【問題提起】「社会主義をめぐって」

【問題提起】「社会主義をめぐって」   吉村励   (1990-04-29)

<はじめに> ・・・忘れてはならないこと・・
本論にはいる前に、諸君に敬意を表して思います。おそらく、今日来ておられる皆さんは、労戦統一、「連合」の発足に際して、全体としては大きな潮流に乗りながら、しかも現時点においては小数派組合という形で努力しておられる方が多いのではないかと思います。中には一部、資料を送って下さっている方もおられます。
今更繰り返すことはないのですが、労働組合運動というのは、組織された労働市場だという、この原点に戻って行くことが一番必要ではないかと思います。労働市場は言うまでもなく、労働力という商品の販売者と購買者とが出会う「場」。この労働市場は組織された労働市場と原生的な労働市場、或は自然発生的な労働市場にわかれます。原生的(自然発生的)労働市場は自然発生的に個々人が経営者に対して労働力商品の売買契約をおこなう、あるいは売買をおこなう「場」ということになります。今更諸君に言うほどのことではないのですが、このような労働力の売買関係では労働者は形式的には自由であるけれども、内容的には不平等であります。経営者の方が情報にしても経済的地位にしても圧倒的に有利に立つわけです。商品交換と言うのは自由の立場に立たなければならない。従って実質的な不平等を克服するための手段がある意味で組織された労働市場(労働組合)です。しかし、労働市場ですから、これが有利に作用するためには、アウトサイダーが出来るだけ少ないほどいいわけです。同時に、その市場が競争相手である労働者を出来るだけ広く組織されていなければならないのです。アウトサイダーがいない、できるだけ広く組織されているという2点が市場として有利に機能する条件だと思われます。この労働市場ではまず経済的法則が優先して働くわけでありまして、イデオロギーというのも入る余地はないわけです。そしてこの組織された市場というものは人為的なものですから、その人為的なものを運営していく場合に、政治やイデオロギーが入ってくるわけです。特に、市場としての機能を十分に確保するために必要な条件が日本では労働組合法や労働基準法というような形で決められています。だから、まず有利な「組織された労働市場」を形成するという一点で、労働者すなわち労働力の販売者は統一しなければならないのです。これをどういう理由であれ、破る、というのは組織された労働市場が組織された労働市場として十分に機能しないという結果を引き起こします。これを今更諸君に話すことは釈迦に説法みたいなもので、諸君は毎日このために努力されているわけです。しかし、活動に疲れたとき、何となく、心に迷いが生じたときに常にこの原点を思いだして下さい。あとは、私より諸君の方が日常活動を通じて、理論的なことだけでなくいろんな経験・蓄積をされていると思うので、そのことだけは本論に入る前に、常に思いだしていただきたいと思い、言ってみたわけです。

<理論の再検討・再構築のために >
実はおそらく私がそうでありますように、昨年から劇的な形で展開しました東欧諸国の問題について諸君もいろいろ思い悩んでおられると思います。少なくとも、私達が行動の基準にしてまいりました理論の再検討、再構築をする必要に迫られているのではないか、と思うわけです。そこで、私の持っている疑問を諸君にぶつけて何か示唆をいただきたいと思います。しかし、再構築する主体は諸君であります。これは困難なことではありますが、逆にやりがいのある仕事に諸君は当面していると考えていただきたいと思います。
