【書評】『東電原発事故10年で明らかになったこと』
(添田孝史著、平凡社新書、2021年2月発行、840円+税)
2020年9月、福島第一原発の立地する福島県双葉町に、東日本大震災・原子力災害伝承館が開館した。53億円の事業費を国が負担し、福島県が運営している。3階建て約5000平方メートルの伝承館には「災害の始まり」「事故直後の対応」「長期化する原子力災害の影響」など6つのブースがあり、消防士の装備などの実物など映像や模型も使って、原発事故の様子を残そうとしている。
著者は言う。「展示を見終わると奇妙なことに気づく。高い津波が襲ってきました。福島第一は放射性物質を漏らしました。住民たちは長く苦労し、それでも復興に挑戦しています、という流れで展示されている。『なぜ、事故は起きたのか』にはまったく触れていないのだ。/国や東電は『絶対事故は起こさない』と説明していたのに、どうして事故を防げなかったのだろう。事前の対策は十分だったのか。津波に襲われた原発は他にもあったのに、なぜ福島第一だけ事故を起こしたのか。そんな疑問に伝承館の展示や説明は何も答えてくれない。つまり(略)国や東電が事故前に何をしていたかという内容は、すっぽり抜け落ちている」。
続けて言う。「伝承館には、事故を経験した人たちの生の声を聞くことができる『語り部講話』の部屋もある。ところが朝日新聞の報道(2020年9月22日)によれば、伝承館は語り部に対して東電や国の批判をしないよう求め、原稿を確認、添削しているのだという」。
本書はこの謎に、年代記的に迫る。
「日本の原発は、耐震設計審査指針によって、どんな地震を想定するか、どんな強度で建屋を造るのかなどが定められていた。1978年に原子力委員会が策定した耐震方針は、想定している直下型地震の規模や活断層の定義などが時代遅れで過小評価になっており、90年代から地震学者が批判していた。しまし、電力会社の抵抗があり、指針はなかなか改定できなかった。原子力安全委員会は2001年にようやく耐震指針の見直しに着手、2006年9月19日に、新しい耐震指針がき決まった」。
そしてこれによって、指針改定以前の古い原発も、耐震安全性を再チェックすることが求められた(耐震バックチェック)。
これに関連して2007年1月16日、各電力会社の津波対応の会議では津波の余裕率の全国平均は0.96──想定水位の1.96倍の津波が襲っても、施設や設備に影響はなく、大事故が起きないことを意味している──であった。「しかし福島第一は余裕がゼロで、もっとも余裕がなく、表(原発余裕率の一覧表)中で唯一『対策実施検討』と書かれていた」。
またJNES(原子力安全基盤機構)は、2007年4月、最近発生した国内外の原発事故を分析して、原発名を伏せた形で福島第一に同様の浸水があった場合にどうなるのかを報告書に載せていた。それによると、「解析した別のトラブルでは炉心損傷につながる確率は1億分の1程度なのに、洪水や津波で水につかった場合に炉心損傷に至る確率だけは100分の1より大きく、桁外れに高いリスクが明らかになっていた。/この時点で、津波のリスクは、数多い原発のリスクのうちの一つ、と片付けられないことが数値的にはっきりしていたことがわかる」。
これについて東電に、東電設計から津波を詳しく計算した結果──敷地南部では15.7メートルの津波にもなり、1号機から4号機周辺が広範囲に水に浸かる、4号機では建屋が2メートル以上も水に浸かると予測される──が届き、この数値は想定設計5.7メートルを大きく上回るので、対策が取られようとしていた。
ところがこの改善に向けての取り組みを検討しようとしていた矢先の2007年7月16日に新潟県中部地震が発生する。この地震で柏崎刈羽原発全7基が停止し、代替の火力発電の燃料費や復旧費用などがかさみ、東電は28年ぶりに赤字に転落するのである。
ここで東電は2008年7月31日、流れが変わる方針を打ち出すことになる。すなわち「・バックチェックは従来の5.7メートルの水位で進める。・地震本部の津波地震を採用するかどうかは、土木学会で検討してもらい、その後に対策を実施する。・この方針について、有力な学者に根回しする」となった。換言すれば、津波地震の対策をするかどうかは土木学会に依頼し、その検討の結果を待つということで時間稼ぎをするという姑息な方針の採用となったのである。しかも専門家への根回しをしつつである。
またこの後11月13日の会議では、津波地震とは別タイプの地震「貞観地震」(869年)による被害も課題とされたが、これに対する対策もバックチェックに取り入れないことも決定されている。
(これに関して言うならば、東北電力は女川原発について、貞観地震をバックチェックに取り入れて津波想定を見直し対策を立てて実施した。また日本原電は、(東海第二原発の)津波対策を着々と進め、「バックチェック最終報告書は従来の土木学会手法や地元茨城県の津波想定でまとめ、実際の対策は地震本部の津波地震に備える形で進めた」。つまり公開された最終報告書以上にこっそり上乗せした対策を取った。しかしこのことは「東電に配慮して」非公開で進めていた。)
そしてこの津波リスクへの対応がずるずると先送りされてきた構図では、東電、根回しされた専門家たちに加えて、本来チェックの役割を果たすべきであった保安院も、東電や資源エネルギー庁に「配慮して」、そうではなかったことが明らかにされてくる。その詳細は本書を見ていただくとして、こうした三者三様の無責任な対応が津波に対して大事故を招いた前提を作り出していたことは間違いがないであろう。
本書には、この後の原発事故の検証と賠償──原発への賠償の目安となる中間指針は、2011年8月にまとめられた。「東電はこれをもとに自主的基準をつくり被害者に賠償を進めた。しかし政府の指針は、少なくとも最低でもこれだけは賠償しなさいというラインを示したものなのに、東電は指針があたかも賠償の上限であるかのように振る舞ってきた」と指摘されている──の問題点および国の原子力政策に対する疑問も提出されている。
つい先日の7月15日、岸田総理が「最大9基の原発稼働」を指示したというニュースがあり、また14日には東京地裁が東電旧経営陣に13兆円の賠償命令が出た。共に今後の成り行きは不透明であるが、原発への動きが再加速されようとしている現在、原発事故10年で見えてきた事実をここで今一度確認しておくことは必要である。(R)