【巻頭】1991年にあたって

【巻頭】1991年にあたって

<反独占民主主義路線の革新と一層の発展をかち取ろう!>
我々の組織とその周辺の人々は、1970年代以降に学生運動を経験し、「平和と平和共存、反独占民主主義、統一戦線」の旗を掲げてきた。これらは政治的なスローガンとして現在も十分に有効であり、ますます、その実現が現実的となっている。
平和を求めることが第一義的であることは、湾岸戦争の現在も明らかである。
戦後の冷戦政策の時代、ベトナム戦争反対の闘いから全欧安保、80年代欧州での反核運動の大きな高揚をへて、全面軍縮、東西の共通の課題としての核軍縮、そして通常兵器の削減に至る過程は、こうした平和を第一義的に追求してきた我々の路線が正しかったことを証明するものである。
さらに、反独占民主主義と一般民主主義闘争を重視してきたことも我々が「革命あそび」に陥るのを防ぎ、労働運動をはじめ部落解放運動や在日韓国朝鮮人の反差別の闘い、障害者解放運動・市民運動など様々な民主主義運動に多くの活動家を送りだしてきた。民主主義を実現すること、運動の過程・組織運営においても民主主義を貫くこと、党派の利害を大衆運動の利益の上に位置付けないことは、我々の「党派性」であり、理論の域ではなく、むしろ思想として我々の体の一部と言えるものである。
統一戦線については、運動を組織する原点である。現在の日本の政治状況を見ても、反自民・反独占で一致する勢力の統一、統一行動の必要性はますます労働者・市民の認識となっている。一昨年以来の参議院での保革逆転という政治状況は、平和や勤労者の生活向上のための具体的政策をめぐって、一層革新の側の統一を求めている。

<新たな政治の激動と民主勢力の前進のために>
今世界と日本は、今までにもまして全てが絡み合い、相互に影響しあいながら、様々な課題の解決を巡って、進歩の側と保守的な勢力の攻めぎ合いの舞台となっている。
今回の湾岸戦争では、単純な侵略主義のイラク対平和主義の国連・多国籍軍というような明確な色分けは不可能である。クウェートへの武力侵略は断じて許せないものであるが、中東の中の富の配分の格差は過去の植民地支配の結果というべきものである。アメリカ・多国籍軍の武力行使の開始は決して「和平」を求める声に応えるものではなかった。
アラブ・イスラムの中での解決は、いかにハイテク兵器を駆使してもそれだけで解決することは不可能であろうし、このままでは戦争の長期化は避けられない。
ハイテク兵器の駆使は、膨大な戦費となり、ブッシュは日本に負担を強く求めている。90億ドルの援助は、おそらく軍事的費用に充てられるであろうし、和平に役立つものではない。湾岸戦争と日本の関係で言えば、日本の平和外交、そのビジョンが問われている。
経済力に追い付かない国際的な外交姿勢に対する国民の眼は鋭く、新たな政治的対立の課題となることは必死である。自衛隊の海外派遣も昨年の「海外協力法」の破産の経験から、憲法論議を抜きに強行するならば、国民の大きな抵抗が待っているだろう。
我々は、職場地域から平和を守り、即時停戦、日本の戦争への荷担の中止を求めて行動を起こして行かねばならない。

91春闘の準備が進められ、連合結成2年目の春闘が闘われる。5年を越える高景気の持続という中で、時短と賃上げが大きな課題である。特に、労働者間の格差の縮小、土地・住宅・高齢福祉対策など政策的な課題も重要である。
また、高景気の労働力不足の中で、一面で労働条件は自然と上向いている。しかし、労働者の権利という面からは長時間労働、変則的勤務形態の増加、無権利状態の労働者の増大という現実もある。制度政策要求を強め、連合の力を本物にしていく必要がある。
また、労働組合の体質も新たな革新が求められている。言い古された組合民主主義ではあるが、官僚主義と保守的体質はまだまだ根強いものがある。
我々は、労働者の組織の強化と生活の向上のために一層奮闘するものである。