まず、第一に、私達が出発する場合に、マルクスの「経済学批判」の序説のいわいる「唯物史観の公式」がやはり出発点となりましょう。人間は彼らの生涯の社会的生産に於て彼らの意識とは独立した関係に入る。その関係が生産関係であって、その生産関係の総体が世界の基礎構造、いわゆる下部構造を形成する。そして、この下部構造に照応したところの上部構造が生まれる。さらにこの上部構造に対応する社会意識の諸形態(哲学的、宗教的、政治的、法律的、あるいは文化的な意識の諸形態)が生まれる。この上部構造、下部構造、意識と言うものをひっくるめてマルクスは「社会構成」「社会経済構成体」といっておるわけです。そしてこの下部構造を構成するところの生産関係は生産力の形式であります。だから生産の内容が生産力で、生産の形式が生産関係なわけです。この生産関係は生産力が発展すると桎梏に変ずる。そのときに多かれ少なかれ社会革命の時がくる、と言うのがこの内容の大つかみであったと思います。
生産関係と言うのは、実は同時に法律的な意味では所有関係であります。人間と言うのは関係の総体であって、意識が存在を決定する(意識が存在を決定するのではなしに)と言います。これは間違いではないのです。しかし、人間は社会的存在であるのですから、社会的存在が社会的意識を決定するのです。だから、フォイエルバッハやその他の左翼ヘーゲリアンやそれ以前の唯物論に対するマルクス唯物論の優位さは、単に存在が意識を決定するのではなしに社会的存在が社会的意識を決定する、と言うことにあります。我々はこの基礎に則り、いろいろなことを考察してきたのです。そしてこの公式に対しまして生産力が発展の形式から桎梏に変ずる、そのときに革命が到来すると言うのならばそこから第一に、なぜそれでは生産力が発展したイギリスやフランス、アメリカ、ドイツに革命が起こらずに、ロシアやその他の国々、先進国よりは中進国もしくは後進国で革命が起こったのかという問題が提起されました。こういう問題に対しては、スターリンの「レーニン主義の基礎」の中で言われ、それと同じことをコミンテルンの第2回大会のテーゼの中でレーニンが言っているのですが、帝国主義と言うのは、世界経済の鉄鎖であって国民経済はこの世界経済という一つの鎖の中にまきこまれ、或は統合されている。だから生産力と生産関係の矛盾と言うのは帝国主義の段階では、各国的規模で考えるよりはむしろこの鉄鎖の中で考察さるべきであり、そこから鉄鎖の中の弱い環とと言う考えが生まれる。具体的にはその弱き環がロシアであり、中国であり、ブルガリアであると。そして後にはポーランドであり、ドイツであり、日本であると言われたわけであります。私達もほぼこの命題にのっとって考えてきたわけです。

<社会主義は、何故遅れをとったのか>
ところが、そうしますとさらに問題が残るわけです。この理論で行きますと、生産力の発展の形式が桎梏に変ずる。そして、資本主義的生産関係の基本的な矛盾は、生産の社会的性格と所有の私的性格、つまり私的所有と生産の社会性の矛盾であり、そして生産力が大きくなり生産の社会性が大きくなるにもかかわらず所有が私的所有と言う形態で保持されているから矛盾が起こり、生産力が桎梏に変ずると言われてきたわけです。それでは、何故、社会主義国の生産の社会的性格と生産の私的性格の矛盾が除去されたにもかかわらず、社会主義国の生産力の発展が資本主義諸国の生産力の発展に遅れをとったのか。基本的に、生産力の桎梏となる関係が除去されて、生産力が無限の可能性があったにもかかわらず、何故、社会主義国の生産力の発展が遅れたのか。
こうした問題が提起されてくるだろうと思います。
その場合に、これに対する回答と言うのは、この弱き環というのと関連があるのですが、いわゆる社会主義への移行、社会主義革命が起こったのは、中進国もしくは後進国であった。だから、歴史的にこの後進性を克服するために多くの時を要したのであって、そのために生産力の発展が資本主義諸国に及ばなかったのだ、という言い方が成り立つわけであります。ところが、東欧諸国は別にしまして、ソ連の場合は、1917年から既に73年が経っている。この73年と言うときがソビエトを先進国に変えるのに十分な時間であったのではなかったのでしょうか。だから他の国はともかく、ソ連に関してはこういう言い方はできないのではないかと思うのです。もちろん、第2次世界大戦でのソ連の被害、戦死者の数などは大変なものでありました。こうした被害の大きさが後進性を残しておく原因になったということが言えないことはないと思うのですが、そのウェイトがどのくらいのものであったのか、という問題があります。
