【投稿】混迷する政局に思うこと

【投稿】混迷する政局に思うこと
                 — 連立政権時代の新たな対抗軸を求めて —

今日12月14日現在では、選挙制度改革をはじめとする政治改革の行方は、コメ問題そして所得税減税や景気対策など国際的にも注目される重要案件の中で、正直に言って良く見えない。社会党の動き次第では連立内閣解消、総選挙ということも決して否定できない状況にある。
私は、細川連立政権を支持するものだが、若干混迷した情勢のなか、独断を承知の上でいくつかの点について私見を述べる。

<連立政権をどう考えるか>
細川連立政権を考える前に、今はどんな時代状況なのか、について触れてみたい。89年の東欧の民主化、91年のソ連の解体の流れは明かに歴史的とも言える変化を生み出した。これまでは社会主義と資本主義の対立、東西の対立が日本の政治をその深部で規定していたが、その構造そのものが解体した。日本では今年7月の総選挙によって自民党政権が倒れ「55年体制の崩壊」が語られた。そして、細川連立政権が誕生した。
しかし、現時点でも「55年体制」に替る、「新たな対抗軸」がまだ明確に見えてこない時期ではないか、と私は考える。見えていないのは、政治家であり、また国民であるが、また、見ようとしていないわけではなく、見えつつあるが、はっきりと姿を現していないともいえる。少なくとも細川連立政権の「実験」のなかで、国民の目にはっきりと見えてくるものがあると思っている。
対社会主義という政治の粋が取り払われた後、アメリカでは若い民主党大鹿領が生まれ、日本では昨年7月の政権交替が起こった。日本の国民の選択もまた同様に、ゼネコン汚職まみれの自民党にNOという意志表示を行なって、変化に対応できる政治、新しい政治を求めたのである。自民党が分裂し、新党が生まれ、連立政権が発足した。
連立政権は、まだ生まれて4カ月の政権であり、従来の自民党政治の継承を行ないつつ、政権発足にあたっての「8党合意」だけで出発をした。連立政権として極めて基盤が弱いという気がする。しかし、変化を求めている世論が存在するかぎり、連立政権は維持されるが、実際に変化を生みだせない政樵はいずれ国民から見放される。そんな気持ちで私は連立政権や社会党を見ている。
社会党が「新たな対抗軸」を政策と共に、運動として獲得することができなければ、未来は厳しいものになるに違いない。

<自民党、社会党に共通する苦しみ>
新たな対抗軸がはっきりしないけれど、過去の対抗軸の喪失状況の中で、依然として過去の対抗軸を持ち続けている政党こそ、現在生みの苦しみかあるいは、断末魔の苦しみの中にある。
自民党という政党が、政権党から転がり落ち、新党が生まれ、保守的意識の国民からは「保守の選択肢」が増えた。保守系無所属という言葉もさらに一様では無くなる。いかなる主張を持った保守かが問われる。
主張のない単なる保守というのは、東西対立の時代、自民党一党政権の時代には有り得たが、これからはありえない。主張のない保守は単なる「民族主義者」または「利権屋」ということになる。
自民党も野党になれば、つい半年前までの社会党のような「抵抗政党」のスタイルしかとれないでいる。
「コメ自由化絶対反対」「国会決議を守れ」というように。
社会党も残念ながら、同様に旧来の対抗軸=「反自民」だけの看板ではその成立ちすら危うい。保守与党への反対政党であるだけで支持が得られた時代はもはややっては来ないことを肝に命ずることこそ必要である。残念ながら社会党は、その努力を一貫して行なって来なかった。
党の主張と連立政権の政策との間には、必然的に乖離が生じる。それがわからない議員など「政治家」に値しない。自民党の利権議員とは違った形で、一部の労働組合や団体の利害にのみ存在する議員は国政に責任を持てるはずがない。こうした議員こそ、社会党の中に多い。土井旋風で続出した市民派議員は7月の総選挙で軒並み落選し、社会党への逆風の中で辛うじて当選した現職の議員はなんとか、こうした組織票の頼みで当選したわけだから、一層これらの団体の利害に忠実に、すなわち「保守的」にならないと、生き延びられないという抜き差しならぬ状況にあるのではないか。
政権与党と抵抗政党的体質の確執、社会党にも新たな対抗軸は明確になっていない。

