思想闘争の課題と修正主義批判の伝統(北山肇)(「デモクラート」64号)
以下は、民学同大会への、大阪唯研の挨拶のために準備されたものであり、機会を得ていずれ理論的性格のものに仕上げられる予定である。今日一部に展開されている右翼日和見主義的見解が、理論上の真剣さや実践上の真面目さを全く欠いたものでありながら、広範に日和見主義を醸成している今日の物的基礎に支えられて、過去の権威にすがって、若い学生や多忙で事情を知りえない一部の人々を混乱させるだだけの力はなお持っているので、さしあにって大筋の概観なりとも示し、事態を考える上での示唆を与えておきたい。
★大阪唯研と民学同
大阪唯研と民学同は、民学同の創立以来、強固な思想的紐帯で結ばれてきた。故森信成先生をはじめとする大阪唯研のメンバーは民学同を愛し、同盟員の思想的・政治的成長を期待して、骨身をおしまず思想的援助を与えられた。今日民学同は平和・民主主義・学園闘争で多くの注目すべき成果を上げている。しかし、民学同が、前衛党をはじめとするわが国左翼陣営内部の長期にわたる思想的・政沿的混乱という異常に困難な諸条件の中で、右翼日和見主義や新「左翼」諸潮流と闘い、正しい政策を提起してこのような成果を獲得することができた背景には、大阪唯研や大阪学生唯研との緊密な連繋の下で形成された高い思想的原則性と高い理論水準があったことを片時も忘れてはならない。首尾一貫した科学的世界観に基く強固な思想的一致、各同盟員の高い思想性に支えられた民主集中的組織原則の貫徹、高い理論水準と戦闘性・献身性に基く学生大衆への説得力と権威、これこそが民学同の不抜の強みであったし、将来もまたそうであろう。民学同の持つ大衆的影響力は大衆に追随することによ*****強固な政治的・思想的リーダーシップによって闘いとられたものである。この意味で大阪唯研の思想的伝統を確認し、現在の思想戦線におけるわれわれの任務を指摘しておくことは現在の事態の本質を明らかにする上で不可欠のことである。
★大阪唯研と修正主義批判の伝統
大阪唯研はこの二〇年来「マルクス主義と唯物論の原則性と党派性の確立」を旗印に、非妥協的な思想闘争を展開し、戦後のわが国思想戦線における修止主義批判と戦闘的唯物論の一大拠点としての役割を果してきた。このことは、 近代主義との論争、主体的唯物論 批判、極「左」分裂主義と民族主義批判、共産党の文化政策確立をめ ぐる論争、春日庄次郎氏らの解党 主義に対する批判、中ソ論争と関連して毛沢東主義批判、そして最近の代々木派の思想的基礎への批判など、戦後の論争史を顧みる時明らかである。大阪唯研が批判の主要な矛先を常に修正主義に置きこれと闘ってきたことは、前世紀 の九〇年代にマルクス主義が労働運動内部で他のイデオロギーに対する基本的勝利をおさめて以降、 反マルクス主義は「マルクス主義内部にあってマルクス主義に敵対的な潮流」 (レーニン)=修正主義として立ちあらわれるに至ったとということ、またスターリン批判と関連して教条主義が決定的に批判された後は、逆に「新しい情勢」をロ実にした修正主義こそ「主要な危険」(八一声明)となったこと、更に特にわが国では唯物論と科学的世界観の伝統が弱いことと関連して、マルクス・レーニン主義の原則性と党派性が極めて脆弱であることなどを考えれば***********これは大阪唯研のこの輝かしい修正主義批判の伝統に強い誇りを持っているが、現在の日本マルクス主義陣営の極度の思想的混乱の状態を見る時、重大な使命と責任を痛感せさるをえない。
現在のわが国思想戦線における中心課題は無条件に修正主義批判にあるといわねばならない。高成長が生み出した生産力主義的・資本主義変質論的幻想と、小ブル的・中間層的部分の大量のプロレタリア化に伴う小ブル的意識のプロレタりアート内部への流入を基礎として極めて広範な影響力をもつに至ったこの修正主義との全面的かつ原理的な対決を回避したり曖昧にしては、その思想的・理論的・政策的・組織的克服を抜きにしては、日本における前衛政党の真の再建も、労働者階級の真の政治的前進も語りえないであろう。
★日本共産党による修正主義の展開