次に社会主義と言うのは実は何かということと関連することですが、産業革命を経て労働者が生まれて、その労働者の生活が原生的労働関係と言われる中で非常に惨めなものであった。つまり、労働者の解放を通じて人間の解放を願ったものが社会主義であったと思うわけです。だから、社会主義がいわば、最も人間的、あるいはヒューマニティックな思想であり、運動であったと言えましょう。ところが、実際に社会主義が作られ、私的所有を克服した後では、社会的所有の具体的な形態と言うのは、やはり国有化であり、あるいは国の権限を委譲された自治体所有であり、あるいは協同組合所有であったと思われます。そうしますと、国有にしろ、自治体有(公有)にしろ協同組合所有にしろ、所有の形態が政治に大きなウェートをもってきます。そして、この国家もしくは政治のあり方によって生産力を無限に発展させる可能性があったのに、実際はそれを阻止したというのが2番目の考え方です。今、ペレストロイカをはじめとして、東欧諸国における民主化運動を支持している多くの諸君の立場と言うのはこれに帰着するのではないかと思うわけです。

<生産力をどう捉えるか>
それから、もうひとつの考え方は、いったい生産力と言うのをどうゆうように考えるのかいうことに関連するわけです。知っておられると思いますが、一番公式的な考え方は、生産力と言うのは生産手段と労働力の総体だと、します。そして、それのさらに労働の生産性、~一定の時間に生産手段を駆使してどれほどのものを作れるのかという能率~こういう言わば量にさらに質が加わったものが生産力だと言われるわけです。ところがマルクスは生産力と言うのをさらにいろんな意味に使っておりまして、例えば「哲学の貧困」では、革命的階級、即ち労働者階級それ自体が生産力だと言っている箇所もあるのです。だから、生産力という概念はマルクス自体がいろんな使い方をしておるわけであります。また生産力という場合に、これは軍需生産についても問題となったのですが、軍需生産と言うのは物質を浪費するものであり、このような社会の発展にマイナスになるような生産力というものはこれは厳密な意味で生産力から除外すべきではないかと言う考えもあるわけです。とくに日本では1970年代から高度成長の歪みにより公害問題が生まれてきましたが、こうした公害、あるいは生活環境の破壊~世界的に熱帯雨林をだめにし、一方で地球の砂漠化を押し進めている~今の生産力の発展が果して生産力の発展と言えるのかと言うふうに、生産力概念の問い直しの問題とするのです。だから、我々が生産力の発展と言うときに、特に今、社会主義国における生産力の後進性、資本主義国における先進性、と言う場合に今言った視点からもう一度生産力という概念を見直す必要があるのではないでしょうか。マルクスが「哲学の貧困」の中で、最大の革命的な勢力、労働者階級こそが最大の生産力と言った点、その1点にこだわって生産力と言うものを考えてみますと、労働者階級を腐敗させるような、あるいは労働者階級、人類全体を腐食していくような生産力の拡大と言うのが、今の日本やいわいる先進資本主義各国の生産力の発展、社会主義国での生産力の危機に関して提起されるのではないでしょうか。
「共産党宣言」の冒頭で、「従来の人類の歴史は、階級闘争の歴史であった。奴隷と奴隷主など、これらの闘争は新しい社会を生むか、それとも双方の共倒れに終った」という規定があります。つまり、革命的階級それ自身が最大の生産力である、その革命的階級が、新しい道を解放することがなく、相互の力関係が均衡して共倒れに終ると言うプロセスが進行しており、それは一方における資本主義国における膨大な物的な意味での生産力の拡大と、他方に於ける、地球の言わば汚染として現象しているとも言える。何故、社会主義国の生産力の発展が遅れたのかと言う問題について私達は、したがって次の3点を考慮すべきかと思われます。
一番目が歴史的な後進性、二番目に国有化の主体としての国家、政治のあり方が変わったこと、三番目に、生産力の概念の基本的な再検討が必要であると言うことです。

