【投稿】迷走政権から脱原発政権への転換を!
<<菅首相「脱原発依存」宣言>>
日本は今、3・11の東日本大震災と、その最も深刻な象徴でもあり、なおかつ人災の典型でもある原発震災によって、いかにこれを克服するのかという重大で歴史的な局面、時代の転換点に直面している、といえよう。
フクシマ原発震災によって、地震列島に林立する原発はすべてその危険極まりない存在がもはや許されないものとして問われることとなり、流れは一変したのである。かくも重大な事故が無ければ原発推進政策を転換できないという事態は、やりきれないものがあるが、たとえ原発推進を打ち切り、原発廃炉計画を推進しえたとしても、それでも後世に重大で背負いきれぬほどの負担を押し付けることが明確な、使用済み核燃料処理、高レベル放射性廃棄物の処分などバックエンド(後処理)対策、「核のゴミ」処理対策は、まったく未解決であり、見通しさえ立てられず、恐怖の連鎖を食い止めるためには途方もない年月と費用、技術的困難さが確実視されている。ましてや日本の経産省と米エネルギー省、東芝などがモンゴルに核廃棄物の貯蔵・処分場を建設するという日米の計画などは、自らの原発のツケを札びらで他国に押し付けるものであり、到底許されるはずもないし、それは明確な人類的犯罪でもある。
どのような困難があろうとも、脱原発政策への明確な転換こそが今問われているのである。その歴史的ともいえる選択は、被災した人々のみならず、内外から、全世界から注視されており、その厳しい評価に耐えうるものであるかどうかが問われているのである。
しかし現在の民主党政権、菅政権は完全な迷走状態、機能不全状態でさえある。
7/13、菅首相は久方ぶりに官邸で記者会見をし、原子力を含むエネルギー政策について「原発に依存しない社会をめざすべきだと考えるに至った。計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく」と語り、「原子力事故のリスクの大きさを考えた時、これまで考えていた安全確保の考え方だけでは律することができない技術だと痛感した」と説明、その上で「原発に依存しない社会」を挙げ、「これから我が国がめざすべき方向だ」として、さらに昨年6月に閣議決定されたエネルギー基本計画について、「2030年に原子力の発電比率を53%に高める内容だが、それを白紙撤回する」と述べた。 「脱原発依存」宣言である。遅きに失したが、原発震災直前までベトナムなど原発の海外への売り込みに走り回り、その成果を誇っていた菅首相個人にとってはそれでも画期的なことである。言や良し、たとえそれが政権延命の手段、口実であったとしても、それが本心であるならば、具体的な道筋を明示すべきである。そしてこの路線転換に反対し、原発のリスクへの反省がないのではと問われて「そう思っていただいて結構だ」と開き直る与謝野経済財政相や路線転換に抵抗する海江田経産大臣や彼らに追随する閣僚を罷免し、首相権限で直ちに実行に取り掛かるべきであろう。
<<「個人の夢」「単なる願望」>>
ところが公人として首相官邸でわざわざ公式に記者会見で表明し、エネルギー基本計画の白紙撤回までも明言したのにもかかわらず、これを枝野官房長官は「政府の見解というより、首相は遠い将来の希望」を語ったものとすり替え、岡田幹事長は「首相の思い」と言い切り、野田財務相は「個人の夢」、仙谷官房副長官にいたっては「単なる願望」と切って捨てたのである。エネルギー基本計画の白紙撤回は、「遠い将来の希望」ではなく、差し迫った具体的な政治選択である。そして「脱原発依存」がたとえ「個人の夢」であっても、私的な内輪で語ったことではなく、公式な首相官邸での記者会見である、首相を支える政権幹部は公式なメッセージの重要性をこそ認識すべきであろう。問われている政策転換の重要性をまともに受け止めないこれら政権幹部は、何という取り巻きなのであろうか。そして肝心の首相までもが「政府見解として公式に述べたということではなく、決意を述べた」とずるずると後退し、釈明する始末である。
菅政権発足以来、めまぐるしく変わる「新たな政策課題」、「最優先課題」は、就任直後の消費税増税と「雇用・雇用・雇用」の連呼、そして「税と社会保障の一体改革」、次いで「TPP参加」、3・11直後の「復興構想」、その時々で首相は、政治生命を賭けて、命がけで、全力を挙げて、と叫んできたが、いずれも一貫性のない思いつきで、次の政策課題に乗り換え、途中放棄する。6/28には、菅首相はさらに「次期総選挙ではエネルギー政策が最大の争点」と「原発解散」を示唆する発言をまでする。すべてが自己の政権延命の手段、口実としてとらえられ、そこには信念も一貫性もない首相の姿勢があぶりだされ、首相引退をめぐる密約、詐欺、ペテン、だましが公然と横行し、虚虚実実の裏取引に明け暮れ、首相への信頼感が地に落ちてしまった菅政権の実態がさらけ出されているともいえよう。
