【書評】『ジョブ型雇用社会とは何か―正社員体制の矛盾と転機』
(濱口桂一郎著 2021年9月、岩波新書、1020円+税)
福井 杉本達也
日本の大企業特有の人事労務管理制度を「メンバーシツプ型雇用」・世界で一般的な制度を「ジョブ型雇用」と定式化したのが本書の著者:濱口桂一郎氏である。本書は「雇用システム論の基礎の基礎に立ち返り、ジョブ型とメンバーシップ型とは何であり、何でないのかを」分かりやすく解説したものである。https://www.iwanami.co.jp/book/b589310.html
1 いきなり「同一労働同一賃金」に“踏み込んだ”?安倍元首相
2016年1月の施政方針演説において、安倍晋三首相(当時)は「多様な働き方改革」の一環として、派遣労働者と正社員の賃金や待遇の違いを是正する「同一労働同一賃金」の実現に踏み込むと表明した。1960年代に欧米型の賃金体系を主張したのは、関西の研究者を中心にした「横断賃率論者」であったが、実に60年ぶりの「同一労働同一賃金」という“言葉の復活”であり、“一瞬”のあわい期待?も浮かんだ。しかし、各界からは驚きと混乱を持って迎えられた。当時の日本経済新聞の解説記事は、「『同一労働同一賃金』が何を指すかは政党や団体の間で解釈が割れている」とし、旧民主党は「欧米の事例を参考に日本の雇用慣行に即して正視・非正規間の格差解消」と答え、経団連は「将来も含めた労動者のキャリアや責任の程度なども加味して、同じ価値をもたらす労働に同じ賃金を払う。意欲と能力に応じ処遇」と、また、連合は「転勤や配置転換に伴う精神的苦痛や専門的知識も加味し、向じ価値の労動には同じ賃金を払う」と回答している(日経:2016.1.23)。解釈が「割れている」どころか、欧米社会で形成された雇用モデルであるジョブ型を全く理解できておらず、意味不明の言葉の羅列である。本書は「ジョブ型では、契約で定める職務によって賃金が決まっています。人に値札が付いているのではなくて、職務。ジョブに値札が付いているわけです」とし、「同一労働同一賃金という言葉は、本来このジョブに値札が付いていることが大前提です。同じジョブなのに値段が違うというのはおかしいことです」と明確に規定している。「日本の雇用慣行に即し」たり、測定不能の個人の「意欲と能力に応じ」たり、「精神的苦痛や専門的知識も加味」したりすることはもっての外の行為なのである。60~70年間もメンバーシップ型の世界にどっぷりと浸かった我が国においてジョブ型の「同一労働同一賃金」はほとんど理解不能の代物といってよい。本書は「メンバーシップ型の世界で同一労働同一賃金という言葉をもてあそぶのは、大変ミスリーディングなのです」と書く。
2 労働組合が作り上げた日本型賃金制度
日本のメンバーシップ型賃金制度である年功制は戦時体制下に始まったが、その思想は生活給にあった。「生活給とは。賃金は労働者の家族を含めた生活を賄うべきものであるという考え方」である。本書に「電産型賃金体系」という、今日では誰も知らない、これまた”懐かしい“言葉が出てくる。今は「電産」というと、モーターなどを造る「日本電産」が思い浮かぶが全く関係ない。「電産」は、電力産業の産業別労働組合であるが、「終戦直後の時期に、日本の労働組合が労使交渉の結果作り上げた賃金体系」であり、その「賃金表は、縦の列は年齢、横は本人、扶養家族一人、二人、三人、四人となっており、本人が何歳で扶養家族が何人かによって自動的に基本給が決まるという仕組み」であり、「生活給の発想に最も近い賃金体系が、労働組合の主導の下で作られ、その後の労使紛争の中で他の業界、企業にもこのような賃金体系が広まって」いった。米国から呼んだ労働諮問員会も、世界労連の視察団も生活給の考え方を批判したが、「日本の労働組合は断固として生活給思想」を”守り抜いた“??のである。
その後「経営側は熱心に同一労働同一賃金に基づく職務給を唱道し」、政府もまた職務給に変えるべきだと主張していたが、労働側・特に総評はこれに反対した。この立ち位置が変わるのが日経連が出した能力主義管理である。これにより、「政労使の配置状況の存在理由がなくなってしまい、この後、政労使を巻き込んだ賃金に関する議論は長い間、消えることになったのです」とし、「職能給に労使が合意したのは、それが年齢とともに上昇する賃金体系だから」であり、若者層からの生活給に対する疑問や批判が噴出した労働側にとっても「不可視の『能力』によって年功賃金を説明してしまえる職能給はありがたい存在だった」と本書は書く。