<国家・党・民主主義>
そして、さらに、今度は、この二番目の国有化、私有を廃止した後の生産の社会的所有の形態と関連して、国有化、国家の問題が出てくるわけです。私は20年ほど前に日本評論社から、現代帝国主義講座の中で「国際共産主義運動の展望と課題」という論文を発表しました。スターリン以来、言われておりますところの、分派を許さない、という考え方は実は誤りではないだろうか。むしろ、スターリンが「レーニン主義の基礎」の中で、分派の存在を許さぬ党というようにしたのは、非合法化に陥られている党であるとか、内戦と戦争の非常事態のもとで、急激に変化するところの情勢に対応して行かなければならないところの党にとっては必要であったかもしれないが、革命と内戦の時代が終った党にとっては、分派の存在が党を活性化し、党内の理論闘争を展開させるための条件ではないだろうか。だからスターリンはレーニンが革命と内戦の時代に書いた文献を平和時まで拡大して、分派の存在を許さぬ党というドグマをつくりあげて、スターリンが党内における自己の政敵を追放していく武器になったのであって、分派の存在を許さぬと言う考え方を改めるべきではないかというようなことを書いたことがあるわけです。今も私はその考え方は変わらないわけであります。つまり、民主主義という場合に、国有化の主体が国家であると、そして国家をリードするのが党、共産党・前衛党と言うことになっていまして、その前衛党の中で分派の存在を許さないと言うことになってきますと、まず、党内の分派、つまり意見の違った集団の自由、の問題が出てきます。そしてもう一つは、階級、労働者階級の党は一つである、そしてそれが共産党だと言う考え方が問題になってきます。労働者階級の党が一つであるというのは、これは終局的にそういうことになるかもしれないが、労働者階級と言うのは一つじゃないわけです。いろんな階層から成り立っているわけです。だから労働者階級の利害を代表する党は、現実には複数政党であり得るわけです。そしてむしろ、プロレタリア階級の党は一つだと言う考え方、終局的にはそう言うことになると言う理想、終着点と、現実の結果を混同するわけでありまして、これが党と労働組合と言う形で結び付きますと、いわいる伝導ベルトの理論と言うのになるのです。本来、複数政党と言うのは、現実には当り前であって伝導ベルトの理論は労働運動の分裂を引き起こすものだということは、何度も私は強調してきました。又、私は労働組合の戦線統一について、党の中では分派の自由があり、また階級の利益を代表するものとしての労働者階級の党は、現実的には複数であり得る、むしろ複数の方が現実的であると述べてきました。そうすると、プロレタリア独裁とこの問題はどう結び付くかということになると思うわけです。この点では、レーニンは革命直後プロレタリアートの独裁を打ち立てたわけですがこのときには内戦があり、さらに言わば対ソ干渉が行われている~米、日本をはじめとする~そして国内は飢えている、という異常な状態の中で、一党独裁を敢行したと考えられるわけです。だからこれだけを取り上げますと、議会主義の否定であります。しかし、こうした歴史的に必然であったところの、ある程度やむを得なかった独裁の形態が1924年、相対的安定期に入って後も、そしてそれ以降も不必要に継続したということが、プロ独裁の名をかたったスターリンの独裁を引き起こし、そして民主主義の発展を妨げたのだと言うことになります。少なくともプロレタリアート独裁と言うのは、労働者階級の独裁であっても、それが複数政党を認めるということになると、複数政党による支配でなければならないわけです。最近レーニンがプロ独裁を認めたことまで過ちであったという理論がソ連内部においても出ているようです。しかし、一体それではこの内戦の時代、世界的な包囲網之中で対ソ干渉が行われ国民大衆が飢えている時代にどういう体制があり得たのかという反論が必要だと思うわけです。だから、歴史の具体的な状況を離れて、プロ独裁がよかったのかどうか、ということは言えないと思うわけであります。