【本の紹介】いま、なぜネオナチか? 「社会主義の崩壊」が突さつけるもの
『いま、なぜネオナチか?』B・ジープラー著、三元社、1992.12.25、2300円
『ナチス裁判』野村二郎著、講談社現代新書、 1993.1.20、600円
<「代々木公園を日本人の手に取り戻せ!」>
朝日新開4月7日付けによると、「ビザ切れ不法残留外国人を日本から追い出せ!」、「代々木公園を日本人の手に取り戻せ!」などと書かれ、中央にはナチスのハーケンクロイツ(カギ十字)が描かれたビラが東京や埼玉で目だってきているということである。「国家社会主義同盟」などのグループが電柱などに数千枚規模で張り出している。軽くあなどれない危険な現象である。
従来から西ヨーロッパでは、極右民族主義、ネオナチズムが各国において「国民戦線」といった形態をとって一定の勢力、しかも無視しえない勢力を保持してきたことは周知の事実である。しかし南北間の格差に加えて東西間の格差、冷戦体制の終焉にともなう世界のボーダーレス化、旧社会主義圏の混沌状況のなかから、大量の難民の増大と移動、民族間抗争がこれまでになく激化してきており、これらを背景に人種差別主義や排外主義、民族主義的扇動と外国人排斥運動が公然とまかりとおり、多くの大衆の支持を受けるという事態が現出している。日本における事態もこうしたことと無関係ではないし、過去の歴史において「日独伊反共枢軸」、「鬼畜米英」、「アジアの盟主」をスローガンにナチスと同様、あるいはそれ以上の犯罪的行為を犯してきただけに警戒を要することではないだろうか。
<なぜ旧東ドイツでネオナチが?>
ここに紹介する「いまなぜネオナチか」という本は、そうした意味でこれまでの反戦、平和、社会主義を掲げてきた運動のあり方を根底的に反省し、問い直す好著といえよう。ナチズムとの徹底した戦いを通じて形成され、それを国是としてきたドイツ民主共和国(DDR)において、「どうして、反ファシズムの抵抗運動家たちの手で建設され、反ファシズム的な自己理解を持っていた国で、人種主義や反ユダヤ主義がふたたび生みだされることになったのだろうか?」というのが、著者の問題提起である。 ネオナチの活動は東西両ドイツで活発化しており、選挙においても多くの得票を獲得しているが、とりわけそれが旧東ドイツにおいて顕著である。ミュンヘンのドイツ青少年研究所とライブツイヒ中央研究所が90年夏に実施した東西両ドイツのドイツ人生徒アンケートの結果は以下の通りであった。
ファシズムについて
東 西
本当は「よいこと」だが「やりかたが下手」 13% 13%
アドルフ・ヒトラーを賛美 15% 13%
もうファシズムで恥じる必要はない 37% 35%
強力な手でドイツを統治する指導者を再び欲しい 16% 7%
ドイツ人はいつだって歴史の中で一番偉かった 33% 16%
「多くの外国人」は邪魔だ 42% 26%
この調査報告は、「東ドイツの大都市の男子上級生徒の無視できない少数派と、西ドイツの基幹学枚生徒の一部は、信念と判断が右翼思想に傾いていて、ナチズムの思想にきわめて近い」と結論している。
さらに東ドイツ自身が88年12月に行った調査報告「青少年の政治的歴史的態度1988年」によると、生徒の37%が歴史が嫌いな理由として「もう十分に開いたから」という「食傷現象」をあげ、「たとえば労働者階級の闘争の話になっても特に感動はしない。だって1年生から10年生まで、いつも同じことばかり労働者の活動について開かされるから」と答えている。
「ファシズムなんてなんの興味もない」、「ファシズムのことなんてもう開きたくない」という意見に上級生徒の約4分の一が賛成している。これは旧東ドイツの「調査団」にとっで愕然とする結果だった。
<自己批判の欠如とセクト主義>
著者の態度は冷静である。「これまで西ドイツの極右主義に格別の注意も払わず、その原因を西ドイツ社会の体質に探すことなど夢にも考えたことのない連邦首相コールから連邦内務相ショイブレまでが、今では