平和・人権(民族的権利も含む)・民主主義・環境問題は世界共通のキーワードとなり、国を越えて、人々の運動は結び付き、意見を闘わせ、連帯することを求める。

<社会主義の惨めな現実とその精神的衝撃>
国際的な問題に眼を転ずればここ2年間で劇的な世界の変化が進行してきた。
特に、ソ連・東欧の問題では、不安と失望的な感想抜きに語れないような現実がある。
85年にソ連でペレストロイカが開始された。最初は、政治的な民主主義のレベルであった。過去の社会主義の暗部というべき事実が公表され、過去の指導者への批判も行われた。もちろん、経済の停滞、社会の停滞、というなかでペレストロイカ(加速化)のための、党と国家、政党と行政機構の整理も提起されてきた。こうしたソ連の自己切開、改革の流れの中で、東欧の民主化は準備され、89年の秋一斉にに解き放たれた。
そこで、明らかになったことは、我々が世界の三大革命勢力の一つとして学んで来た「社会主義世界体制」の非民主主義的実態であり、ロシア革命以来70年を経た社会主義の惨めな現実であった。
理論的にどう解釈するか以前に、精神的ショックこそが我々を捉えたのである。
そして、社会主義の現実とともに、党、政治の問題も同様であった。東欧では共産党は姿を消し、社会民主主義の党がとって替わった。「民主集中制」「プロレタリアート独裁」「党の指導性」云々の理念は理論的にどうあれ40年間も「社会主義」の下で生活してきた労働者市民によって事実上否定されてしまった。
こうして、少なくとも我々にとってここ20年間運動の基礎と考えてきた社会主義をめぐる理論的な事柄が新たな検討の対象であることは、共通の認識となっている。
労青は自己を党と自己区別をしてきたし、MLを学ぶものと位置づけてきた。
民学同がそうであったように、労青も民主的青年組織の位置づけを逸脱したことはなかった。確かにそうなのだが、民主主義こそが社会主義の入口であるという意味で、我々の組織は世界の進歩的勢力としての社会主義を信頼(!)してきた。
平和と民主主義の勢力として、世界の平和を求める人々との連帯を掲げつつ、根底的には社会主義の存在を抜きに平和は語れないという意味で、社会主義を身近に感じてきたのである。
社会主義の崩壊とも見える現実はけっして他人事ではなく、我々自身の問題と捉えたいし、深刻な問題として我々自身の前にある。
我々の仲間は、自らの問題としてソ連・東欧の激動を見てきた。評論家ではなく、共にこの時代を生きていく、切り開いていく同志として。
我々に求められているのは、根本的な問い直しをけっして焦ることなく行っていくことである。この過程は、誰かが答を用意するのではなく、各人の学習、検討、組織的な討議を通じて進められねばならないし、討議の枠は従来の狭い枠に留まることはできない。

<我々の認識についての反省>
理論のレベルに至る前に、我々の認識の仕方の中の教条的な面、党派性の名の下にあった固定観念についてはこの際、徹底的に整理すべきであろう。我々自身は、ソ連・東欧の国内的に否定的な事実、人権と民主主義の面から同意しがたい事実が歴史的にも、現実にも存在することについてそれなりの認識はもっていた。しかし、帝国主義に反対し、世界の平和と民主主義を守る社会勢力としての社会主義国家・体制としては、我々の側にあるという認識をもってきたのである。
しかしながら、東欧の社会主義の現実や、ソ連に於て30年代以降スターリンと国家が人民に対して、党の重要な活動家にたいして行ってきた粛清の現実、民族政策のあやまりなどについて、我々の問題意識にあったとしても、議論や研究の対象としては十分に捉えていなかった。それは、根本的には社会主義における民主主義の問題であった。
帝国主義と社会主義という世界体制の問題とその国内での非民主的体制と言うものを統一的に捉えることが出来なかった。社会主義は守るべきもの、「母なるロシア」の認識はアプリオリなものであった。
すでに、ソ連では大量の歴史的文書、いままで公表されなかったものが公表され、あらゆるものが批判・研究の対象となっている。事実を事実として公開し、批判・研究の対象とし、議論できるという良い条件が整いつつある。われわれも、「事実」を事実として認識することは国内の大衆運動や自ら関わる運動の際には、当然のことであり、それ抜きでは一歩たりとも前進することが出来ないのは自明のこととはいえ、社会主義や党派的な問題では事実を事実として認識できなかった反省に立って、あたることが必要である。