むしろ、そういう異常な内戦と革命の時代に、決して望ましくはないけれども、必要であったプロ独裁が、革命と内戦の時代が終わった発展期にまで残ったというところに問題点があった。そしてそれを残すような、それを正答化するような理論がスターリンの「レーニン主義の基礎」をはじめとして、国際的に拡大した、というところに問題点があるのではないか。だから複数政党制と分派の自由と言うのは、当然必要であったと思うわけです。私たちもそうでしたが、はじめ、スターリンの「レーニン主義の基礎」を読んだときはものすごく感動したわけであります。そして「レーニン主義の基礎」などのスターリンの考え方を基礎にして、ソ連共産党史第1版が出たと思うのです。これで教育されたメンバーというのは、おそらくスターリン主義が克服できないのではないかと思います。私自身もかなりこういうスターリン主義の尾を引いておるのではないかと、自問自答しておるわけです。逆に言えば私たちはフルシチョフ報告以後、スターリン主義の系統的な勉強をやってこなかった、というところに一つの問題点があるのではないかとおもうのであります。そして小野さんがおそらく言われたと思うのですが、実は一党独裁と言うのは官僚主義を生み出し、腐敗すると思うのです。これは何も社会主義社会だけでなしに、日本だって、自民党の一党独裁が続けば、やはり腐敗したわけであります。わたしはソ連や東欧をまわって、これを痛切に感じたわけであります。
一党独裁と官僚主義というのは結びついていると思います。民主主義が自由にある国では違った党による政権交替があります。それぞれの省庁の大臣や長官だけでなく、局長クラスまで変わるわけです。一つの党に忠誠を誓っておれば自分が出世できるというのであれば、官僚主義というのが助長されるのは言うまでもないことです。だから、党の中における分派の自由と、労働者階級の中における、それぞれの階層を全面に押し立てて違った意見を述べる政党というのは必然であって、プロレタリアート独裁と言うのは複数政党による政治支配であるというように考えなければならないのではないでしょうか。そして、これが生産力の発展がなぜいわいる社会主義国で遅れたのかという疑問にたいする私流の完全な回答ではないが、それを考えるための一つの足場を提供するものではないかと考えます。くりかえします。生産力概念の基本的な再検討、そして党内のおける、分派、党内民主主義、そしてもう一つは複数政党制、これが疑問解明の重要な柱であると思うのです。

<我々に欠落していたもの>
そして2番目の問題です。マルクスは、人間と言うのは関係の総体であると言いました。例えば、職場における関係がある。また職場との関係で組合との関係、友人との関係、サークルの関係、あるいは家庭内における関係がある。こういう関係の総体が人間である。こういういろんな関係を除いては人間と言うのは何も残らないというのがマルクスの考えである。ところが、女性問題にしましても、人間問題にしましても、マルクスは生産力に対しても生産関係、社会的形式と言うことを強調したわけです。生産力、別言すれば、労働手段も労働力も労働対象も、いつの時代もあるわけです。それがなければ生産は進まない。だからこれは奴隷制社会だろうと、封建社会だろうと、資本主義社会だろうと変わらない。こういう変わらないものを問題にしても仕方がないわけで、それは前提にしておいて、そこにおけるところの形式の違い、その特性を追求するというのがマルクスの基本的な研究態度であったと思います。マルクスの場合、内容はすでに前提されておって、その上に形式における特性を追求する、そうすると、例えば、生産手段における特性、生産手段の機械や道具だけでなしに、高度な装置によるものも生まれてくる。それが個人に所有されておるところから株式会社による所有という形になる。つまり、限定された意味での社会的所有に変わってくる。だからそういう所有の特性を追求することで社会の特性を明らかにする。それがゆえに内容よりも形式における関係を特に強調すると言うのがマルクスの著作にあらわれていると思うわけです。