<選挙制度での修正、コメ問題での決断の背景>
コメ問題で細川連立与党側が部分開放を決める中で、党内の反対の根強い声にも関らず、最終的に社会党がコメ部分開放の決断をせざるをえなかったのは何故だろう。私は以下のように思う。93宣言という新しい「党の立場」を決定する前に、7月の総選挙が行なわれ、突然政権政党になった。それも議席半減という代価を支払って。しかし、社会党の支持率は低下する一方である。小選挙区比例代表並立制の与党案の修正及び採決の問題、またコメ部分開放決断の過程に見られた事実上の分裂状態をみれば、だれが社会党に票を投じようか。自民党政権の時代、社会党は幅広い国民政党だと自慢していた体質が逆に、国民に分裂と映る状況になってしまっている。
そういう現実であるからこそ、衆議院70議席という与党第1党という立場は絶対に守らないことには、次は有り得ないという認識を社会党幹部は持っているだろう。次の総選挙を新しい選挙制度で、さらに連立与党の統一会派で戦わない限り、社会党と言う政党をすくなくとも維持することすらできなくなる可能性が高い。次の選挙を必ず新制度で実施し、かつ連立与党での小選挙区候補者の調整をする、この時までに、社会党の「93宣言」など新しい政策・活動スタイルを創りあげるための時間を稼ぐ、ということが、現実問題として求められる。そういう意味で「連立政権を守る」ために、党の従来の方針と異なっても連立与党で有り続ける、という社会党の現在の選択を私は是としたい。
ただし、この選択が正しかったという結果に結び付くには、ふたつの条件が有る。ひとつは今国会で選挙制度改革が実規し、連立政権が維持されること。ふたつには、次の新しい選挙制度のもとでの総選挙が行なわれるまでに、社会党のマイナスイメージを転換し、新しい対抗軸を確立するである。
「政治改革」実現までの間、連立各党は、社会党との連立解消、また自民党との連立を選択することは、おそらくできない。総選挙があれば別である。自民党が再分裂した場合なら考えられないこともない。そうして見れば、ひとつめは実現の可能性が高い。問題はふたつめの社会党改革の問題である。

<自己主張なき政権擁護は墓穴を掘ることになる>
コメ部分開放決断にあたっての社会党村山委員長の説明は、現時点では党を維持したままの改革が極めて多難であることを示している。部分開放には反対だが、連立政権を維持するためなら、止むをえないと。私はコメ開放に賛成であるので、結論には賛成であるとしても社会党を支持しつづけることは、考え直したくなる。
コメ開放問題が政権の存続まで決定しようとしている時、こうした曖昧な態度は国民からは「大臣病」との非難を受けざるをえないし、党の「主体性」論者からの政権埋没論に対抗できない。むしろ、大多数の都市勤労者からの支持を得ようとするならば、部分開放を明確に支持しつつ、日本農業の存続について政策提言を行なうがよい、一時の批判を甘んじて受けるがいい。閣外に出ると言うなら、すっきりと出るがいい。勤労者にわかりやすい形で、総選挙を戦えば良い、その方がいいのである。ところが、今回のような「党内事情優先」「政策不明」「政権優先」「具体的政策提起なし」という曖昧な態度だけならば、例え会期延長によって、政治改革やコメ問題に決着しようとも、党としての体裁すら無くし、国民からは見る影もないものになってしまう可能性がある。

<国際的視野を持った、政策政党へ>
今、政党に求められているのは、21世紀を生きる日本人は、世界の人々とどのように接し、どんな仕事をして、どんな暮らしをしていくべきかを全体として明かにして、そのための政治、経済政策を総合的に示していくことだと思う。残念ながら、社会党は言葉の上でも行動の上でも「党の主体性」として明確にできていない。
平和/人権/環境と言葉でいうことは簡単であるが、社会党のイメージとは結び付かない。93宣言のような、難解な文章でなく、国民にそうした変化を示すことが必要ではないか。
文章で言うのは簡単なことかもしれない。すでにこうした意見はこれまでの「旗」にも出されてきた。しかし、今回の連立政権の成立を受け、言わば社会党が、袋叩きのような状況にあるなかでこそ、「改革」が求められているのではないか。
(大阪・佐野秀夫)

【出典】 青年の旗 No.193 1993年12月25日

カテゴリー: 政治 パーマリンク