【投稿】続・街頭日記
梅雨真っ盛りである。毎日うっとうしい日が続き、気分も滅入ってくる。元来が出無精な私のような人間にとっては、こんな時期は仕事も早めに切り上げてさっさとうちに帰り、推理小説でも読んでいたいところであるが、梅雨入りとほぼ時期を同じくしてそれ以上にうっとうしい事態が持ち上がってしまった。梅雨時のカビと同じで放っておいたら取り返しのつかないことになりそうなそいつの名前は、言わずと知れた「PKO法案」である。
現在6月13日の午前1時である(つけっぱなしの我が家のテレビは衆議院の牛歩の模様をまるで静止画像のように映し出している)。「青年の旗」7月号の締切は既に数日前に過ぎているが、締切日を延ばしてでもPKO法案反対の市民の行動についての報告の第一報をタイムリーに掲載したいとの要望があり、急遽私が駆り出されることになった。時間がないので皮相で散漫な報告しかできないが、マスコミからは全く黙殺された労働者、市民の聞いの中から気がついたことを列挙してみたい。
PKO法案反対の運動は、「憲法違反のPKO法案を廃案
にする全国実行委員会(以下全国実)」を中心に、連日展開された。まず、全国実発行の「日刊緊急通信」から、主な見出しをひろってみよう。
「許すな強硬採決 全国から国会ヘー土・日緊急動員体制の準備を!」「“可決”などされていない!質疑打切りすら無効のうちに散会しただけ 空前の暴挙に6/5緊急国会包囲で対決を」「違憲の三党修正案反対、自公民の暴挙糾弾」「座して死を待つよりも起って反撃へ 社党議貞総辞職断固支持、国会解散へ追い込め!」
日増しに激烈さを増していくタイトルは、市民の怒りを反映したものであった。参院特別委での強行採決に端を発したまさに風雲急を告げる事態については、多くを語る必要はないだろう。しかし、マスコミが報じるのは-おそらく強い報道管制が敷かれているのだろうが一院内での牛歩戦術の模様のみで、それもほとんどが批判的、さらには揶揄し、茶化したような内容のものであった。院外での市民の行動についてはいわずもがなで、ほほ完璧に黙殺されていた。集会、デモに貼り付く報道陣も実に寂しく、それも取材ではなく、資料映像を確保するとさっさと引き上げてしまうというものであった。しかし、情報を制限されながらも、法案に反対する市民の数は日増しに増えていく。運動の輪は広がっていく。
連日の行動にも関わらず、目減りするどころか拡大していく市民のエネルギーに、いまさらながらその機動力と腰の強さを実感させられる。集会の開始を待っている間、私の近くで固まっていた数人のグループの会話-(事情通らしいおじさん)「どうやら国対委員長会談で社会党が自民党に抱き込まれる恐れがあるらしいぞ」(もう一人のおじさん)「コクタイってなんだい?」-ともかく反対だからここにやってくるという人々の力は誠に頼もしい。
私が参加したのは6月7日の日市連主催の渋谷駅頭デモ→国会座り込み、請願行動、8日の請願行動、9日の社会党主催の集会、11日の請願行動、12日の全国実主催の集会である。7日の請願行動に応えて、社会党議員達は「私たちは最後まで体を張って闘います」と勇ましい傲を飛ばしていたが、その日の深夜の参院本会議(しかも肝心のPKOの採決の場で)において、社会党は牛歩を取り止め、何だか肩すかしを食わされたような気分になった。これは私だけの感想ではなかったらしい。翌日の社会党主催の集会において、田辺委員長の挨拶に対して会場から「本当に闘えよ!」とヤジが飛んだり、国対委員長の「あれは当初からの方針であった」という発言がかえって集会をシラケさせてしまったりしていた。こうした危機感はその日以降の行動の雰囲気を若干変質させてしまい、デモにおいても「社会党は最後まで頑張れ」というシエビレッヒコールがヤケに多くなり、それに呼応するように「裏切ったらあとが怖いぞ!」「絶対に日和るな」とヤジが飛び交うようになってしまった。
市民の運動は正直である。誰かに対して気を使う必要がないため、その場の気分が如実に雰囲気を支配する。これは誰かに命令されてやっているのではない自主的で自立した運動としての積極的な側面を持っているだろうが、肝心実のところで結局社会党に頼るしかないという一方での自立の限界性をも現している。そして市民の期待を一身に受け、吸収し、社会党は牛の歩みを続けていく。そして市民は危機感を募らせ、集会には会場からあふれるほどの人々が集まってくる。
行動に参加して一番感じることは、仕事帰りに個人で参加してくるサラリーマンの数のあまりの少なさである。私にとってご同輩ともいえる未組織のサラリーマンたちは沈黙を続けている。反対なのか賛成なのかもはっきりしない。であるならば、その声を開くために永田町ではなくて、もっと人間のいる場所に打って出るべきだったのかもしれない、夕暮れ時や日曜日の国会周辺には活動家と警察権力しか存在していないのである。
収拾がつかなくなりそうなので、そろそろ筆を置こうと思う。緊急の第一報であるのでご容赦願いたい。第二報を行う機会があったらもう少しまとまったレポートをしていきたいと思う。
【投稿】メディアは何を伝えているのか?
PKO法案をめぐり国会は山場だ。かずかずの行動が取り組まれ、傍聴へも多くの人がつめかけている。特別委員会の審議打ち切りと手続きもはっきりしない中での採決があり、参議院での反対派の牛歩での抵抗、そして採決。
この法案をめぐって労働組合での議論や討論はどれほどあったのだろう。そうした組織の中にある人はともかく、かやの外、国会外の人は?
牛歩で二日目ともなると、「どうせ通過するのです」「牛歩は民主主義に反する」などとTVキャスター・アナウンサーは主張し、日頃にない自己主張ぶりを徹底している。もちろん反対派への直接取材はない。このひとことが与える影響ははかりしれない。大手新聞の社説もTVのこのリアルなひとことにはかなわない。PKO法案をめぐって何が起きているのかを客観的に視聴者に提供しない。
面白かったのは、朝日新聞が報じた参院特別委員のメンバーである議員の地元での様子である。後援会幹部が、「先生がそのようなことをなさっているのもまったく知りませんでした」というような報道であった。これが「民主主義」の実態である。もちろんだからといって「国民」の政治選択の責任がなくなるわけではない。一票を投じたのは「国民」である。
これは反対派も賛成派も同様であるが、やはり「民主主義をいかに貫くことができるのか」(実践的)が重要な問題である。現実には、この点で妥協してしまっているのではないだろうか?納得、満足している人はいるのか?現状で上程されている「PKO法案」は、当初の法案からかなりの内容の変更があったにもかかわらず、「審議をつくした」というのは暴論である。自衛隊員からも「わたしは海外へいくために隊員になったのではない」という意見が寄せられているという。そもそも憲法問題もあるこの法案をこのまま通過させて、いったいどのような整合性と大義名分の「国際貢献」をできるのだろうか?法案は通過しても「何もできない」事態が待ち構えている可能性もある。この法案こそ「国民的合意」が必要ではないだろうか?湾岸戦争での「機雷撤去の掃海艇派遣」でもそれは示されたのではないだろうか。
【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日