【民学同の歴史】民学同十五周年と学生諸君への提言

【民学同の歴史】

<民学同十五周年と学生諸君への提言>「新時代」誌 第12号 1979年2月14日

民学同十五周年と学生諸君への提言
高 橋 春 男

一九六九年春に長かった大学生活をおえて実社会に飛び出してすでに九年、最近では時折目にする新聞「新時代」と職場の同僚である若い民学同のOBのH君から、ごく断片的に学生運動について聞くだけで、現役の学生活動家諸君に何か積極的発言をすることなどできない。ここでは民学同・労働青年同盟(準)の活動に関わる二・三の点について、以下提言したい。

(一)

民学同創設十五周年ということを聞いて、まあよく頑張ってきたなあ、というのが率直な感想である。一口に十五年というが、大阪府立大学の片すみで開催された創立大会に参加した六〇数名の同志諸君の多くは、何人かの子供の親となり、生活苦にあえぎながら、それぞれの職場で重要な位置を占めて活動している。民学同という社会運動の予備校を卒業した同志はおそらく、数千名に達し、彼らの活動力の潜在的大きさは、実に大切を社会的財産となっている。
民学同が幾多の苦難をのりこえ、十五年間一歩一歩成長をとげてきたという、厳粛な事実は、民学同がさまざまな方法で日本の学生層の深部と結びつき、学生の要求と希望を体現しうる歴史的存在であるということを実証している。民学同の趣意と規約、経験と気風、同盟員相互の友情、先輩と現役諸君の信頼が今後のあれこれの局面の変化とともに生じる対立や内的緊張にたえ、同盟の針路を正しく復元させるに十分なものであることを期待しないわけにはいかない。政治的・社会的・イデオロギー的な矛盾とアツレキを最も鋭敏に反映する学生運動には、この運動固有の業病がある。それは、相矛盾する諸傾向が錯綜する複雑な社会現象のただひとつの面と、ただひとつの契機を不等に一般化する主観的な判断と、それに基づく急進主義と政治主義的ひきまわしがくりかえし現われるという事情である。われわれはこうした業病を克服するのにきわめて高価な代償をはらった。
十五年の歴史をふりかえってみて、こうした苦難を克服する上で最大の力を発揮されたのは小野義彦先生と故森信成先生の理論的・思想的指導にあったといっても決して間遠いではあるまい。あれこれの時期における日本経済の諸矛盾を具体的に分析し、それにもとづき平和共存・反独占民主改革の具体的適用を示す小野先生の分析の力量と発想は同盟員の成長と指導的幹部の継承性を保障した不可欠の要因であった。先生の理論の運動論的含意は最反動の敵に打撃を集中し、その社会的政治的基盤を切りくずし、多種多様なあらゆる勢力のエネルギーの最大限の統一を追求するという統一政策にあるように思われる。大衆的性格と目標の具体性こそ闘争の戦闘力をはかる基準なのである。
十五年の歴史における故森信成先生の学恩も忘れられない。マルクス主義と革命的民主主義・近代合理主義との合法則的継承関係を力説した先生は、主体性論と非合理主義に対する徹底的な批判者であり、同盟員の科学的世界観の形成と民主的理論の修得の最大の激励者であった。学生時代、のまず食わずで学園を走りまわり、真夜中に小野先生宅に突然飛びこんで、先生の助言を求める。「めし食わせ役」を自称するみどり夫人が、さっそく胃袋をみたしてくださる。こうした体験をした民学同の活動家も多いに違いない。杉本町の森先生の市営アパートに何人もの学生が泊まりこみ、先生のアパートは大阪市立大学全学自治会選挙の応援の根城と化した。先生自身の身のおきどころがなくなり、どこかに消えたということも再三だった。ともあれ、両先生の公私、あげての民学同の発展に対する支援は、いいようもなく大きい。民学同の若い諸君が両先生の著作と本格的に取り組むよう切に期待する。

(二)