<克服可能か?ソ連の状況>
勿論、ソ連や東欧の人民が直面しているのは、深刻な経済的危機であり、民族対立である。残念ながら危機を解決する経済措置やそれらを進めるべき政治的指導部においての不安定であり、人民の統一が困難になりつつある。市場経済の導入とはいうものの、70年代の石油ショックから省エネルギー化、コンピューター化をすすめた資本主義諸国との経済的国力の差は覆うべくもなく、国内の経済混乱はソ連でさえ食糧不足から飢餓も懸念される事態となっている。
少なくともゴルバチョフの政治的立場は今もっとも危険な状況にある。我々は1985年にソ連共産党書記長に就任して以来のペレストロイカについては、停滞の社会主義を革新する偉大な試みであり、その精神と軍縮において世界の流れを変えた新思考路線を断固として支持するものである。
しかし、昨年来の大統領制の導入・市場経済の導入を明確にして以降の国内動向はゴルバチョフの政治的指導力には、様々な諸条件も絡まり明らかな陰りを見せている。
改革派といわれる人々も、国民の統一の方向を、言葉ではなく、実行あるものとして提起できていない。あらゆる意味で社会の機能回復がまず求められるべき状況である。
今後のソ連の動向には、我々の予想もしないシナリオもありうる。諸問題の民主的な解決、経済の再建、ペレストロイカの成功を願わずにはおれない。

<ペレストロイカから何を学のか>
ペレストロイカは、社会主義70年の歴史総体を問題にしてきた。その核心は民主主義を徹底し、人々の総意を発揮させ、社会・経済を活発化させ、社会主義を再生する壮大な革新運動である。
ソ連の場合は、経済の停滞の現実から、社会の革新、社会組織の革新と活性化がもとめられ、民主主義的原則が取り入れられつつあった。官僚主義・共産党独裁から複数政党制、党と政治行政組織の独立など民主主義の保障の方向にある。
我々の労働組合や社会運動組織の中に同様の体質がないと誰が断言できようか。反独占民主主義の路線を取っていたとは言え、まだまだ同様の体質を残してはいないだろうか。目的のためには民主主義の否定も許されるかのような体質は現実にある問題である。

<組織のあり方に関わって>
労青は、民主主義・民主集中制の理解について、5年前に徹底した議論を行ってきた。結成時の議論である。大阪府委員会は討議資料を発行し、東京都委員会は見解を出してきた。
ソ連や東欧の激変があったからといって、過去の論争を清算的に総括することは避けなければならない。現時点で再度組織討議の中から新たな確認が求められているし、様ざまな問題について今後討議の場をつくりだしてい必要がある。
この論議の過程で我々は「論争・公開・統一」の原則を確認してきた。組織内の民主主主義は生かされてきた。只、それ以後、さらにこの立場が豊富化され、強められたかといえば、不十分であった。今後の課題は、公開論争、出来るだけ広い論争の場をどう保障するか、また各々がどれだけ自分の意見を持ち、粘り強い論議を行える力をつけていくのかという問題である。一人ひとりの努力が必要であり、組織の体制が不可欠である。

我々の組織を「政治同盟」か「活動家の交流組織」のいずれとするのか、また、平和運動の形態をどうするのか、連合の評価は現時点でどうなのか、社会党をどう評価するか、社会主義論、などなど新しい意味での思想闘争、政策、政治論争の開始を組織的に保障し、盛り上げることなしに、民主主義など絵に書いた餅に等しいものである。今後は「青年の旗」を通じて積極的な論議を起こしていきたい。

<広大な統一民主勢力の創出を!>
1991年の年頭にあたり、問題意識をまとまりもなく連ねてきた。なにか整理しなければならないとの問題意識が今みんなの共通の意識といえる。
今年一年で整理できないかも知れない。日常の労働運動や様々な運動、勿論仕事の中で忙殺されてしまうこともあるかもしれない。しかし、我々が作り上げてきた「運動と組織」は、こうした論議と総括なしに守り、発展させていくことは不可能である。
平和と反独占民主主義・運動の統一のために今年一年労働青年同盟全国協議会に結集して共に闘おう。広大な民主勢力の統一と前進のために!。(H)

【出典】 青年の旗 No.160 1991年2月15日

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