「統一」会議諸Gの残慮なキャンペーンに忠告する。(民旗93号)

1971年12月 「統一」会議諸Gの残慮なキャンペーンに忠告する。(民旗93号)

民旗 第93・4号 1971年12月10日 (全文PDFはこちら)

成果ふみ固め、全国委の旗の下 さらに全国学友の先頭に起とう!
                              全国委書記局

<「統一」会議諸グループの浅慮なキャンべ ーンに患告する>

●同盟の現在、闘いの前進

 われわれ民主主義学生同盟は69~70年の激闘の中での一部の脱落をも発展のためのバネとして、大きな成長を遂げている。「軍国主義強化反対」の旗を高らかに掲げた大衆運動の全面的展開とその真只中での組纖の全国的建設を着実に達成して来ている。今秋期のわれわれの闘いは、12回大会以降の全国委ー地方委一支部委にいたる民主集中性に賞かれた組織確立強化、各園における闘争委確立、大衆化ークラス運動の全面的展開の成果を収約し、 「自治会運動の掌握確立」に向け大きく前進しようとするものであった。 われわれはその課題を、10.21阪市大Cスト、11.19神大Cスト、阪大Dスト、11.24岩大Cストを比類のない大衆性において構築することによって11.15~16の1000の全国結集行動の展開、そして現在における名工大、京大C自治会選挙における民青派との真正面からの対決を貫く中で成功裏に達成して来ている。 そして新らたな可能性を手にしている。こうしたわれわれの強固な全国的成長の過程は、他面当然のことながら官憲、他党派の敵対、妨害との敢然たる対決の過程であり、それと原則的な態度で対処することなしには有り得なかったし、現在においてもそうである。 こうした実践的立場にあるがゆえにわれわれは、「統一」会議を仮称する諸グループの一部「指導部」の行ったこの間の一連の反「民学同」キャンペーンを確かに「かすかなもの」であるが許し得ない、すなわちそれが、内容以前の、少しとも闘う者の態度からして当然の節度を欠いたものであり、同時にそれが善意ある若い活動家を不幸な誤りに導びいているからである。 以下、簡単にその誤りを正し、忠告するものである。

●12回大会の論争点
 今彼ら一部「指導部」は、われわれの立場を「ゲバルト路線」 (デモクラート二四号)と規定しあたかも12回大会以来、実践的検証を求められていたものが、その点にあるかのごとく論争点を悪く単純化している。 こうした態度は、「…11.18阪市大学生大会にも…他大学生を動員し、革マル黒ヘルとの集団ゲバルトに持込もうとしている」 (11.18阪大「デモクラット」)と全く事実無根の予断と偏見に基く頻繁な悪宣伝が示しているように、善意ある活動家を無理やりに牛耳っている。しかし問題はそんな所にあったのではない。討論を真の姿にもどすために十二回全国大会で論争された主要な問題をここに整理しておこう。 主要な論争点は第一に政府独占の大学の帝国主話再編の攻撃に全学協の確立を中心に、徹底した反独占民主改革の旗ー「全共闘」 Mの流行と代々木派民青の収集策動の中で最も求められていた-を掲げて闘うか、否か、第二に、佐藤訪米阻止を大衆運動の重要課題として取り上げて闘うか、否か、第三にその闘いを「課題と基本戦術の一致」を原則に全ゆる自治会、闘争委、実行委を貫く共同闘争として闘う-自治会の多くは崩壊、機能停止の中で原則的自治会運動の再建への最短の道-か否か、第四にその過程において「総評労働者(大阪においては反安保府民共闘の闘い)との連帯」を堅持し、実力阻止派に対する実践的批判を行なうか否か、学生大衆の層的決起のために闘争委(学生共闘、統一会議、平民闘委など)の確立、強化の具体的措置を積極的に功じて行くことの是非であった。 以上のことが全国学園闘争、69一70年安保闘争というとりわけ、同盟としての全国的結束、機敏な実践的対処を要求する中において論争されていたのだ。 それゆえそうした現実は「同盟は民主集中性をもって組織原則とする。 個人は組織に、少数は多数に従う。 少数意見を尊重し民主的に討論し、決定したら全員がそれを実践する」(規約第八条)を承認するか否かを一般的命題としてではなく、具体的場面において問うていたのである。「統一」会議指導部は一様に後者を、否をとった。 その後彼らは前記の五点の問題を不間に付すか、なし崩し的に手直しするしかなかったのである( 一例「〇〇〇」の闘争委の設置)。 「統一」会議の下に在る学友諸君!我々民学同全国委は、諸君がいずれにせよわれわれに処置され、わが同盟への非ぼう、中傷のみを任務とする「組織」に結集する限り、以上の五点だけでも自信をもって自らの立場を明らかにしうるまでに、明確にし総括する義務を当然負うと思っている。 また君達の「指導部」はその指導をやらねばならないし、諸君はそれを要求する権利を持っている。ところで諸君は知らされていたのか?、検討してみたのか?、理解したのか?