この期間のわが国マルクス主義陣営を特徴づけるものは何といっても共産党現指導部による修正主義の急速かつ全面的な展開である。彼らはマルクス・レーニン主義の請原則を事実上、特殊な後進国ロシア型マルクス主義として清算し、自主独立路線に立つ「先進国型」マルクス主義をこれに対置するのだと、マルクス主義の系統的修正を図っている。彼らはその戦略論における社会主義的課題と民主主義的課題の機械的分離に基づき**********イデオロギーを語ること自体がハネ上りであると非難し、その結果当然のこととして階級概念を事実上たな上げして、階級に先立つ「国民」「市民」「住民」「一般大衆」「人間」を原理として掲げるに至っている。彼らがプロレタリアートのヘゲモニーを否定し、これを「人間」に解体し、戦闘的労働者を「国民」や「市民」によってチェックしようとし、「住民」をプロレタリアートの最も先進的な部分にけしかけているのは周知の事実である。またこのような超階級的小ブル自由主義の見地からプロ独裁を否定し、これに議会主義的幻想を対置したり、小ブル民族主義によってプロレタリア国際主義を否定して反ソ主義を展開し、 「北方領土全面返還要求」なる露骨な民族主義的要求をかかげていることも周知の事実である。更にかかる日和見主義に基き大衆運動を右から分裂させ、しばしば権力と一体となって大衆運動の先進的部分に敵対してきたことも周知の事実である。
このような日本のマルクス主義のかつてない思想的危機を前にして先ず何よりも強調すべきことは現在、問題は、日本共産党の現指導部を批判するか否かと抽象的に立てられるべきではなく、その批判が果して高い原則性に基いたものであるか否かというように立てられねばならないというととである。このことは、大阪唯研が春日庄次郎氏への批判、「現代の理論」など右翼構造改良論批判、津田道夫氏の国家論批判やグラムシの評価をめぐる論争を通して一貫して朋らかにしてきたごとく、代々木批判者の中にも多くの、しばしば代々木派以上の原則上の逸脱と修正主義の浸透があること、この批判者の側の逸脱が思想的混乱を一層助長し、前衛党再建のための核ともなるべき勢力の政治的結集を不可能とし、進歩的で良識ある多くの人々を失望させ、むしろ代々木派の側へ押しやり、腐敗した代々木派に組織的伸長を許し、現在なお前衛党の再建を困難にしている本質的条件でありつづけていることを考え合わすならば、特に強調しておかねばならないことである。批判者の側の思想的政治的原則性を問うことを避け、大衆運動の任務と党再建の任務をゴチャまぜにしたいわば反代々木統一戦線や反代々木「連絡会議」の如きものでこの事態を克服できるとするのは、本質的に異る思想的立場の人々との相互討論と切礎琢磨を通じて「集団認識」によって前衛党の再建を図ると称したあの解党主義の再版に他ならない。
★解党主義的総括
このことと関連して、最近一部で、理論的原則的な問題への真剣さとは正反対の、一方では誹誘と歪曲によって混乱をもちこむことに主目的を置いた、他方では自らも取り乱した、およそ真面目な理論的検討の対象とされるにふさわしくない、従って形式的にも論争の発展の可能性を自ら断ち切るような、極めて激越でヒステリックな調子で語られている奇妙な論議の若干の思想的特徴にふれておこう。
彼らは代々木反対派の根本欠陥が解党主義・修正主義・右翼日和見主義を内容とする思想上の原則的な弱さと欠陥にあったことを厳密に総括してこれとの明確な思想的政治的自己区別からはじめるのではなく、これとは正反対の総括を提示する。彼らは一方では、綱領論争を「不毛化」し、組織分裂の「主因ともなった混乱」は、反対派が社会主義革命を提起したことにある(「知識と労働」第五号巻頭)として、一九五八年当時の自らの見解につばきし、宮本の綱領的見解に秘かににじりよっている。今日、八回大会と宮本の民族主義の誤謬をそれが日本帝国主義を「主敵」として認め正面から対決しない点に求める主張(例えば「日本のこえ」第ハ回全国会議決議)に、この総括での優位があることは明らかである。もちろん綱領的見解における正しい主張は革命の戦術にまで具体化し徹底されなければならないことはいうまでもない。しかし、日本社会の基本的な性格規定の問題と革命の戦術及び具体的な移行形態というより高次の問題を理論的に区別して取扱うことは、自ら混乱し他者をも混乱させるのが目的でないとするならば、綱領論争を総括する上で基本的に必要なことであろう。