矛盾した傾向が錯相した社会現象と述べたが、支配階級の内部矛盾、国独資下の政治闘争と経済闘争の連関、中間層と「中道」政党評価といった一連の問題を論ずる際に、これまでもくりかえし一定の偏向が生まれた。
ここでは中間層の問題を一例にとり上げてみよう。この点についてもわれわれの周辺に時に一面的判断と混乱が生じる。
日本共産党は「中道路線」を批判してこういう。「それは、自民党や公明党などによる革新分断の策謀と現体制擁護的な保補連合路線の実態についての、たえざる暴露と批判、同時に革新の大義を高くかかげ、あらゆる妨害を排して断固としてたたかいぬくことによってのみ、切り開かれる」(佐々木一司編集長「自公民路線の先兵-公明党」、『前衛』一九七八年七月号・五〇貢)
これに類似した意見がわれわれの友人のなかにもある。公明党や社民連を「得体の知れぬ政治集団」と規定し、中道諸勢力に対して非妥協的姿勢をとる社共の統一戦線形成を訴える主張がそれである。年初来の公明党の右旋回、自衛隊是認と有事立法をめぐる動揺が真面目な活動家の強い噴激を引きおこすことは十分理解できる。だがこうした気分に屈伏して、反独占闘争の戦略的展望のなかで、中間層とそれを代表する政党と労働者階級との同盟と協力の可能性一般に対する懐疑にまで議論をおしすすめてはならないのである。
中間層は独特の経済的・社会的特徴とその発展段階に応じてさまざまな層やグループから形成され、この層は本来動揺的で、あれこれの問題でジグザグを繰り返えす。だが、独占支配とそのもとに形成される深刻な矛盾と構造から労働者階級と中間層の経済的・社会的利害は一致し、客観的に共通の目的を担うことができる。今日、社会主義への移行の過渡期において恒久的を同盟の可能性すら真剣に追求されなければならないのである。
反独占闘争は必然的に反動の反揆を誘発する。この場合大切なことは広範な中間層大衆を敵の立場に追いやるのではなく、むしろどの局面においても人口の多数の同意を受けるような注意深い政策を追求することなのである。
社会党の中期経済政策のなかの「社会的消費手段の社会化」というスローガンが論議をよんでいる。このなかにも対中間層政策として再検討を要する問題点がある。医療供給、交通システム、住宅供給の社会化を性急に求めている点である。消費生活の領域はおそらく社会主義のもとでも全面的社会化は至難な筈である。だとすれば、現局面において医療制度の改革のなかで開業医との協力をあらかじめ断念することは正しいのか、公共交通優先を力説するあまり反文明論的アンティマイカー論は首こうできるのか、公営住宅の払い下げを求める市民の願いは小ブル的反動なのか。
チリ革命の敗北以後、中間層評価の問題は国際的理論研究においても中心的位置を占めてきた。今日多数の意見によればチリー人民連合の欠点は中間層・農民との協調を訴えていたが、長期にわたって中間層と協力する社会経済上のプログラムをもっていなかった所にあったといわれる。中間層との同盟に際して、長期にわたってその利益を守るプログラムが絶対に必要であるというのがチリーの悲劇の教訓なのである。こうした教訓を生かして、中小企業運動(具体的には中企連や大企連だが)にも大胆な発想の転換が求められているのではあるまいか。話を民学同の問題にもどそう。

(三)