●今秋の彼らの態度 その意味・ 破産

 以上を踏まえた上で「ゲバルト路線」なるものを検討しよう。 少くともそれが論争されていていた中心的間題での彼らの原則的立場の主張ではないことは明らかである。 ところでその後退した地点でわれわれに対置したいわば最後の手段自身どうだったのか、「デモクラート」No24は、はっきり書いている。
 「十八日阪市大で起った学生共闘と革マルの内ゲバは、翌々日の市民を巻込むほどの市街戦に発展し…」「周辺の商店から角材、空ビンを盗み出し…」「京都においては、アナキスト集団とゲバ抗争を繰返し…」以上の宣伝は、そもそもこうしたことを取上げる態度においてもまた、誤りがあり、第二は事実の誤認、事態に対する自らの態度表明の欠落という二重、三重の誤りをおかし、しかしそれを現実に行なった中でわれわれの組織とそれを支持する広範な学友にただではすまされぬ影響を与えているのである。
まず阪市大における事態の本質は革マル派・黒ヘルの10・16運営委に対する襲撃、10.18早朝の襲撃、10.20,21の彼ら、そして全く無関係な「赤ヘル軍団」を含めた、活動への襲撃、スト破壊、官憲のわれわれに対する恫喝と彼らに対する容認が示すように、革マル、黒ヘルの一貫した敵対にある。 京都のそれは、テロリストを使った官憲のわれわれに対する組織破壊策動にある。 テロリスト集団は7.27以前は京大に全くいなかったしそして10.24以降も姿はない、これは何を意味しているのか?それは何より大阪市大京大の学友が最も良く理解している。京大民青さえ「学生共聞への黒ヘル攻撃は、ひとり彼らへのものではなく、民主勢力全体に対するものである……」と語っている。
 「統一」会議「指導部」の誤りは明らかではないか。 この間の彼らの饒舌の限りつくしたキャンペーンの一体何処に革マル派黒ヘル、アナーキスト、京部府警に対する糾弾(闘う者の前提)があったというのか、それどころか納粋の「反民学同」キャンペーンである。 ごれがそもそも「喧嘩両成敗」の域にも程遠い、気の毒な程稚拙(ことによったら悪質な)ものであることは心ある全ての学友に明らかである。 彼らは阪市大京都における事態の一体何程かのことを知つていたのか、今だに「内ゲバ」と言っているのは自分達と朝日新聞だけだということ(読売京都支社社会部は否を認めている)に気づいているのか。  この間の同盟は、官憲、諸党派、ブル新の恫喝聞込み追跡悪宣伝から大衆運動と組織を防衛し、強化、発展させて来たことを知つているのか、君らの悪宣伝の真只中で、不当な長期拘留を完全黙否で闘い抜いている学友がいることを知つているのか、軽率なことをするものではない。 責任は重大でもる。 あまつさえ、こうしたわれわれに 対し、リンチ、集会破壊を企てる(11・18、 11・27法大、11・19集会、11・ 24集会)とは何事か、こ
の大衆運動ぬきの「実力行使」ごそ君達が日夜呪いつづけて来た「内ゲバ」ではないのか。

●同題員の負う義務
 「統一」会議の下に在る学友諸君! 君達の「指導部」は自らの否を認めはじめている。 ただ残念ながら今一歩の誠意を欠いて責任の糊塗を計っている(11.26までに機関紙上で釈明すると誓いながら放棄し学園から逃亡している)責任は、われわれとの原則的闘争をねじまげ、真実を知る同盟員の権利を無視し、ひたすら勝手な「情報」を流し、諸君のエネルギーを泡費させて来た君達の「指導部」の階級的節度を忘れた官僚主義的態度にあるのだ。 今君達は「指導部」が全くの軽率さにおいてそうしたのか、ただひたすらわれわれへの敵意において流れたのか、それとも意識的に(官憲、他党派の圧力を借用してわれわれに党派闘争を挑む)そうしたのか、どちらなのかの疑間の中に立っている。
 「指導部」の態度が前者であるなら徹底した自己批判が必要である。後者であるなら、われわれは正当に組織を防衛するため、あらゆる手段を準備せねばならない。いずれにせよ、彼らの態度は見逃がし得ない悪質なものであることは明らかである。 それを明らかにするか否か、「統一会議」の存立とそこへの結集それ自身が合わせ間われているのではないか。まさに「地獄への道は善意に敷きつめられている」のだ。 忘れてはならない。  君達の態度が民青の反トロキャンペーンといささかも違わず、「暴力はただだだファシズムの温床となるだけである」(阪大デモクラット、11.9)というとき、「全共闘はネオ・ ファシズムである」といった民青派(京大経済学部班)の態度と醋似していることを。 われわれ全国委はこの機に、それを忠告し、諸君が善意をもって積極的に検討されることを期待している。 われわれ全国委員会は今秋期闘争の一切の成果をふみ固め全国160万学友の先頭にたって、さらに闘いぬくであろう。

1971年12月10日  同盟全国委員会書記局(※学生共闘派)

 

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