【投稿】蠢く大日本帝国の亡霊達

【投稿】蠢く大日本帝国の亡霊達

8月15日、靖国神社は国家主義を標榜する宗教団体や右翼、さらには排外主義者から、軍装に身を固めたミリオタまでが押し寄せ、境内はさながらカルトのテーマパークの様相を呈した。

こうしたなか超党派の議員連盟である「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に属する衆参52議員が集団参拝した。これとは別に自民党の荻生田幹事長代理と小泉厚生労働部会長は個別に参拝した。

小泉は7日の総理官邸での結婚会見では「政治家小泉純一郎のまねはすべきではない」と話しておきながら、舌の根も乾かないうちに父親のまねをした。軽薄極まりない振る舞いであり、菅は自分の次は進次郎と考えているようだが、とても総理の器ではないだろう。

有象無象が靖国の鳥居をくぐる中、今年も安倍は私費での玉串奉納でお茶を濁し、閣僚も参拝しなかった。安倍らが反省しているのかと言うととんでもなく、当日の全国戦没者追悼式では引き続き、加害責任には触れず、謝罪の言葉もなかった。

今回安倍は、広島、長崎の原爆犠牲者、沖縄戦や東京など空襲の犠牲者に対しては哀悼の言葉を述べた。しかし先日の被爆地での式辞や被爆者との面談はそっけなく、不誠実極まる対応であり、心にもない美辞麗句を並べたところで、化けの皮はすぐにはがれると言うものである。

一方、新天皇は追悼式で前天皇が述べていた「深い反省」を踏襲し、「人々」に寄り添う姿勢を見せた。またこの間宮内庁は靖国神社からの参拝要請を断るなど、平成の天皇家の基本路線を令和でも引き継ぐ動きを見せている。

新天皇は即位前後、安倍に籠絡されたようにも見えたが、こちらは積極的に「父親のまね」をすべきであろう。

こうしたなか、戦後、初代宮内庁長官が昭和天皇との対話を書き記した「拝謁記」の内容をNHKが特番として放送した。そのなかで昭和天皇は戦争に関する「反省」表明を模索する一方、ソ連に対抗するため改憲―再軍備を指向していたことが明らかになった。

これまで昭和天皇は開戦に反対し、終戦を主導、戦後は人間宣言を経て新憲法の下、平和を希求してきた、と喧伝されてきた。しかし今回1952年の講和直後に、「軍備の点だけ公明正大に堂々と改正」と9条改憲、再軍備に言及するなど、その本質は「大元帥」のままであることが明らかとなった。

これは現在石破などが主張する原理主義的改憲とほぼ同じであるが、安倍を支持する改憲勢力はこれを利用するだろう。そして「父親のまねをせず」護憲を表明していた前天皇に対する批判を強めるとともに、新天皇に対する揺さぶりをかけてくると考えられる。祖父=岸信介を敬愛する安倍は、我が意を得たりの感だろう。

跋扈する大日本帝国の亡霊は国際関係をも破壊している。河野太郎は父親の偉業を否定するかのように、韓国に対し居丈高な対応を繰り返している。韓国政府はGSOMIAの破棄を決定したが当然であろう。

トランプと金正恩が会談を重ね、文政権も対北融和を堅持するなか、安倍も無条件の日朝会談を懇願する状況で「北朝鮮の脅威」は消滅した。そしてそれを理由とした軍事連携も必要は無くなったのであり、同時に東アジアに於ける日本の「友好国」も無くなった。

ラブロフ外相は「日露平和条約交渉は行き詰まったわけではない」と述べたが実際は停滞している。これを「プーチンの支持率が低下したから日本に強く出ている」とロシアの国内事情に原因を求める論調もあるが、プーチンの支持率が200%であっても寸土も帰ってこないだろう。

平和条約の前提は日本が第2次世界大戦の結果を認めることである。しかし「大東亜戦争は自存自衛の戦争」とする靖国神社に、多数の国会議員が拝跪する光景は、全員が丸山穂高に見えてもおかしくはないだろう。

安倍内閣の不参拝は韓国との関係が悪化する中、中国への配慮であることが鮮明となった。しかし一方では中国を対象としたF35Bの配備、F2後継機の開発、さらには宇宙空間、サイバー空間での戦力拡大など軍拡のペースは加速されている。

さらにこれらは「島嶼防衛」に止まらず、大東亜共栄圏の焼き直しのような「自由で開かれたインド太平洋構想」推進の為にも利用されようとしている。

今後日本を起点とする東アジアの緊張は、ますます高まるだろう。

これに対抗すべき野党はナショナリズムの前に腰砕けであり、正論を述べているのは石破ぐらい「日韓関係は問題解決の見込みの立たない状態に陥った。わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、さまざまな形で表面化している」(石破茂オフィシャルブログ)という状況である。

立憲と国民の両民主党は統一会派を合意したが、単なる数合わせではなく、大日本帝国の亡霊の跳梁跋扈を許さない具体的な取り組みが求められている。

カテゴリー: 平和, 政治 パーマリンク