【書評】島崎邦彦『3.11大津波の対策を邪魔した男たち』
(2023年3月、青志社、1,400円+税)
本書の著者は、東大地震研究所教授(現名誉教授)。1995~2012年の17年間、政府の地震調査研究本部(地震本部)の長期評価部会長に就いていた。長期評価部会とは歴史上の地震を分析し、今後に起こる可能性の確率を予測し対策に備える、いわば日本の地震対策の根幹を提案する部署である。本書は、その部会が出した大津波と原発をめぐる警告を東京電力と政府が捻じ曲げ、結果として大震災・原発事故を招いた経緯、そしてその背後に「原子力ムラ」の暗躍があったことを内部から告発する。
本書は言う。「大津波の警告は、2002年の夏、すでに発表されていた。この警告に従って対策していれば、災いは防げたのだ。3・11大津波の被害も原発事故も防ぐことができたのである」と。
地震本部は2002年7月、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(「長期評価」)をとりまとめ、「日本海溝沿いの三陸沖~房総沖のどこでも津波地震が起きる可能性がある」と指摘し、「30年以内に20%」と数字も提示した。そしてこれを受けて保安院は、各電力会社に不測の事態に備えて予想される津波の高さの計算を要求した。
ところが東京電力は、土木学会の「津波評価技術」(電力会社側が2億円近い資金を出して津波の調査研究をしてもらったもので、2002年2月に報告書となる)を盾に取り、保安院の要求を蹴り、福島県沖~茨城県沖には津波地震が起こらないと主張した。「長期評価」はプレート・テクニクス理論を用いて予測の精度が高い新しい方法を採用しているのに対して、「津波評価技術」では予測精度の低い地震地体構造の考えで「過去に津波地震が起こった場所でのみ、津波地震が起こる」という結論を出し、しかもその「過去」を400年までとしていた。
更に「長期評価」に対して、なんと小泉内閣(当時)の防災担当大臣(村井仁)がこれの公表に反対し、文部科学大臣に申し入れをした。このため公表そのものは実現したが、「評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある」という「長期評価」を軽視する一段落が付け加えられた。
本書はこの間の事情を後になって、「『津波地震』が大問題だったのである。だから内閣府防災担当が、地震本部事務局に圧力をかけ、前がきに一段落を入れさせたのだろう。さらに、(略)信頼度を付けさせて、津波地震の信頼度を低く見せたと思われる」と述べる。つまり「日本海溝沿いの三陸沖~房総沖のどこでも津波地震が起きる可能性がある」となれば、それは福島の原発の地域も含むこととなり、これへの対策が必要とされるので、これを外す目的であったと言えよう。
その後、1995年の阪神・淡路大震災(M7.3)を受けて検討されていた原発の安全性の新指針が2006年9月に発表され、これによる原発の見直しが終わらないうちに起きた新潟中越沖地震(Ⅿ6.8)(2007年7月。この地震の強い揺れで東京電力柏崎刈羽原発ではわずかであったが放射性物質を含む水やガスが外にもれた)の被害もあって、各電力会社は原発の津波対策の余裕を表にまとめている。「これは『津波評価技術』を使っていて、福島県沖の津波地震は考えられていない。それにもかかわらず、十六原発のうち福島第一原発だけが全く余裕がなく、最も対策が必要とされていたのである」。さらにここでは、「津波評価技術」のやり方で計算しても、福島第一原発での津波の高さが最高15.7メートルという数字が出ていた。
この東京電力の土木グループの報告に対して、武藤東京電力原子力・立地副本部長の答は、「すぐに津波対策をとろう」ではなく「研究をやろう」であった。その流れは、2009~2011年度に電力会社などが研究し、「津波評価技術」を新しいものにする。それに基づいて原発の見直しをし、その最終報告を保安院に出す、このため各方面の有力者に根回しをする、というものであった。「要するに、東京電力は報告書を先送りにして、何も対策しなかった」のである。本書はこれを「費用も労力もかかる津波対策を避けたい。そのためにこの計算結果(津波の高さ15.7メートル:評者註)を秘密にした東京電力は、土木学会の委員会を操って、新しい『津波評価技術』をつくろうとしていた。津波対策なしで原発見直しの最終報告が認められることを、東京電力は目論んでいたのではないか」と批判するが、この恐るべき怠慢と不作為が、3・11大津波と重大な原発事故まで続くことになる。
そして2011年3月の大震災直前、平安時代の貞観津波(869年)等の調査研究を踏まえた「長期評価」の改訂(第二版)が発表されるときに、地震本部事務局と東京電力は秘密裏に会議を持ち(3月3日)、その内容の書き換えを要求し、「そのため『長期計画』第二版の承認を三月の委員会(大津波2日前の地震調査委員会)では見送ることにした」という経過がある。その緊迫した状況は本書を読んでいただきたいが、事務局は最終的に「長期評価」第二版に「また貞観地震の地震動について・・・判断するのに適切なデータが十分でないため、さらなる調査研究が必要である」という文章を追加し書き換えた。つまり貞観地震の強い揺れの程度がわからないから、福島第一原発で備えなければならない揺れの強さは分からない、という訳である。結局この直後に3・11大津波が来たことにより、第二版は発表されないまま、闇に葬られた。
本書は、「3・11の後、地震対策本部は、想定どおりの地震が起こったという委員の声を黙らせて、想定外の地震だと発表した。地震は想定できていたが、その発表が遅れたと言えば、事務局に非難が集中しただろう。/想定していた地震の警告は、3・11に間に合わなかった。警告を遅らせたのは、事務局と東京電力との秘密会合のためだった」ということを暴露する。東京電力は、かくして9年前の「長期評価」で警告された津波地震の際には、ウソで保安院をだまして津波計算から逃れ、第二版の内容に対してはまたもやその一部の書き換えを要求した。
以上の経緯を振り返って本書は痛恨の反省を述べる。
「もし三月に『長期評価』第二版を承認し、発表していれば──その翌日(大津波の前日)の朝刊に警告が出て、多くの人々の命が救えただろう。/貞観地震の警告が出る一歩手前であったことを、事務局は隠した。事務局と東京電力との秘密会合も隠した。/秘密の書き換えも隠した。このため事務局の責任、警告を遅らせた責任は、追及されることはなかったのだ」。
「東京電力と地震本部事務局とが秘密会合を開いたために、貞観地震の警告が間に合わなかった──。もし、秘密会合がなかったならば、と私は想像せずにいられない。/もし、3・11大津波の二日前の委員会の議題に『長期評価』第二版が入っていたならば、と。/もし、前日の朝刊で、陸の奥まで襲う津波への警告が伝えられていたならば、と」。
今更ながらであるが、今こそ読まれるべき書であろう。(R)
(追記)なお本書には、この経緯の裏で暗躍していた「原子力ムラの相関図」(弁護士河合弘之による)が載せられていて参考になる。そして河合によれば、その特徴は政官業が絡み合うコングロマリットのようなものとされ、しかもムラの住人が入れ替わる。ただ住人が入れ替わっても、ムラの根底には変わらないものがある。それは、原発を推進しなくてはいけないという空気、組織としての慣性、「今だけカネだけ自分の会社だけ」という意識であると的確に指摘されている。