他方組織問題については、宮本指導部の誤りを正し前衛党の再建を行うためには、そのための原則的で持続的な組織活動が必要不可欠であるという、唯物論者にとっては全く自朋の真理が、主要な批判と攻撃の目標にされている。だから「日本のこえ」についても、その組織活動における不徹底性と首尾一貫しない動揺と二面性を批判するのではなく、それが機関紙を発行し常任的な組織体制を保持している積極的な側面に主要打撃が向けられている(非売品パンフ)。
組織問題のこのような総括は事実上、無責任なサークル主義や活動家集団や連絡会議主義以外はすべて「別党コース」であり誤っていると宣言するに等しいが、ある時は「別党しかない」と言い、ある時は「別党は誤りである」と語ったり、またある時は「共産党」の名はけがれたとして 「労働者党」を主張し、ある時は「共産党」でなければならないとして他から一線を画したりする彼らの周知の首尾一貫しない御都合主義と取り乱しも、一つの撹乱要因として代々木派を助けるものである。この点で彼らが戦略論争をあたかも「抽象」論にすぎなかったかの如く描きだしてこれに「実際の」大衆運動を対置したり、理論や原則の強調をセクト主義・数条主義・分裂主義と見て「危険」視し、原則上の問題を「集団討議」の問題に還元したり、原則的見地に基く自らの主体的組織的力量を強化せんとする一切の努力を「別党コース」「学生党的偏向」「主体形成論」などと金切声を上げ、自らは無資任な「屈伸自在なイニシャチブにとんださまざまな運動形態、組織形態」なるフラーゼ(要するに、彼らのその実体たるやこれまた無責任な「模索」と 「試行錯誤」の言い換えにすぎない(非売品パンフ)ことなどは、プラグマティスト顔負けの彼らの思想性を知る上で十分記憶に価するものである。
修正主義との対決、一貫した戦略的展望と基本戦術の確立、そのための組織的保障の確立と強化という今日焦眉の任務を意識的に排除するこのような総括の下では、 大衆運動の政策レベルでの代々木批判という彼らの「党再建」コースも(大衆運動の権威ある指導者が彼らの中にいるのならともかく、一握りの中下級管理者的インテリグループがこのようなことを言うこと自体滑稽であるがそれはさておき)ひっきょう大衆運動主義や大衆運動の無責任で御都合主義的利用主義にならざるをえない。党内闘争も「分派形成」も拒否し「大衆闘争の土台の上にわが党を革新してゆく」 (春日離党声明)と自負して組織的分散と政治的腐敗の道を歩んだのが「統一社会主義」へのコースであったことを指摘しておく。何故に、八回大会当時には春日庄次郎に反対し一線を画したものが、今日になって同じ道を歩もうとするのかが当然、問題とされなければならないだろう。
★資本主義変質論への屈服
まず、一貫しに戦略的方針と組織的規律の欠如という事態の常態化が如何に思想的腐敗の危険をはらんでいるかを指摘しておかねばならない。彼らは例のごとく、原則的主張に対しては当りまえであり言うまでもないと軽くあしらい、しかしそれだけでは抽象的だとか「能がない」という。だがそれが何ら当りまえでなくなっていることを彼ら自身が証明している。六〇年代の相対的安定に幻惑され、高成長と完全雇用を「不可逆的な傾向」とみなし「深刻なデフレ恐慌やそれにつづく長期の不況過程の出現はもはやありえなくなったと強調し(知労一号)支配階級から譲歩の引出しに奔走して戦略的課題を見失ったのは誰であったのか、現在の危機が「一つの客観的総体的な過程」であることをしぶしぶ承認しながら、そこから理論的・実践的帰結を首尾一貫して導き出すことを恐れ、「我々は断じて、危機待望論者ではない」(あたかも待望するか否かが決定的であるかの如く)と誰かに向って言いわけしたり、危機を構成する諸側面をバラバラに切離し、独占資本主義の基礎の上でそのーつーつに「活路」を提出することができるかの如き改良主義的幻想を与えようとした(知労十号)のは誰であるのか。独占資本の対社会主義警戒や反ソ主義が単なる「外交的事情」や、「時代遅れの日米安保観念」や「冷戦派的イデオロギー」に起因するかの如き観念論を展開し、一方では独占資本の客観的利益が一義的に平和と社会主義接近になってしまったの如く讃美しつつ、他方で独占資本を啓蒙し彼らに『理にかなった提案」を行なうのにやっきになったり、日本の独占資本の「旧い安保観念」を捨てきれない「優柔不断と臆病さ」を真面目に嘆いた(知労十号)のは、誰であったのか。