3 常識外れの立法政策を支えた労働法学者:水町勇一郎氏
安倍首相の施政方針演説前後の「この時期、官邸は日本型雇用システムを抜本的に変えるのではない形で同一労働同一賃金が可能だという学説を希求」していた。しかし、通常そのような学説はあるはずがなく、「①賃金制度をジョブ型に総入れ替えなんてできない」と論ずるか、「②同一労働同一賃金を実現するために賃金制度をジョブ型に総入れ替えすべし」と唱えるかしかない。しかし、そこにこの“無理難題”を解決する救世主として、都合の良い水町勇一郎氏という労働法学者が登場したのである。本書は水町氏の真の意図を「日本の職能給を職務給に変えなくてもいいと官邸を安心させておいて、職務給に限らない同一労働同一賃金原則を日本法制に導入することによって、いかなる賃金制度をとるかは自由だけれども、その賃金制度の下で正社員と非正規労働者を同一の基準で処遇しなければならないという規範を実現しようとしていたのではないか」と大胆な想像をめぐらしている。「正社員が職能給なら非正規も職能給にしろ、おまけで差がつくのは構わないが、本体は一緒にしろ」ということである。
しかし、その水町氏の意図は官邸の「ガイドライン案」によって見事に“換骨奪胎”されてしまった。本書は「賃金の決定基準・ルールの違いについて、職務内容、職務内容・配置の変更範囲、その他の事情の客観的・具体的な実態に照らして不合理なものであってはならい」という一文で、「万能選手の『その他の事情』が含まれ、しかも合理的基準ではなく不合理性基準に緩められています。正社員と非正規労働者の賃金制度が全く異なるほとんど全ての日本企業にとって、この微妙な一文の違いは極めて大きなものであった」と喝破している。結果、「水町の真意に反して」、「本来のジョブ型に統一するという意味でも、メンバーシップ型に統一するという意味でも、同一労働同一賃金の名に値しないもの」されてしまったと本書は“憶測”しているのであるが、みごとな精神科医師顔負けの心理分析というほかない。水町氏は官僚の描いた作文の上でみごとなピエロを演じたということである。しかし、これは水町氏よりも官僚が一枚も二枚も上手だったということに過ぎない。2017年5月14日付けの朝日新聞は「2015 年 1 月 23 日、東大の労働法学者、水町勇一郎は当時の内閣府の官房審議官 新原浩朗を相手に自説を披露していた。この新原は経済産業省出身で労働政策に関わったことはほとんどないが、にもかかわらず、後に内閣官房に設けられる『働き方改革実現推進室』の室長代行補に就任し、看板政策を切り回すことになった」と書き出している。政府は翌 16 年 3 月、水町氏や有識者を集めて「同 一労働同一賃金の実現に向けた検討会」を設置し、表向きはこの場で看板政策の立案に向けた作業が進むとみられていたが、「実際は違った」、「作業は水面下で進められた」。同年9月「新原らは『原案』を持って、水面下で経済界 との調整も進めていた。有識者による検討会は、すっかりないがしろにされていた」と記事は指摘している。
ジョブ型雇用を理想化し、簡単に導入できるかのような議論が盛んであるが、政労使ともメンバーシップ型の頭しかない中で、横行するトンデモ論を縦横無尽に“切った張った”する本書は読みごたえがある。
私もこの本を興味深く読みました。頭がすっきりした感じです。
かつて、労組役員だった時代、まさに「生活給」としての賃金を追及していましたね。子供が大きくなる年齢だから、賃上げを厚くしろとかね。
しかし、欧米の「ジョブ型」賃金とは、仕事に値札がついているわけで、同じ仕事内容なら、年齢も男女も賃金に格差はありません。教育や住宅費の補填は、国の責任とされ、社会制度として提供され、賃金とは関係がないわけですね。まさに同一労働同一賃金になります。その結果として、若年者の失業率は高くなるというわけです。
所謂「非正規問題」も、欧米では聞きませんね。同一労働同一賃金ですから。
特殊的、歴史的に形成されてきた日本のメンバーシップ型雇用システムの問題点は、本書の中で、ほとんど網羅され解明されています。
日本のメンバーシップ型雇用をどう転換させていくか、本書では提示されていませんが、それは我々の課題ということでしょうか。労働運動関係者、必読の書だと思います。