しかし最後の「脱原発依存」は、その中では唯一まともな「最優先課題」であり、それは原発震災の深刻な実態が言わせたものでもある。それがまた浜岡原発停止を提起させ、電力業界も受け入れざるを得なかったものである。まともに検討したものとも思えないが、単発的に観測気球的に首相が発言する、発電・送電の分離、原子力安全・保安院の分離独立化、電力会社の国有化、再生エネルギー促進法案、これらが脱原発路線にしっかりと位置づけられるならば、政策転換の最も重要な柱となり、政権交代の意義を改めて再確認させることのできる「最大の争点」とすることができるものである。菅政権の最大の弱点は、この最も重要な「最優先課題」である脱原発政策への大胆な転換を、政策的綱領的信念の下に位置づけることができず、逆に自らの手で封じ込め、立ちはだかり、展望を失わせ、その価値を貶めていることにあるといえよう。
<<「通過儀礼」としてのストレステスト>>
これが自民党政権、自公政権であったれば、浜岡原発の停止などもちろんありもせず、玄海原発やその他の停止中の原発の再稼動など当然のごとく押し進められていたであろう。もちろんまったく展望のない核燃料サイクル事業やもんじゅの継続も当然のこととして推し進められよう。
この7/20に発表された自民党の国家戦略本部の今後の中長期的な政策立案の柱となる報告書は、<既存原発の稼働維持が不可欠>と明記し、「安全強化策」の実施を掲げ、再生可能エネルギーの促進を掲げたものの、これまでの自民党時代の野放図な原発推進政策への反省は一言もなく、将来の原発の<存廃>には一切触れない、という代物である。
自民党の河野太郎氏は「国家戦略本部の提言とはいえ、権限のない事柄まで含むものを総裁が発表するのはおかしい。自民党は、まず、なによりも過去の野放図な原発推進に対する反省をきちんとしなければならない。」(ごまめの歯ぎしり 7/21号)と述べているが、「やはり原発を推進したいという人間が自民党の中にいる」という証明でもあろう。さらにこの「政権公約」ともいえる報告書では、安全保障では、政府が憲法解釈で禁じている集団的自衛権の行使を「認める」ことをあらためて打ち出し、「核兵器を積んだ艦船の寄港などについては容認する『非核二・五原則』への転換を図る」とまで強調している。原発震災や核の脅威にまったく鈍感な旧態依然たる自民党の本姓、本質がそのまま打ち出されている。民主党の失点が次から次へと重ねられても、自民党の支持率がそれほど上昇しない原因がここにも現れているといえよう。
問題は、現在の民主党執行部が、次から次へとこの自民党路線に妥協し、譲歩していく姿は、結果としてこれまでの自民党政権と何も変わらない路線へと民主党を追い込んでいるところにある。
レームダック寸前の菅首相が、突如提起した原発再稼働をめぐる「ストレステスト」実施も、電力会社任せの自主テストであり、電力会社の報告を受けて保安院が妥当性を評価し、原子力安全委員会が確認し、首相と関係閣僚で最終判断するという。1次評価は地震、津波、全電源喪失など4項目について設計上の想定を超える条件に対し、配管やポンプなどの重要な機器類がどれだけ余裕度があるかを調べる。2次ではより厳しい条件にどこまで耐えられるかを評価するという。 しかしそのテスト自体が電力会社任せで、なおかつ原発推進側の原子力安全・保安院や原子力安全委員会の責任を不問にし棚上げにしたまま、彼らがその内容を確認するという。この手法は、3・11以前の馴れ合いの産物でしかない。そもそも日本の原発はすべて、今回の福島原発を襲った地震震度に耐えられる設計にはなっていないことが明確になっており、すべて不合格なのである。それでもこのストレステストは余計なことであり、少々時間もかかるが、彼らにとっては、原発再稼動のための単なる「通過儀礼」にしかすぎないものである。菅首相の提起したものは、かくしてすべて骨抜きにされ、首相自身も公然とそれを容認する。結果として何も変わらない事態が醸成されていく。しかし問題は、3・11以降の事態は、そういう原発業界・財界・政府・学界・電力関係労組等々、総じてこうした「原子力村」の馴れ合いを許さない、新たな時代の転換点にさしかかっていることである。
脱原発政策への転換は、日本の復興・再生のかなめであり、原発震災が突きつけた時代の要請であり、歴史的かつ人類的課題でもある。民主党が息を吹き返し、生き残る唯一の道は、迷走と混迷を深める現在の路線から、脱原発路線への明確な路線転換を行うことにあることを肝に銘ずべきであろう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.404 2011年7月30日