★労働者畿級のヘゲモニーの否定
マルクス主義者が改良闘争・民主主義闘争を語る場合の核心的な問題はプロレタリアートのヘゲモニーの問題である。レーニンはこの意味で「プロレタリアートが革命的であるのはただこのヘゲモニーの思想を意味し、それを実行する限りである」と強調している。ところが彼らは支配層の政治的分岐に「介入」 しその「理性的」分派をプッシュし、そこから譲歩をえるという展望によってしか、 労働者階級は自己の政策に「現実性」を付与しえないと見る。彼らにとっては「改良は革命闘争の副産物である」というレーニンの基本命題は「小児病」でしかなく、彼らの目には今日の日本でレーニ ンの思想を擁護することは「新左翼」であるとしか見えない。彼らは先ずドル防衛策やメジャーの横暴など海の向こうに諸運動の始点を求め、それによる日米矛盾の激化とそれへの対応をめぐる日本支配上層の内部分岐が指摘され、国内の階級闘争はその分岐した支配層のいずれがどの程度まで主導権を掌握するかを****する要因としての役割しか演じない。(この点は安保直後の「歴史学研究」の論文上で一度政治的に自己批判されたが理論的に何ら深められていなかったのだ。)日本のプロレタリアートは独自の戦略的方針をもち、自己のヘゲモニーのもとに反独占戦力を統合する主体的・目的意識的努力を行ない、この一貫した革命的展望に基づく運動の高揚の中で「j副産物」としての改良を支配階級からもぎとる代わりに、その闘争の戦術上の一条件にすぎない支配上層の内部分岐を「政治の風向き」に基づき、その都度その都度あとおいしたり下支えしなければならず、この分岐の枠内での政策提起のみが空文句でない「現実的」政策とされる。だから内部分岐をもつ「支配上層」を全体として批判したり、「中道政府」や「よりまし政府」に原則的な批判を加えるものは「現実性」(?!)を見失った悲観主義者ということになるのだが、もしそうなら全世界の共産主義者は全てペシミストということになろう。このような悪しき現実主義(現実追随主義)によって彼らは労働者階級の指導性というマルクス主義の基本精神をブルジョアジーに売り渡し、例えばアジア集団安保をもっぱら独占資本の資源確保という露骨なナショナリズムの見地から提言しようとしたり、逆に、労働者階級の、内政転換と結合した独自な首尾一貫した平和共存政策の提起という至極当たり前の主張に対して、平和の課題を革命の課題と同一視するものだと金切り声をあげたり、はては平和運動の「広範な性格」を強調して、ブレジネフがニクソンやフォードと合うのを反帝勢カの帝国主義への平和の強要の過程と見ず、あたかもブレジネフが彼らと「平和運動」を行っているかの如く何のためらいもなく語り出す始末である(パンフ)。
労働者階級がこのような質の闘争に甘んじてよいなら、もともと前衛党など不要である。プロレタリアートのヘゲモニーと前衛党の必要性は、従って反対に、現状追随主義的「現実主義」と解党主義はメダルの裏表である。
★津田国家論の採用
かつて森信成先生が批判した如く、社会主義への平和的移行の右翼的理解に基きレーニンの国家論の系統的修正を図ったのが津田道夫氏であった。彼は、レーニンがその旧唯物論的限界のために国家の本質を物的機構としか見なかった結果、旧国家機構の粉砕を一切の革命に義務的なもの見る誤りに陥った。だがこれでは平和移行は語りえないとし、自らは初期マルクスやエンゲルスの四苦八苦の「解釈」に基づき、国家を公的意志として表現される支配階級の特殊意志であるとする「国家=イデオロギー論」を開陳した。かかるズブズブの観念論的幻想の下では、当然”平和的な”イデオロギー闘争(事実上はジャーナリズムでの論争)が階級闘争の基本形態とならざるをえず、高々「思想運動」や「理にかなった」経済プランの提案で事がはかどるのであって鉄の規律をもった党的組織も不要である。この国家論が解党主義者の間で注目されたのは言うまでもない。ところが一部の人は津田氏による「下部構造としての国家論」批判をそっくり採用し「国家とは『ドイツ・イデオロギーがその本質について指摘したように、経済的に支配する階級の意志(イデオロギー)が公的意志=国家意志として表現されたもの、そのようなもの(階級意志の表現としての国家意志ーー引用者)としての政治権力である」と広言している(「思想」六四年六月号)。ここではこの「採用」の理論的・実践的帰結についても、また国家の本質如何という決定的問題でレーニンや後期マルクス・エンゲルスの所論の検討抜きに『ドイツ・イデオロギー』をもちだす無節操さについてもあれこれ言う必要もない。しかしもし孫引きや聞きかじりで論争をふっかけているのでないならば『ドイツ・イデオロギー』が一体どこでこのような「指摘」を行っているのかを明示することは、理論家としての最小限の義務であると考える。