もっぱら、東ドイツ「自家製のネオナチズム」を話題にし、現実の社会主義の崩壊を、社会主義に一切の「悪」の責任を負わせる口実にしていることには注意した方がいいだろう。人種差別的な排除行為は双方にあり、外国人労働力と難民の扱いでは東西にさしたる違いは見られない」と指摘する。そして「現実に存在した「DDRマーク」の社会主義に関する批判が必要である。その際肝心なのは、ドイツ民主共和国を反ファシズムの牙城にしようとしたDDRの建国の父たちの努力や意欲を否認することではない。むしろそうした計画が、早々と妨げられてしまったことが問題なのである。「冷戦」と、西側の脅威にさらされるDDRの現実の状況とによって、自国民に対する不信感があおられ、一息入れて過去を修正するいとまもなく、抑圧的な構造を強引につくりだしてしまった。」ことを問題とする。
そして何よりも、「労働者階級とドイツ共産党の反ファシズム抵抗運動が過度に賛美されるようになった。反ファシズム運動の中核は「マルクス=レーニン主義政党に指導された労働者階級でしか」ありえなかったとされる。労働者はまるで生まれつきナチ・イデオロギーに対して免疫があったかのように、反ファシズムの闘士の神話を授けられた。「人類の歴史上もっとも革命的な階級」がナチ・イデオロギーに染まりやすかった事実はタプーとされ、ナチ党が32年7月の選挙で勝取った1300万票の背景は問われなかった。33年の労働者階級の敗北はけっして問題にされず、むしろナチズムの勝利はSPD(社会民主党)の責任だとされた。ナチ体制のテロは「もっぱら共産主義者に」向けられたとされた。ユダヤ人については一言もない。」、そして「社会ファシズム論についての反省、39年8月のヒトラー=スターリン協定を共産党が支持したことも、最優先させるべきは「強盗のようなイギリス帝国主義」との願いであって、ドイツファシズムとの闘いではないと」とのべたことについても一切の自己批判も反省もなかったこと、そしてそうした問題を真剣に取り上げ、社会主義本来の民主主義を獲得しようとした人々を秘w-警察の網の目の中で反体制派として抹殺してきたことが根本的な問題として指摘されている。
<日本とドイツ>
もう一つの本「ナチス裁判」の著者、野村二郎氏は、旧東ドイツ最高検のプシビルスキー検事を何度も取材しているが、その際同検事は、「わが国ではナチスを徹底的に破壊する目的意識をもって裁判を行なった。裁判のほかにファッショを絶滅させるために国民がどう取組むべきかを教育し、ファッショは民主社会における犯罪であることを徹底して教え込んだ。したがって、わが国でナチスが復活するような愚かな事態の再来は絶対にない」と断言していたのである。
しかしB・ジーグラーが指摘するように「東ドイツでは、非ナチ化が西ドイツよりも徹底していたし、またそれだけにかなり欺瞞的だったにもかかわらず、おそくとも冷戦の開始と同時に、反ファシズムが体制を正当化するために利用され、濫用もされた。反ファシズムは内容がからっぼになり、「国家による指示」となり、国の宗教に祭り上げられた」ことが今日の事態をもたらしたともいえよう。
野村氏が「ナチス裁判」の最後で、「戦前、戦中の日本人の国民感情も、当時のドイツの人々と大きな変わりはない。大和民族の優越性を誇り、「東洋の盟主」と自賛、植民地や占領地の人たちに対し、民族的偏見を持ちながら蔑視や迫害をしたばかりでなく、軍隊に召集したり、徴用して激しい労働を課したことは隠しようもない事実だ。戦争犯罪の処理について、日本とドイツの違いは、日本は連合軍による裁判ですべて終り、ドイツはドイツ人自らも容疑者を裁いてきたことだ」と強調している。ここには大きな違いがあるのではないだろうか。両書は、決して過去の出来事ではなく、現在の課題を提起しているといえよう。
(生駒 敬)
【出典】 青年の旗 No.186 1993年4月15日