルコムⅩが生きた1940-60年代当時のアメリカ社会の現実と、90年代の現在が実はそれほど変わってはいないのだということを実感させる。だからこそ、スパイク・リーは、この映画の製作にこだわったのではないか。監督を始めスタッフをすべて黒人にしてこそ、「マルコムⅩ」を世に出す意味があると彼は考えたのである。
本来、黒人映画、白人映画と分けるのは前向きではないと思うが、残念ながら、アメリカの現状、南アフリカ、ヨーロッパ、そしてアジア、この日本においても、「人間、みな兄弟」になりえてはいない厳しい現実がある。映画に繰り返し出てくる迫害の画面は、一つ一つ胸に突き刺さる。まだまだ自分の限られた周囲しか見えていなかった己の不明を恥じるとともに、若い世代の人達がマルコムグッズに引かれてでもいい、映画館に足を運んでくれたらと思った。
4月6日の朝日新開(夕刊)に「映画『マルコムⅩ』にかけおちた欠け落ちた視点-かっこ良さ全面実態不十分」と題する本田創造氏(桜美林大副学長、アメリカ社会史)の評論が載っていた。スパイク・リーに共感している私としては、「実態不十分」に少しカチンときて、記事を読んだ。本田氏は、監督の力作を讃えながらも、「白人が作り上げた、固定的なキング師との対比」を突き崩すことができていないこと、「2人の相似性」の解明に迫りえていないこと等の問題提示をしている。この提示は、真撃に受け止めるべき内容を含んでいるし、氏は決してこの映画をけなしているわけではないと理解しつつも、私はあえて再度、スパイク・リーの健闘を称賛し、「黒人の、黒人のための、黒人による」映画製作という所期の目的は果たすことができたことに賛辞を送りたい。そして、より多くの人に、映画「マルコムⅩ」を観て頂き、共に考えたいと思う。
「マルコムⅩ」を観た後、本紙の「ASSERT」への名称変更について考えたのですが、受け身的、既成的観念にとらわれず、「主張する」ということの能動的、積極的参加の必要性を前に出している点で、大いに賛同したいのでありますが、何しろこれでは一般に理解されないし、首をかしげさせることになるのでは、という危惧があります。そこで、平凡ではありますが、いくつか提案したいと思います。「変革フォーラム」、「主張の広場」、「変革NETWORK」、「フォーラム連帯」、「トークプレス」、「論点」、「論壇NETWORK」、「オープンフォーラム」、「生き生きフォーラム」、等々、きりがありませんね。この際、これまでに提案されたもので投票に付したらどうでしょうか。 (大阪・田中 雅恵)

【出典】 青年の旗 No.186 1993年4月15日

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