★小プル・インテリゲンチャー主義
彼らは原則的主張に対してニ言目にはインテリの焦燥感から来る極左的誤りというレッテルはりを行い、偏見を植えつけるのに必死になっている。だが「わが国の大学講壇」では「今日なおマルクス主義者の列に分類される入たちが大半の勢力をしめている」とか、「戦後民主主義のおかげで」 「商業ジャーナリズム」の枠内で「マルクス主義的評論を掲載し討論を行なうことにさして大きな困難はなかった」と(彼らの「マルクス主義」がどの程度のものか想像がつく)プルジョア・アカデミズムやジャーナリズムにとほうもない讃美をおくり、近ころではジャーナリズムは「反マルクス主義的な近代理論に門戸を開放」し、アカデミズムでは「射程外理論」が盛行しだしたとしだしたと本気になって嘆いているのはどこの誰であったのか。知識人労働者のプロレタリア化という極めて真剣な分析を要求されている問題を全く皮相化し(原則なきところに真剣な具体的分析もない)御都合主義的にツマミ上げて 「多くの学者や大学教授たちの地位」も「プロレタリアートのそれとほとんど選ぶところがなくなった」と万感をこめて断言したり、 科学技術革命が資本主義の枠内でも肉体労働と精神労働の「歴史的な分裂を終らせようとしている」 などという修正主義の命題を大っぴらに語ったのは誰であったのか。また、社会主義的意識のプロレタリアートの中への持ち込みとィンテリゲンチャーのプロレタリア化(この場合は小ブル意識のもち込み)という決定的に区別すべき二つの事柄をゴチャまぜにし、従来支配階級の政治的・イデオロギー的支柱であった知識階級が「今日では」「彼らのもつ科学的知識と批判精神を直接プロレタリアートの中にもち込みつつある」と何の裏付けもなく断言し、このような「持ち込み」の中に「新たな一社会への展望をきりひらく基礎」を見たのは誰であったのか(いずれも知労1号)。こうして見てくると現在の事態が「広範なプロレタリア的闘争の擁護者が急進的な陰謀組織の擁護者に反対したのではなくて、ブルジョア・インテリゲンチャ的個人主義の味方が、プロレタリア的な組織と規律の味方と衝突したのだ」(レーニン)ということを理解するのにそれほど知恵がいるだろうか。
★ 「共産主義者は解 決できることだけをとりあげる」
彼らが学生党的偏見なるものを批判する最後の切札が何とこの ”格調高い”命題である(パンフ)。だがマルクス主義者に対して「イデオロギー偏重」や「かたくなな態度」を捨てもっと「大人」になって「解決できることだけをとりあげよう」と攻撃したり手をさしのべたりしているのが他ならぬプラグマプィズムであり、また「小だしの譲歩」と、特に指導者たちのための報酬のよい地位とひきかえに、原則をブルジョアジーに売りわたす」 「可能主義者」 (エンゲルス)であることは、現在の思想対立に少しでも関心をもつものにとっては自明の事柄ではないのか。「共産主義者は解決できることだけをとりあげる」というスローガンはそれ故、共産主義者に対する独占資本や右翼日和見主義者の要求と願望以外の何ものをも表現していない。彼らが依拠したつもりのマルクスの命題「人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる課題だけである」とはその箇所を読めば直ちにわかるように、原始社会から現代に至る人類史の全過程において社会構成体の変革が課題にのばるのは「その解決の物質的諸条件がすでに現存しているかまたは少くともそれができはじめているばあいにかぎって」であるということ、そして今日資本主義は社会主義のための物質的諸条件と変革主体たるプロレタリアートを不断に生産しつつあること、従って自覚的分子たる共産主義者は現象面にとらわれてこの物的基礎を見抜きえず解決不能と見て現状追随や目先の打算や空想的世界や空文句にとらわれている労働者大衆に向って大胆にこの物質的条件を指示し、この条件が指定する革命的出口を提起し、それへ向って彼らを目的意識的に動員し組織しなければならないことを意味する。