民学同の歴史は、すでに日本の進歩的社会運動の一角に消すことの出来ない社会的財産を残している。民学同の卒業生、あるいは同盟と密に協力した友人諸君が地域や職場で果している役割の政治的全体図を知ることは出来ないが、散見するケースを見ただけでも相当なものだ。教員・自治体の職場あるいは造船・金属の職場で闘う仲間、部落解放同盟大阪府連の多くの活動家、関西労働講座に結集する労働青年、全国的な政治的影響力を持つ運動体の中心部隊として閥う仲間、広告会社の組合幹部として闘う真面目ひとすじのEさん、大阪の青年運動をリードし将釆を期待される社会党のTさん、二四時間労働運動をみつめる若いオルグのTさん、上田卓三後援会でむずかしい地域活動に苦闘するIさん、Yさん、Uさん。いのくら生協のFさん。埋蔵文化財保護ととりくむIさん。在日朝鮮人の権利擁護に没頭するGさん。新聞編集にどっしりかまえたSさん。東西貿易の戦線で孤独な闘いを進めるGさん。中小企業運動にとびこんだUさん。大阪の社会運動の条件と特殊性に応じてさまざまなやり方で民学同の先輩たちは一歩一歩大地にしっかりと根をおろしてゆく。
東京での先輩の活動もようやく軌道に乗り始めたかにみえる。こうした活動を通して民学同とはまったく異った経路で成長して闘う多くの活動家との実りある出会いの輪が広がってゆく。松原市のSさん。泉州労連のMさん。さらに郵便労働者の集団。おかれた環境も具えば、課題も異う。各地域・各戦線に広がった活動家群とその運動をどのようにして有機的に結びつけ、その潜在力を更に拡大するためには何が必要なのか。これが、今日の運動の緊急の関心事なのである。
率直に言って、大阪におけるこうした活動家の広がりと運動は労働青年同盟(準)の枠をこえている。しかも、多くの場合そうした活動家のエネルギーと実践がいくつかの注目すべき成果を生みつつあることもまた否定しがたい事実なのである。この場合、大切なことは、労働青年同盟(準)の枠に固執するものではなく、内外の運動を統合する積極的イニシーアチブを行使することである。こうした、社会的財産は誰か一人の所有物でもなければ、特定大学の卒業生のせまい友人の世界に帰属するものでもない。多くの活動家は十数年の歴史によっで形成された諸グループの指導的幹部相互間が民主主義以上の相互信頼を作り上げ、政治的指導を強化することを切実に求めている。このためには、共同の目標に向かった共同の作業の積み重ねが絶対に必要である。具体的にいえば、次の二点についてぜひ真剣に検討する必要があるのではないだろうか。
第一には、新聞の一本化である。「新時代」「青年の旗」は少なくとも一本に統合し、そのための共同編集部を作るべきではないのか。基本的な政治的方向の同一性が、以上二紙を統合し、単一の政治新聞を発刊する前提であるが、二紙を比較検討するまでもなく、そのための条件は存在すると断定できる。最近の数号だけみても、内容上の重複が多く、人と金の分散をこれ以上続けることはがまんできないと思うのは私だけではあるまい。私見によれば、新聞の名称は「知識と労働」「平和と社会主義の旗」といったものではどうだろうか。共同編集体制を通じて、学生運動に対する理論的思想的指導の強化のための条件が生まれ、学生運動の安定性と継旛怪を確実にすることができよう。関西の労働青年同盟(準)の指導的幹部が「青年の旗」の刊行に力を奪われ、学生連動に対する指導が事実上放置されているかにみえるが、いったいこれはどうしたことなのだろうか。また、新聞の一本化によって運動の多面的現実をより豊富に紙面に反映させることが可能となるであろう。
第二は、雑誌「知識と労働」の編集体制・発行方法、配布・販売方法、さらには編集方針をあらいなおすこせである。現状は「知労」を求める多くの活動家の要請に応えているとはいえない。労青(準)・民学同・解放唯研・知識人の構成で編集部をつくり、常設事務局をおく。発行は「知識と労働」社で行い、政治諸組織との直接的結びつきは絶ち切る。おそらくここまでの所は、最近数号の編集実務の実体である以上、誰も否定出来まい。解放唯研の「知労」配布部数、S先生・F氏の編集実務への協力がなければ、とても十九号まで続けることも困難だったと思われることも知る人ぞ知るというところである。これからの「知労」はおもい切って各潮流の相互討論を公然と組織しうる討論詰でなければならない。誤解をおそれず、あえていえば六・四の哲学でいいのではないのか。我々の見解はまあ六割のれば、あとの四割は少々異論があるものが乗ってもいいのではあるまいか。公正で民主的世論が勝利するように、批判・反批判の論文・意見に最大限のスペースを与えることが必要なのだ。「知労」の読者の目にとまる機会の無いすぐれた論文・闘争報告も多い。「労働運動研究」、「火花、「方位」、「香川文化通信」、「平和と社会主義」、「思想運動」、「社会評論」などに掲載される多くのグループのすぐれた成果をおもいきって転載し、相互批判の対象にする。「知労」を求める声が民学同・労働青年同盟(準)をはるかに越えて広がっているという現実を念頭に入れれば、しかも、そうした活動家の活動条件が政治的・組織的に多様であることをふまえるならば、政治組織とは自立した「知識と労働」社の出版という形態が特に重要であろう。「知労」の政治機関誌化と称して、その実、労働青年同盟(準)グループだけのサークル誌に転落するようなことがあっではならないのである。
年四回の刊行を実現し、そうとう部数を書店を通して販売するといった方向を追求する
ことは当然のことである。ただし、・現在の条件下で、「知労」八・九・一〇号当時に顕著にあらわれた総合雑誌的方向を追求することは通俗的で正しいものではあるまい。小冊子的形態でもよい。大事なことは、諸グループ間に本当の討論の場を提供するという「知労」を作り上げてゆくことである。五〇〇〇人の党員をかかえ、半世紀の伝統をもつアメリカ共産党が、今日でも驚ろくほど簡素な小冊子風の機関誌を確実に月刊で発行し、活発な討論を組織している姿に、みならうところが大きい。

