【書評】 『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」──帝国陸軍戦法マニュアルのすべて』
(一ノ瀬俊也、文春文庫、2015年、730円+税)
本書が取り上げる主な米陸軍の兵士向け対日戦マニュアルの原題は、“The Punch below the Belt”(1945年8月)である。直訳すれば、「ボクシングで相手のベルトの下を狙う(卑怯な)一発」ということになるが、本書ではわかりやすく、これを『卑怯な日本軍』として紹介する。
さてその出だしは次のようである。(以下、『・・』はそれぞれの原著からの引用である。)
『日本軍は卑怯な手を好む。戦争の歴史上、背信とずる賢さにおいて日本軍にかなう軍隊は存在しない。真珠湾のだまし討ち以来、アジアや太平洋の島での作戦を通じて、日本軍はあらゆるトリック、優勢を獲得するためのまやかしを使った。今や彼らはどんどん追い詰められて劣勢を強いられ、自殺的な戦いをしていることを自覚している。(略)日本兵と戦う将兵がまず学ぶべきことは、どんな状況でも奴らを信用してはならないということだ』。
前線の将兵向けということもあり、その基調は日本軍への差別や憎悪に満ちていることを念頭に置いておかなければならないが、 日本軍の繰り出す「策略」は、四つのパターンに分類されるとする。
「①降伏するふりをする、②傷を負ったり死んでいるふりをする、③我が軍の一員のふりをする、④友好的な民間人のふりをする、である。『すべては我々を油断させて殺したり、捕虜にしたり、混乱させたり、資材や設備を破壊するため』であり、これまで戦場から報告されている策略のうち少なくとも九〇%は、それら四つのトリックのうちの一つであるとされる」。
例えば「②死んだふり」についての報告では、『クェゼリンでは、日本兵が戦友たちの死体の中に、目標がすべて現れるまで、完全に身をさらして寝そべっていた。米軍の下級将校が、これらの生きている死体のすぐ横に長い間立って、完璧な目標を提供した。けれども日本兵はあえて彼を撃とうとせず、他の数人がやって来るまで、死んだままでいた』。
この他、欺騙(ぎへん)戦術(軍の強さや意図について誤った印象を与える戦術)、忍び込み、通信に介入、待ち伏せ、狙撃兵、偽装とダミーの兵器や陣地の設置、地雷、仕掛け爆弾が、ガダルカナル、ニューギニア、ペリリュー、ソロモン、ビルマ、セブ等の諸戦線での事例で詳細に説明されている。
なかでも地雷と仕掛け爆弾が、米軍の機械化戦法に追い詰められた日本軍の「対米戦法」の中心的兵器として活用されたという事実が指摘される。
すなわち、「日本軍が米軍陣地に突撃すると『主抵抗線の前面に全火力を集中するを主義とするが、後方にも多数の機関銃、迫撃砲を排列し、砲兵火力とあいまって陣内における強靭な抵抗を企図す』(『米英軍常識』、教育総監部、1943年)るのが米軍のやりかた」であり、日本軍の白兵攻撃を猛烈な火力で破砕する(阻止弾幕射撃)。また日本陣地に攻撃してくるときには、「連日昼夜の別なく猛烈な砲爆撃を行って人員を殺傷、陣地設備を破壊、ジャングル地帯も約一か月で清野と化し、その支援下に歩兵を進め」たとしても、「戦車に歩兵が膚接(近接)して突撃してくることは少ない。(略)じりじりと火力・機械力で押してくるのである」(ソロモン諸島ニュージョージア島での記録、1943年8月、日本軍撤退)。
このような圧倒的な火力という現実を見、米軍の強大さに対抗手段が存在しないことが認識されたにもかかわらず、日本軍は「伝統」の白兵・肉弾戦に執着する希望的観測と、(国民性から見れば)「ひたすら人命を奪えばアメリカは折れる」、「〇〇の戦場で××人殺した」などという空想的ではあるが、一見客観的に思える「戦訓」が付け加わって、とにかく米軍を足止めして人命を奪い戦意をくじき、戦争を遂行するということに一縷の望みをかけはじめたのである。その結果、土壇場での「対米戦法」として登場したのが、地雷と仕掛け爆弾であった。
その詳細は本書を見ていただきたいが、米軍の報告書には『作戦のなかで遭遇した地雷は量も質も多数であった。標準的に製造された地雷の使用は例外であった。地雷を即製で作るなかで、撃針用の針から手榴弾用の水道管まで、あらゆるものが使用された』(フィリピン、セブ島の戦闘工兵大隊の報告書、1945年7月)と述べられている。それは米軍の対日戦法に無力であった日本軍の必死の抵抗と工夫の跡でもあった。
このような急造の地雷や仕掛け爆弾による抗戦は戦争の状況を変えるには如何ともし難いものであったことは明らかである。しかし地雷は「敗勢挽回の焦りの中でプロの軍人たちの頭ではいつのまにか一発逆転の決戦兵器へと変化してしまっていたのである」という本書の指摘は、兵士を「一個の“地雷”視」する特攻作戦すら実行した日本軍の本質を言い当てている。
なおここでは詳しく紹介する余裕はないが、米軍が日本軍を『卑怯な日本軍』として描いたのと同様の構図を、かつての日本軍が中国軍に対して描いていたということも言っておかなければならない。
例えば上述の「死んだふり」について、『手榴弾教育の参考』(陸軍歩兵学校集会所、1939年)には、『攻防いずれを問わず敵〔日本軍〕の射撃などに対して仮死を装い、敵兵が近接すると不意に乗じて手榴弾を投擲する方法をしばしば実行する』とある。
本書はこれについて、「死体のふりという罠は、(略)『卑怯な日本軍』の専売特許ではなかったということになるし、対米戦で追いつめられた日本兵がかつて体験した中国軍の戦法を想起し応用した、という可能性もなくはない」と指摘する。追いつめられた中国軍と追いつめられた日本軍との対応の類似は興味深い。双方の軍の相違とともに探求されるべき課題であると言えよう。(R)
【出典】 アサート No.496 2019年3月