支配上層の内部分蚊の枠内で政策を提起しなければ空文旬であるとか、中央集権的組織を提起するのは非現実的であるとか、反独占政府を現在提起するのもハネ上がり、「今日の民主革新勢力とよばれるような(自分がどの部分をどんな根拠でそう呼ぶのかの労さえとらず–引用者)結束がついに議会の多数を占め革新政府を樹立する機会が到来してこよう」と待機主義をきめこみ、つねにひさしを借りて母屋をうかがうようなあさましい“現実主義”とマルクスの右の命題の、一体どこに共通点があるのか。彼らは自分達が主観主義に反対して唯物論的見地を擁護しているかのように見せかける。だが革命理論、前衛党、プロレタリアートのヘゲモニー、それに導かれる大衆組織と革命的大衆行動等、革命における主体的要因のレーニン的強調に向って主観主義なる非難を浴びせたのが第ニインターの新カント派的修正主義である。主体はマルクスやレーニンの如く唯物論的に提起することもできれば「旧安保観念」解消運動や「国家=イデオロギー」論者の如く観念論的にも提起できるではないか。彼らのような”主体的能力なき革命”論者が自己の「現実性」をもとめて独占分派やあれこれの大衆団体や既成野党その他へ節度を失って手当り次第に「介入」=寄生して行くのは不可避である。彼らが行っているのは主観の原則性と党派性に無原則場当り主義を対置すること以外の何ものでもない。このような「解決できることだけをとりあげる」 ”共産主義者”が「あらゆる苦闘の末にようやく手に入れた新品の外とう」のように見える人もいるらしいが、われわれの方はこの”共産主義者”に次の言葉をおかえしする。「やれないといわず、やりたくないと言え。」(レーニン)
★修正主義批判の活動を強化しよう!
民学同の同盟員諸君!諸君は現在、我が国の前衛党の修正主義への公然たる転落をはじめとするわが国マルクス主義のかつてない思想的危機の中で原則的見地を守って闘わねばならない事態を自覚しなければならない。修正主義は客観的経済的基礎をもって展開されているのであって、この影響を軽視しこれとの闘争を怠る時、自らこの方向をたどらざるをえない。確かに資本主義の危機の進行はこのような議会主義や改良主義の幻想を日々色あせたものにしつつある。しかし、一方の側で真に原則的な思想と組織が準備されていない場合のこの幻滅は、小ブル急進主義やファッショの格好の土壊となったのである。また、この修正主義との全面対決の過程は単にイデオロギー上の批判や暴露にとどまるものではなく、真に原則的部分がこの試練にたえ、科学的革命的プログラムを確立し、それに基く政治的・組織的前進をかちとる過程でなければならないのは当然であり、困難さは正にここからはじまるといっても過言ではない。しかしこの困難によく耐えうる保証は、正にマルクス・レーニン主義の高い思想性と原則性であり、慢延する修正主義との首尾一貫した原理的自己区別であることを忘れてはならない。この前提の下でのみわれわれはこの修正主義との全面対決の過程をレーニンと共に「自己の事業の完全な勝利に向って前進しているプロレタリアートの偉大な革命的戦闘の序幕」とすることができるのである。諸君の一人一人がわが国のマルクス主義が当面しているこの問題にもっともっと関心をもち労苦をいとわず自からマルクス・レーニン主義の古典や国際共産主義運動の諸文献を研究し、将来マルクス主義者として大きく成長されることを切に期待するものである。科学的論拠をもって反論するのではなく、〇×先生を批判するのは間違いだという無理論な盲目崇拝に若い学生をおいやり、彼らから最小限の科学的精神さえ奪い去っているという、崇拝の対象のスケールを考えれば滑稽ではあるが、本質的には痛ましい事態を一方に見る時、何よりも諸君にこのことを願わずにはおれない。
民学同と戦闘的唯物論者の連帯万才!
※本文書は、「知識と労働」討議資料(1975年3月)掲載の各文書等に対する批判を内容としている。「討議資料」も併せて読まれたい。
※文中で「*******」等の表示部分は、元の素材がかなり古く、折り返し部分や切断部分のため、判読不可能だった箇所である。