ところが、マルクスの(私らも含めて)継承者、信奉者は、マルクスが既に当り前のこととして前提としておってあまり言っていない内容についての考察を欠落させていたのです。こういうことがマルクス主義における一つの弱点となって現れたと思うのです。私達はある種の社会的動物ですが、社会的動物である前に動物なんです。そういう一面がマルクス主義では軽視されてきた。それがね、例えば女性問題に関してマルクスの理論がやはり一般の人達に受けない理由の一つになっているように思われます。そして人間は関係の総体だと言う場合にも、マルクスは当然、当り前だと思って前提にしてしまっていたことを我々は省略して、我々の視野から欠落されてしまっていたのです。
私達はこういうふうに考えてきました。下部構造、経済があって、そして下部構造が変わればもとろん社会の上部構造も、社会意識の形態も変わる、もちろん、この下部構造の変化より上部構造の変化が遅れ、さらに社会意識の変化が遅れるにしてもしかし終局的には下部構造の変化が上部構造も社会意識の変化をも引き起こしていく。だから、生産手段が社会的に所有され、自分の労働が即、直接的な形態で社会的労働であるということが容認される社会においては、自分のために働くということは社会のために働くということと直接結び付いており、生産手段の所有が変われば、社会意識も変わっていく。それは歴史的なギャップではあるけれど、終局的にはそれについていくと言う考え方に立っていたと思うわけです。
ソ連においても中国においてもそうなのですが、生産手段が社会化され、上部構造も社会化されていけば、意識も社会化されるであろう、つまり、人間が社会のために規律を持って働くであろうと考えたわけです。このタイムラグがもっとあるのかもしれない。しかし、私達が知る範囲ではソ連でも中国でも私的所有を認め、その生産物を売って、それを自己のものにする範囲ではみんな全力をあげて働くけれども、そうでないところでは何となく、力が抜ける。だから、良く言えば、マルクス主義の人間像と言うのは、理想主義であって、今度の社会主義の変動が、人間に対する理想主義の敗北ではないかということに要約できないこともない。しかし、それではあまりに淋しすぎるわけであります。人間に対する理想主義を失ったら、一体我々はどこへいったらいいのか。
しかし、人間と言うのは動物でありまして、動物と言うのはどんな状況におかれても、楽な状態におかれたら楽なことをしようとする。そういう一面を持っているんですね。まず自分のために働くと言うのが生物共有のものであって、理論と教育によって社会的な側面をもつわけですが、それを絶えず教育と活動によって訓練していかないと、そこへ戻っていくという側面があるのではないか。だから、人間と言うのは合理的存在であると考えてはいけないのであって、実は2面性を持った不合理な存在であると考えるべきかもしれません。マルクス主義であれ、我々が学んできたアダムスミスなどの経済学であれ、人間というのは合理的な存在であると言うことを前提にしています。
実は人間は非合理な存在であって、しかもこういう下部構造から上部構造、社会意識の変化というのは、そう一挙に変えられるものではない。レーニンが商品生産と言うのは絶えず資本主義を生みだしていると言いました。商品生産を拡大したのは資本主義です。しかし、商品生産自体は、エンゲルスも言ってますが、奴隷社会にもあったわけです。つまり、奴隷制社会、封建社会、資本主義社会と、ずっと続いてきた商品生産が資本主義社会になるまでは基本的な生産関係にはならなかったがずっと残ってきたわけです。そして社会主義社会になってもこの商品生産は残ってきたわけです。
この商品生産のイデオロギーというものは実は、我々が生物としてもっている、まず、自分に有利なものを取るというそういうものに基づいてきたのではないでしょうか。一方、時には人間は英雄的行為をするわけです。これも人間の一面なのです。しかしこれはイデオロギーや教育によってでてくるものです。もう一方の動物としての人間から生まれてくるイデオロギーは根強いものがある。