(四)

政治新聞に関係して、民学同の組織形態にも検討を要する問題がある。民学同の文書のなかで、とりわけデモクラート派との分裂の前後から単一学生同盟論とか青年同盟論とかが何か一人あるきしているかに見えるといったら思いすごしだろうか。
民学同創立を前にして、組織名称を民育統一派でゆくか、それとも民学同でゆくかという点について議論があり、何度か民育統一派として学生大衆にビラを配布したこともあった。私の理解では、学生同盟を選んだ理由は当時われわれの周辺には、平和共存と反独占民主改革の立場に立つ党内勢力が大阪唯研の少人数の知識人と数大学の学生細胞の先輩諸氏より他に見当らなかったという単純な事情によるものであって、どうしても学生同盟でなければならないという積極的論拠に支えられたものではなかったのである。
ひいて理由を上げれば、六〇年安保闘争当時、大衆的学生運動の可能性を否定し、党の路線を大衆団体である学生自治会に押しっけた日本共産党の学生運動指導と激しく抗争したわれわれの先輩の大衆団体の自立性を最大限尊重しようという決意がそうした選択の背後にあったのであろう。つまり、学生運動の特殊な諸条件をフルに発揮するうえで学生同盟がよりいいのではないかという見地から仏・伊の経験なども研究したのであって、どうしても学生だけの組織でなければならをいといった強い主張でなかったと記憶している。
過去十数年、大学の社会的性格は大きく変貌した。学生層全体の生活の諸条件は勤労階級のそれと着るしく接近し、融合している。一方、学生層の政治的敏感性と行動性、様々な思想的対決が公然と展開される学園の精神的環境、青年期特有の激情と正義感、経験の蓄積と幹部交替の困難さ、学生であることの当然の帰結である知的・政治的未成熟-学生運動を特徴ずけるこうした要因は、学生組織が労働階級の組織としっかりと結びつき、適確な指導が存在することが、学生運動の発展にとって何よりも必要であることを示している。
事実、あれこれの局面の変化の度に発生した対立や論争を解決する際、ほとんど必らずといってもよいほど先輩の指導やら、知識人の助言を必要とした。しかもこうした先輩の指導は多くの場合有難たかったし、有益だった。恐らく現役の民学同の同盟員諸君もこうした形で、多くの内的緊張と危機を克服しているであろう。また、少なからずの数の指導的学生運動家の留年やら退学といった自己犠牲も、率直にいって学生だけの組織であるということにその原因の一端があるのであろう。
卒業生やら友人がさまざまな分野でようやく一定の政治的力量を結集させつつある今日、十数年前の条件下に選択された組織形態である学生同盟論に固執せず、動労青年と学生が同一の組織で協力しあう組織形態もひとつの選択枝として真剣な検討を始めてみてもいいのではないだろうか。もちろんこの際、学生運動の特殊性をフルに発揮する指導のあり方に万全の配慮が必要であり、先輩の指導は主として理論的・思想的側面に力点がおかれなければならないのは当然のことである。

