青年の旗 1988年2月1日 第132号
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2面 | レーガン一般教書演説 |
3面 | 88春闘を大衆的に闘おう |
4面 | ドル本位制の崩壊へ–1988年初頭の展望 |
【主張】春闘勝利へ 「資本と闘う」大衆的労働運動の構築を
1.「連合」初の春闘.
「賃上げが去年を下回る条件は何もない」(黒川総評議長)、「まさに春闘日和」(山田連合事務局長)の言葉にある様に、今年は景気も八六年末を底に八七年から回復基調に転じ、製造業も三期連続の増収が見込まれる中での春闘となっている。
しかし、昨年は、「円高不況」の直撃を受け‘賃上げ率は史上最低の三.五六%(労働省調べ)に終っている。加えて、「争議による労働損失日数」「労働組合への組織率」も戦後統計史上最低を記録している。先の両氏の発言は、逆に取れば「負けは許されない春闘」とも言える。
既に、日経連は「賃上げは”生産性基準原理"の枠内」の主張を繰り返している。更に、「春闘の終焉」をも強調している。一方、「連合」が昨年、組織労働者の四三%、五百三十九万人を組織してスタートした。この「連合」にとっては初めての春闘であり、その成果が試される。総評は、中立労組連絡会とともに昨年までの「春闘共闘会議」に「代る」「国民春闘連絡会」を結成し、純中立を中心に七十七単産を集めている。統一労組懇は初めて「白書」を作成し、「独自」路線を強めている。又、国労を中心に、「連合」にも統一労組懇にもいけない、いかない組合が「春闘懇談会」を結成している。いずれにしても、「連合」が春闘の中心にならざるを得ないが、各組織とも、その存在が問われる春闘となる。
又、国際的には、五月三十日からの第三回の「国連軍縮特別総会」の開催、ソ米のINF削減から戦略核兵器の削滅合意へという大きな軍縮の行動が進められている。一方、自民党竹下新政権の下で「新型間接税」が着々と準備されており「土地対策」「軍事費のGNP1%枠」「核持ち込み」等々重大な政治課題が国会内外で問題となっている。更に、政界再編も進行する中での春闘になる。
2,賃上げ停止と春闘解体を目論む「労問研」報告
今年の日経連「労問研」報告は「真の先進国への脱皮を目指して」とのサブタイトルにある様に、例年以上に対政府要求を強調した内容となっている。
その特徴は、①「連合」の発足を新たな時代と賛美し、「勤労者の生活向上のため、共通課題は共に政府に要求しよう」と労働者に呼びかけている。
②その重要課題とは「農業を中心とする市場開放」であり、「内需拡大」である。特に「内需拡大」については「安易な財政金融政策でなく、日本の経済社会機構の改革を通じて」と強調している。
③その上で「円高で日本の賃金水準は世界でトップ水準になった」として「問題は名目と実質のギャップをどう埋めるかにある」その唯一の課題は「あらゆる物価を引き下げること」で「名目賃金を引き上げることは経営コスト増で国際競争力の弱体化を招くので絶対に取るべき選択ではない」と強調している。具体的には、「物価の割高」「円高差益の還元」「土地・住宅政策」を労使共同して政府に求める、ということである。(この間の「物価上昇」「円高差益の抱え込み」「地価引き上げー全て独占自らが、政府とともに政策として容認してきた結果が今日の状況である。)
④労働時間短縮と貨金はパッケージで論じるべきである、として「時短=賃上げ」という論理を展開している。
⑤最後に「名目賃金の引き上げを横ならびに要求する春闘の見直し」を提言している。
3,「豊かな社会」実現とは
88春闘では、労資とも「豊かな社会」という、スローガンを掲げているが、それが示すものは現実が全く「豊かな社会」ではないということである。労働者に幻想を与えていた「中流意識」は「崩壊」し、労働者の生活・権利破壊の実態は、いつ爆発してもおかしくない程に深刻である。
「連合」「総評」は六~七%の賃上げと時短、滅税などの制度・政策闘争で〈働きすぎ→貿易摩擦→円高〉の悪循環にピリオドを打ち、「豊かな社会」を実現させると主張している。問題は「豊かな社会」というスローガンのもとに、その根底にある階級対立がいささかも曖昧にされてはならないことである。オイルショック、安定成長、低成長、円高不況のいずれの局面においても、資本は高利潤を確保してきたのである。その一方で労働者の生活は貧困化の一途を辿ってきたという事実を忘れてはならない。
昨年来の地価高騰で、戸建て住宅はもとよりマンションすら取得する夢ははるかに遠のき、都心での賃貸アパートすら困難な状況である。「豊かな社会」とは狭いアパートの中で大画面テレビやビデオ見て、自動車を買い替え、たまの旅行やレジャーを「楽しむ」ことであろうか。そして、その為にわずかばかりの貯蓄までも掃き出させようとする“消費キャンペーン“と”カード時代“に他ならない。
更に、終身雇用の保証はなくなり、出向・単身赴任・海外派遣が横行し、拒否すれば”解雇“という企業の戦力にならなければ、いつでも切り捨てると言わんばかりの、「人間切り捨て・使い捨て」の労務政策が進められている。今や労働者は形を変えた「潜在的失業」の恐怖の中での生活を強いられている。
「亭主元気で留守がいい」のコピーや「かまって音頭」の流行は、家庭から父親が消えつつある現実を示しており、それに伴って深刻な家庭・教育問題が起きているのである。
こうして、労働者の生活は全般的に破壊され、それは地域や家庭にまで及んでいる。財界の主張・戦略は労資(中小零細も含め)の「共存・共栄」(労働者の犠牲の下での)の関係の確立と、対政府という幻想の構造を作りあげ。一挙に構造転換を実現しようというものである。その意味からも、「基本的な対立は何なのか。敵は何なのか」ということが鮮明に打ち出されるぺきである。
4,春闘の大衆的再構築ヘ
先に述べた労働運動の三つの最悪の記録の意味することは、労働運動が独占の進める産業構造の転換に対応できずに、三分の二以上の労働者が未組織労働者として運動の枠外に放置されているという現実である。更に組織労働者の中に進行している「組合員の労働組合離れ」という現象であり、最低の争議日数にも見られる「資本と闘い抜ける労働運動」の減少である。
このことは、労働運動のあり方が再検討されなければならないことを示している。「喰える賃金要求」が「喰える賃金」になった時、なぜ、賃金闘争は停滞を始めたのか。「物価上昇十α」という要求基準に問題点はないのか。欧米なみ賃金とは。内需拡大を理由とした賃金要求とは。国民春闘がなぜ国民的闘いへと発展しなかったのか。等々はもう一度検討しなければならない。そして、問われるべきは、「連合」「総評」「統一労組懇」ともこのような問題を克服し得る政策を持ち、今春闘に臨んでいるのかということである。事態は否定的である。
我々は「連合を闘いの舞台に、連合の中で変革を」「その為の活動家の結集を」と呼びかけてきた。我々自身の職場・生産点において、大幅賃上げや時短、諸権利獲得の闘いを「言葉の真の意味で大衆的に」展開し、その中で我々自身が労働運動を変革していく闘いと理論を具体的に築き上げていく立場で、今春闘に取り組み、その出発点にしていくことである。