そして何度も言いますが、マルクスは人間の非合理性を省略したわけですが、後世の人間はこれを欠落させて社会的側面だけを強調してきたから、人間の非合理性を忘れて、結局は理想主義ということに陥ったのではないか。これは非常に古い考え方であります。しかしやはり人間と言うのは、つまり、理想主義に、英雄主義に燃えることもあるし、またそのために命を捨てるという犠牲的行為もする。しかし一面においては、わが身さえ良ければよいという動物としての一面をもっているんだという苦いところから、だからそういう人間だからこそ人間を愛するのだというあたりから出発しないと、我々のマルクス主義というのは地に足がつかない理想主義に陥ってしまうのではないでしょうか。

<激動する世界と我々の責任>
最後に、いま起こっているところのペレストロイカを含めた東欧や社会主義国における運動に対する我々の責任と言うことについて触れなければならないと思うわけです。現在、米国と日本で世界の国民所得の3割を占めているわけです。それだけ世界の経済に占める日本の役割が大きくなっているわけです。これは何度も言っていることですが、不況から安定成長期に移るところで、日本の労働者と言うのはものすごい退却をしました。ストライキの件数にしましても、ストライキによって失われる喪失労働時間にしましてもものすごい退却をいたしまして、それが賃上げが少ない割に、膨大な利潤という形で残ったのです。そのために、一方では自分達の首を締めるような、企業における金余り現象となり、それがまた土地投機や土地買収の資金とされ、その上、社会福祉が不自由なために、日本での個人の貯蓄が大きくなり、その貯蓄が銀行を通じて企業にいき、土地を買い占める。今の土地の7割近くが法人の所有になっています。実はその退却が、国際的に他国の労働者が闘いとってきた労働条件に対する攻撃の材料を提供した。いわば、世界的な労働基準の足を引っ張る役割を果たしてきたし、そのうえに、日本の「繁栄」という虚構の繁栄というのが成り立っておるのです。しかもそうした虚構の繁栄に支えられた我々の消費水準の上昇が、言わばデモンストレーション効果を通じて資本主義国に対する幻影を、社会主義国の人々に与えたことは事実だと思います。
しかし、実際には資本主義国には暗黒面もあるわけですが、私達はそういう資本主義諸国の暗黒面を通じて社会主義国に伝えていく責務を果たせていないと思います。だから、今度のリクルート事件でも労働組合としてリクルート事件を追求するデモや行動が組織されなかった。安保のときは国会を包囲するデモをやったエネルギーは遠い昔語りとなってしまった。私達は行動を通じて資本主義の暗黒面を暴露していくことを十分やってこなかった。今度の土地問題でもそうですが、もう土地を、一戸建ての住宅を持つことは不可能になってしまったのです。他の国ではこんな土地の評価の状況があれば、暴動が起こりますよと西ドイツの大臣が言ったと言います。しかし、日本では全くこれを見逃している。しかしこんな日本が米国と共に世界のGNPの3割を占めている。こんな日本に学んでもらうところは何もないと思うのです。ただ日本では利潤のために個人の能力が十分に発揮されています。組織的に生産性向上運動などがなされています。そういうものに対する幻影だけがマスコミを通じて強調される。そしてもう一方の暗黒面が、我々の行動を通じて訴えられない。幻影をもつなと言っても、資本主義をすてて数十年もする社会主義国の労働者が幻影を抱くのは当り前だと言えます。新聞報道によると日本人の8割は現状の日本に満足している。そうしますと実は、社会主義国のあの運動に対しても我々も決して無関係ではない。それほど世界的なことになっているわけです、我々の地位が。しかし、今の日本でも諸君らのような安心して後に託せると思います。どうもまとまりのない話になってしまいましたが、御静聴ありがとうございました。
(昨年4月労青大阪府委員会主催の合宿での講演内容を文章化したものです)

【出典】 青年の旗 No.161 1991年3月15日

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