(五)

トリアッチはかって「大衆の活動を組織する能力こそ、本当の政治路線をもっているかどうか、党内に統一があるかどうか、本当の規律があるかどうかを決める規準なのである」と述べた。こうした能力を作り上げるに必要とされる政治指導と新聞・雑誌の編集方針は当然のことながら、具体的情勢を具体的に分析し、それに基づき闘いの合い言葉を示すものでなければならない。そうでなければ、第一線の活動家の苦闘に答える実践的指針などとても不可能であり、指導部・編集部と活動家との本当の交流と信頼を固めることなどおよそ考えられないのではないのか。「デモクラート」派との分裂に際し、彼らの主張の眼目であった「部分的要求に常に根本的要求を並置しなければならない」という尊大な説教がその後いかに多くの活動家を悲惨な孤立においやったかを他山の石としなければなるまい。
学生運動出身の活動家の中には、時にこうした革命論議一般に傾斜する傾向が強い。こうした傾向は、不況と反動攻勢の対極に累積される大衆のさまざまな分野におけるエネルギーをときはなし、運動の前進に具体的に寄与しようとする最も困難を課題から一歩距離をおき、傍観しかねない、しかも、いささかも実践的気迫を感じさせ巧い偏向であるといったら酷であろうか。
研究と討論を用する緊急の理論的・実践的課題は山積している。大阪府知事選では黒田か岸か、それとも第三の候補か。新関西空港の建設に賛成か反対か、保留か。解雇規制の条例制定運動は是か否か。大阪での生活密着・福祉優先型の公共投資とは何か。社会党の中期経済政策は革新の反恐慌政策たりうるか否か。中道勢力は敵か味方か、切りくずしの対象か。
要求の具体性は大衆をゆさぶる。大衆運動の現実の推移があれこれのスローガンの当否を検証し、大衆運動の鉄火は指導者をふるいにかけ、本当の指導者を前面にたてる。理論は実践に従属し、実践的要求が理論のあれこれの側面の生き生きした研究を命ずる。現実の闘争の内容豊かな諸形態を一つ一つ研究し普遍化しうる方向をつかみとり、それをはっきりとスローガンに表現することが科学の任務である。
我々には、依拠すべき綱領的(プログラム)諸文書がある。一連の国際共産主義運動の諸文書がそれであり、日本共産党の第八回大会綱領(重要な修正は必要だが)、民学同の趣意、「知労」創刊の辞、あるいは、小野先生・森先生・吉村先生らの著作、さらに我々の友人・先輩の知識人・運動家の理論的成果も数え上げることができる。問題はこうした諸成果を具体的実践に応用し、大衆を組織化することである。
プログラム一般やら過渡期の権力形態について関心の中心であってはならないのである。
だからといって、革命の戦略・戦術にかかわる理論的研究の独自的意義を無視しているのではない。むしろ、こうした研究の重要性を理解すればするほど、我々の共通の財産たる綱領的諸文書のいかなる箇所が、いかなる理由で修正の必要があり、いかなる規定に発展させる必要があるかというぐあいに、具体的かつ限定的に問題を提起することが必要なのである。
時間と枚数に限りがあり、ごく二・三の論点にしかふれることが出来なかった。民学同の学生諸君の事業がさらに前進することを心から願ってお祝いの言葉とする。
(編集局…筆者は同盟第四回大会より、六〇年代中期に全国委員長(当時)を務めた。また本稿は、前号に掲載したものを加筆・修正し、再録した。)

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