【書評】『資本主義の<その先>へ』 ―大澤真幸の「力学」の勘違い -(筑摩書房:2023.6.30)
福井 杉本達也
1 日本語訳の「力学」を勘違い
大澤は、第3章の2「科学革命の可能性―万有引力を考える」において、「科学革命における最大の獲得物は『力』の概念ではないでしょうか。」「『力』は、本来は擬人的な観念です。科学の中に取り込まれたときには、次第に擬人的な痕跡は洗い落とされていきます。最終的に到達したのが、ニュートンの万有引力です。…万有引力の概念の中に、最初の『力』概念に含まれている擬人的な含みがまだ反響しているいるのか、『引く』とかいった、力についての原初の体験は全く含まれていません。…万有引力とは遠隔作用の一種だということになります。ここが問題なのです。」「前提が遠隔作用であるということさえカッコにいれてしまえば、ニュートン理論は、まさに機械論としてずばぬけた説明力をもっていたからです。」と述べる。
しかし、大澤の「本来」が誤っている。日本語の「力学」は、明治期に西欧からmechanics(メカニクス)という言葉を輸入し和訳した時の単なる符丁である。「擬人的な観念」などはそもそも含まれていない。単なる思い込みに過ぎない。佐藤文隆の『「メカニクス」の科学論』(2020.12.20)によれば、「物理学訳語会」(1883~87年)で策定されたのであるが、「訳語には日常語に近づける努力と手垢のついていない新語を製造する方向がある。この選択は『誰を相手にした用語か?』による。『訳語会』では、相手を『一見さん』でない『常連さん』に変えたのである。専門家相手だと用語は単なる『意味』の符丁シンボルでよい。」しかし、「『一見さん』は日常語との類推で『意味』を想像する」から危ういとしている。佐藤は続けて「中身なしに看板をみる人には力学は『力の学』なのかと思わせる。なにしろ『力』という日常語は人々の気持ちに絡む味の濃い言葉だから。たしかに力学の主題は力で物体の運動が変わることなので、力の意味を限定すれば『力の学』でもいいのだがこの見方は熱力学、量子力学、統計力学ないは通用しない。これはメカニクスに『力学』の訳語をあてた日本独自の不具合にもみえる」と述べている(佐藤:上記)。
2 スコラ哲学・形而上学への回帰
大澤は「近代科学という知の体系の中に収められている命題は、真理ではありません。それらは、原理的には、すべて『仮説』です。つまり、真理の、せいぜい候補に過ぎないのです。」とし、「ある時期に『通説』としての評価を得たとしても、またどんなに厳しい検証に耐えてきたとしても、原理的には、いつまでも仮説という地位を返上することができません。それが、『真理』そのものに昇格することはない」と述べる。大澤は「近代科学」の外に『真理』を求めている。これは17世紀の科学革命が批判した、かつてのスコラ哲学・形而上学への回帰ではないのか。
大澤は、続けて「今日、グローバルなレベルで真理ととして認められている知は、科学の知だけだからです。」「『真理候補(仮説)』に過ぎないという控えめな主張をしている知だけが、グローバルな標準として受け入れられ」たとする。そして、ユヴァル・ノア・ハラリを引用して「近代科学をもたらしたのは『われわれは知らない』ということの自覚、われわれの無知についての知です。科学革命は、知の革命である以前に、無知(の知)の革命と理解すべきです。」と書いている。
もちろん、真理=世界を100%認識できることはありえない。「分かっている現在」を完全に認識するということも原理的にありえない。あっという間に過ぎ去る「現在」は調べる暇もない。科学はベーコンの表現では、「自然の秘密もまた、その道を進んでゆくときよりも、技術によって苦しめられられるとき、よりいっそうその正体を現す」のであり、17世紀の科学革命は自然の力に対する物理学的で数学的な把握にある。佐藤は、科学の「発祥時の目標は『経験からする予測の合理化、客観化』にある。技術と新しい機器を用いた実験で経験の合理的、客観的世界を拡大し、これらの情報から有用な予測情報を導く手法として論理や数学や統計の計算などが発達した」とする。また、山本義隆の言葉を借りれば、ガリレオの実験思想。デカルトの機械論。