<<「バリはバリ、ニューデリーはニューデリーだ」>>
9/9~10、インドを議長国として、ニューデリーで開催されたG20サミット(正式名称は「金融と世界経済に関する首脳会合」)は、初日に、米主導の破綻が明らかとなった。日本を含むG7、米英が執拗に追求していた、ウクライナ戦争への言及で、モディ首相が米国側の圧力を無視して、対ロシア・対中国制裁に一切言及しない声明文案が発表され、日米欧以外の諸国代表がすぐにそれに賛同して、米国側
の反対を押し切って採択・可決されたのである。
G20サミット首脳宣言は、
・ G20の首脳らは、G20メンバーの間でウクライナ情勢に対する評価や見解の相違があることを認める。
・ G20の首脳らは、アフリカ連合のG20加盟が現代の世界的な問題の解決に役立つと考えている。また首脳らは、開発途上国は国際的な金融機関および経済機関でより大きな役割を果たすべきだと指摘した。
・ G20は核兵器の使用または威嚇に反対する。
・ G20の首脳らは「紛争の平和的な解決と対話」の大きな重要性を指摘した。
・ G20の首脳らはすべての国に対し、「領土保全や主権」を含む国際法の原則の順守を呼びかけた。
・ G20の首脳らは、この形式のサミットは地政学的問題を解決するためのプラットフォームではないと表明した。
・ G20の首脳らは世界貿易機関(WTO)改革を呼びかけた。
・ G20の首脳らは、世界の食料安全保障の強化を約束した。
・ G20諸国は、データ交換を含む麻薬対策に関する国際協力の強化を支持した。
・ 宣言には、今後はブラジル(2024年)、南アフリカ(2025年)、米国(2026年)でG20サミットが開催されることも記載された。
宣言要旨は、以上の通りである。当初、採択が危ぶまれていたが、首脳宣言が初日の討議の過程で発表され、直ちに採択される異例の展開となったのである。なにしろ、史上初めて共同コミュニケが出せない可能性があると報道されていたのである。
記者会見で、インドの外務大臣ジャイシャンカール氏は、昨年のインドネシア・G20バリ宣言で言及されている「ロシアの侵略」への言及がないことへの質問を一蹴し、「バリはバリであり、ニューデリーはニューデリーだ」と述べ、「率直に言って、世界はこの1年で変化しており、デリー宣言はそれを反映している」と大臣は念を押し、「すべての加盟国が合意形成に貢献し、ウクライナに関する意見の相違を克服することに貢献した」と述べている。
<<非常に気まずいバイデン氏>>
米欧日側は、まず第一に、拡大後、勢いを増すBRICS+と、G20との「対立」を画策、 第二に、中国とインドの対立を拡大・誘発させる。第三に、中国の「一帯一路」に代わる代替プログラムをバイデン大統領が提案し、第四に、何よりも新たな対ロシア制裁を確認させ、G20を中国やロシアを攻撃する場に変質させようとしたのであったが、もはやそれだけの力も、信頼もなくなってしまっていることを思い知らされたのだと言えよう。
当然、ロシアを泥沼の戦争に引きずり込んだバイデン政権に追随する、代理戦争の当事者として、ウクライナのゼレンスキー大統領は「誇れる内容ではない」と、このG20首脳宣言に強い不満を表明している。
しかし、そもそも、2008年の金融危機の際に誕生したG20メカニズムは、同年のリーマン・ブラザーズの破綻から全世界的な金融危機を引き起こし、西側諸国全体はもちろん、発展途上国を含む世界経済を危機に陥れたため、先進国グループと発展途上国グループの合意形成が不可欠のものとなり、その結果誕生したのがこの「金融と世界経済に関する首脳会合」なのである。そのG20に、米主導のG7グループが、意図的に対ロシア・対中国の緊張激化政策を持ち込み、逆に、自らを孤立化させてしまっているのである。ドル一極支配が崩れようと大きく世界経済が転換期を迎えつつあるとき、バイデン政権は、悪あがきに陥ってしまっている、と言えよう。
このG20サミットでバイデン氏にとって哀れなのは、サミット出席者の前で、まさに滑稽で皮肉なアメリカの現状をさらけ出してしまったことである。
バイデン氏は、各国首脳の名前につまずき、何かわけのわからぬままにブツブツとつぶやき、まとまりのない話に終始し、非常に気まずい雰囲気を漂わせてしまい、ムハンマド・ビン・サルマンの名前を間違え、さらにウルスラ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長の名前までも間違えたのであった。
直近のC米NNの世論調査によると、調査対象者のうち、58%がバイデン氏の政策が経済状況を悪化させたと回答し、70%が米国の状況は悪化していると回答。 調査対象者のうち、バイデン氏を大統領として誇りに思う人物だと述べたのはわずか33%だった、という現実である。
こんな米政権に追随する岸田政権やG7グループ自身が、世界的な政治的経済的危機の製造元として厳しく追及されるべきであろう。
(生駒 敬)