【書評】「グローバルスタンダードと国家戦略」坂村健著 

【書評】「グローバルスタンダードと国家戦略」坂村健著 
                          福井 杉本達也

 日経の「私の履歴書」(2006.4.16)で、宮沢喜一元首相は「日米繊維問題は『謀略』・ニクソン陣営、沖縄材料に」と題して、1970年から71年にかけて行われた、当時日米間の最大の経済摩擦と評された日米繊維交渉=繊維輸出の自主規制問題が、「沖縄を取引材料にしてニクソン陣営が仕組んだ謀略だったとしか思えない。」と結論づけている。いくら政界を下りたとはいえ、「日米同盟」の一方の当事者であった元首相(交渉時は通産相)が、当時「日米経済戦争」とまで騒がれた問題を「謀略」と決めつけているのである。
 最近のマスコミは事象を単発にしか報道しないので、あたかも「様々な問題が出ている」程度にしか世の中の動きを把握できないが、個々の事象は個別バラバラに起こっているのではなく相互に関わっている、政治と経済も相互に関わっていると見るのが「うがった見方」ではなく自然な見方である。米軍再編経費を日本が3兆円も負担する約束をしたのであるから、サービスとして、ブッシュ大統領が拉致被害家族の横田早紀江氏と会うことなど安いものである。中央青山監査法人の業務停止もこの間『グローバルスタンダード』として持ち込まれた「キャッシュフロー会計」や「減損会計」をはじめアングロサクソン型会計制度の日本企業への押しつけの最終的詰めの一環であり、いよいよ米国会計法人が直接日本に乗り込み個別企業をM&Aしやすように直々『監査』することとなる。この4月から施行された商法の改正=新会社法もM&Aをやりやすくするためのものである。防衛庁談合や一連の談合摘発も米企業の日本市場参入に目的がある。普天間基地のキャンプシュワブ沖移設の計画は米ベクテル社が設計している。道路公団談合もしばらく前に騒がれたが、ちゃっかりベクテル社は第二東名等の工事に参加している。金融危機だとして10兆円もの公的資金を投入した旧長銀はわずか10億円でハゲタカファンドのリップルウッドに売却され新生銀行として復活した。35年前は日本国民の反発を恐れ、密かに『謀略』としてしか行えなかったものが、今日では日本政府自らが公式に堂々と恥ずかしげもなく「差し出す」という、実に嘆かわしい事態となっている。
 坂村健氏はコンピューターOSのTRON(トロン)の開発者である。情報通信分野ではインテル・マイクロソフト連合が世界を席巻しているが、TRONも最近ようやく携帯電話やデジタルカメラといった家電分野で注目されだした。そのTRONには苦い歴史がある。1984年に、東大助手だった坂村氏は現在のパソコンからは比較もできないようなフロッピーディスク2台と低速の16ビットCPUでマルチウインドウOSが動くという優れた国産OSであるTRONを開発した。これを松下のパソコンに搭載し、学校教育現場に広めようとした。これに横槍を入れたのが、アメリカ・USTRである。TRONを非関税障壁だとして「スーパー301条」を発動すると脅した。結局、通産省はアメリカの脅しに屈し、TRON計画を潰してしまったのである(詳しくは、坂村健著「21世紀の日本の情報戦略」)。その後の結果は推して知るべし、パソコンの世界では、ほとんどのOSがつぶされ、マイクロソフトのウィンドウズOSの独壇場となっている。
 今再び、20年前と同じようなことがICタグをめぐって争われている。ICタグは昨年の「愛・地球博」の入場券にも取り入れられたので、入場券を手にした人はどのようなものかが具体的に分かるであろうが、ICを埋めこんだタグ(荷札)で、無線で情報を読みとったり、書き込んだりすることができる。このシステムをRFID(無線Radio の周波数Frequency を使った身分証明Identification )と言う。RFIDについて、日本では米国のつくったものをグローバルスタンダードとして使えばよいという認識がある。ICタグについて、日本ではすでに、坂村氏らのユビキタスICセンターが、Uコード体系を開発しているが、ペンタゴン・ウォルマート連合は、マサチューセッツ工科大学(MIT)のオートIDセンターが開発したEPCコードを世界標準にするため、一大運動を起こし、日本の経産省内にもこれに賛成する動きがある。これら一連の動きに対し「なにがなんでも『世界標準』『国際標準』に合わせるというのではなく、多様な判断基準と、将来まで視野に入れた戦略性をもって…自立的に判断すること…『グローバルスタンダード』という言葉で思考停止するのではなく、ともかくきちんと自分の頭で考えるということである」と坂本氏は主張する。「会計原則」についても「金融政策」についても「規制緩和」についても「グローバルスタンダード」だといわれると、それで思考を停止してしまう傾向がこの間続いている。特に米国との関係ではそうなっているし、軍事面では完全に思考停止の状態が続いている。本書は技術面から「グローバルスタンダード」というものを批判的に考察しているが、全ての関係に当てはまるものである。「一般論であるが日本人はそういう面での粘り強さは不得意で、大づかみで話をして『勝ち馬に乗る』的な思考停止をしたがる傾向にあるようだ。常に疑い、常に考え続けていることは体力がいる。体力不足から来る思考停止と、結果として国際標準を採用しさえすればよいという考えには安心感がある。」と著者は述べているが、今日の我々に求められるものも「常に疑い、常に考え続ける体力」ではなかろうか。

 【出典】 アサート No.343 2006年6月24日

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