【書評】『黒い雨』訴訟(小山美沙著、集英社新書、2022.7)

【書評】『黒い雨』訴訟 (小山美沙著、集英社新書、2022.7.発行)

黒い雨訴訟 1957年4月に制定された「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)によれば、「被爆者」は四つに分類される。①原子爆弾が投下された際に広島市・長崎市の区域内にあった者(直接被爆者)、②その時以後一定の期間内にその区域にあった者(入市被爆者)、
③その他原子爆弾が投下された際やその後において身体に放射能の影響を受けるような事情にあった者(医療従事者等)④以上の規定に該当した者の胎児であった者(胎内被爆者)である。この法律はその後改正されて、また1968年には「原爆特別措置法」が、1994年にはこの二法を一本化した「被爆者援護法」が成立して現在に至っている。これにより基準を満たし被爆者と認定された者には、被爆者健康手帳が交付され、無料の健康診断の他、原爆に起因すると認められた病には全額国庫負担で治療を受けることができる。それ故病に侵され働くこともままならない被爆者にとっては医療給付は必須のものとなっている。
 ところがこの被爆者の認定を巡っては、運動によってその範囲が徐々に広げられてきたとはいえ、国の方策が壁となって切り捨てられてきた人びとが数多く存在してきた。そのの最たるものが「黒い雨」に打たれた人びとであった。「井伏鱒二の小説『黒い雨』は有名でも、黒い雨を浴びた人たちがどのような健康影響を訴え、またどんな境遇に置かれてきたか」はほとんど知られてこなかったのである。本書は、この国の壁を打ち破り、被爆者であることを認めさせた運動の経緯を辿る。
 その詳細な内容は本書に譲るが、この運動は、広島市外の地域で黒い雨にあたり健康障害を発症した人びとをどこまで被爆者として認めさせるかという闘いであったと言える。これについての最初の調査である「宇田論文」(1945年12月)は聞き取り調査で爆心地から北西方向に幅11~15㎞、南北約19㎞~29㎞にわたって黒い雨が降ったと指摘して、これを長卵形の二重の楕円で示した。そして内側の小さな楕円を「大雨雨域」と表記した。これは原爆がもたらした黒い雨が広島市内ばかりか広い範囲に及んでいたことを明らかにしたものであり、これによって小さな楕円内は「健康診断特例区域」に指定され、そこにいた人びとは被爆者と同じ健康診断を無料で受けることが可能になった。しかし被爆者健康手帳を受け取るためには「原爆の放射能の影響を疑わしめる」10種(現在は11種)の障害のいずれかを伴う病気の発症が条件とされた。そしてこの病気の発症の条件は、その後の国との長い戦いにおいて大きな障害となった。
 しかしこの「大雨雨域」=「宇田雨域」は現実には行政側の都合で、境界線の多くが集落を横切る山や川の上に引かれたため、「集落内のコミュニティーや同じ学校に通うクラスメイト、そして家族をも容赦なく分断した」。ある家族の長女は自宅前を流れる太田川の南側に草刈りに出ていた。二人の妹と母は、川の北側の自宅にいて、ともにピカッと青い光、爆風が吹き付け、その後焼け焦げた紙やボロが飛んできて、大粒の雨が降ってきた。しかし申請して被爆者健康手帳を受け取れたのは長女のみであった。
 この不公平、不条理を何とかしようと運動が起こり、その後さらに詳しい調査、「増田雨域」、「大瀧雨域」が発表されるが、国側は「科学的・合理的な根拠」がないとして区域の拡大を認めす、また内部被ばくについても頑として否定し続けた。
 そこで2015年11月、「黒い雨被爆者」原告64名が、国に対して第三号被爆者(冒頭の被爆者の③にあたる)の認定を求めて提訴に至る。この裁判の経緯も本書に詳しいが、原告側の主張が極めて真っ当なのに対して、被告の国側が薄弱な「科学的・合理的根拠」に固執し、被爆者の増加に歯止めをかけるという本音のための強弁に終始する主張は、反面教師として一読に値する(4章「黒い雨」訴訟)。裁判は結局、「原爆の放射能の影響を疑わしめる」10種(現在は11種)の障害を伴う病気の発症」という規定を逆手に取った地裁裁判長の判断により、原告全員に被爆者健康手帳の交付を命じるという勝訴となった。そして国側は控訴するが、続く高裁判決もこれを支持して確定した。
 しかしこの判決を突き付けられても国は、原告を救済するとしたものの、内部被ばくについては認めようとせず、中途半端な「政治判断」によって事を収めた。さらに重要なのは、原告以外の救済については、「黒い雨に遭ったことが確認できること」に加えて「疾病要件」を設けて、被ばく者を「差別」している、と本書は批判する。
 この裁判の中で明らかになってきたのは、被爆者数の拡大の阻止を図って、被爆者の連帯を「分断」し、その中に「差別」を持ち込んで運動の力を削ごうとする国の露骨な姿勢である。そしてその姿勢はまた、福島第一原子力発電所事故でも続いている。避難地域への帰還推進とセットになった住宅補助の打切りによる脅迫的施策、自主避難者の無視等はまさしく被害者を分断するものと言えよう。
 本書は、国との長い地道な闘いの中で、「黒い雨」の下に生きてきた人びとの思いがが伝わってくる労作である。(R)

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