ニュートンの力概念による機械論の拡張、ベーコンの自然支配の思想は、「自然と宇宙に見られるさまざまな力を探りだし、その法則を突き止め、それを自然支配のために制御し使役する…近代科学は古代哲学における学の目的であった『事物の本質の探究』を『現象の定量的法則の確立』に置き換え、…魔術における物活論と有機体的世界像を要素還元主義にもとづく機械論的で数学的な世界像に置き換えることで、説明能力においてきわめて優れた自然理論を作りだした」のである(山本義隆・『福島の原発事故をめぐって』2011.8.25)。決して「無知の知」ではない。「知っているという錯覚は意識の流れと外界とが肯定的関係にあることの確認」である(佐藤:上記)。
3 科学革命は技術を引き込んだ「下剋上」であった
近代社会の最大の発明品のひとつが科学技術である。「客観的法則として表される科学理論の生産実践への意識的適用」としての技術である(武谷三男)。15世紀までは「技術」が作るものは「まがい」であり自然に劣る不完全なものとされてきた。それが、16世紀の文化革命において西欧文明だけが思弁的な論証知(ギリシャ哲学やキリスト教神学)と技術的な経験知(航海・鉱山・軍事・錬金術など)の両者を結合させたのである。知の世界の地殻変動である。古代~15世紀までは、奴隷的で機械的な職業、活動的生活でない観想的な閑暇、技術でない自然に理念の価値をおいた。経験から生まれる知識は卑賤(メカニック)であり、精神のうちに生まれ、そこで終わる知識が学問とされていた。16世紀の文化革命はこの「卑賤」な学問世界から遠ざけられていたメカニカルの実世界に価値を見出した。17世紀の科学革命はこの学問世界から遠ざけられていた「卑賤」な技術職能集団を引き込んで、学問世界の主導権を争った革命・「下剋上の物語」であった。ガリレオ・ニュートンらの大発見によって、「至高の天上世界と卑賤な機械装置が同じ運動と力の法則に従う」こととなったのである(佐藤:上記)。
しかし、大澤は「通説的には、近代科学がもたらした革新のポイントは、『権威』よりも『経験』を重んじたことにある」と、「通説」には批判的である。通説とは逆に、「近代科学が出現した背景にあるのは、経験への素朴な信頼とはほど遠い…経験に対して疑いの目が向けられていた」。そこで、「経験から経験らしさを消し去り、それを実験に仕立て上げ」たとする。科学が、経験から生まれる「卑賤」なメカニックと組んで主導権を握ったとの認識はない。その後、「断片的な技術知やノウハウが、科学の体系的な知の中で統合され、背後にある原理や法則が見出され」、資本主義においては「『知恵』の伝統を引き継いでいる近代科学と、技術知の近現代的形態であるテクノロジーの間には、相互交流が」あると述べているが、あくまでも主体は「体系的な知」であり、「断片的な」メカニックの「下剋上」はないのである。
4 「科学的」という“免罪符”
政府・東京電力による放射能汚染水の海洋放出の強行について、福井新聞の『時言』というコラムは、「放出に反対する人や不安を訴える人に対して、岸田文雄首相をはじめ多くの人が口にするのが『科学』という言葉だ。『科学に基づいて説明をすれば理解が得られるはずだ』という考えらしい。」。「科学の結論を受容しないのは、その人に科学的知識が『欠如』していることが原因なのだから、説明して知識を増やせば問題は解消するはずだという想定に立つ」。しかし、「欠如しているのは、人々の科学的リテラシーではなく、政府や東電の真摯な姿勢と信頼」なのだと結んでいる(福井:2023.9.17)。
何十年にもわたり大量の放射能を、しかも事故を起こした張本人が、海洋にバラマキ続けるということこそ自然を畏れぬ行為である。山本義隆は、3・11が「科学技術は万能という19世紀の幻想を打ち砕いた」とし、「私たちは古来、人類が有していた自然に対する畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然界にはほとんど散在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作りだすようなことは、本来、人間のキャパシティーを超えることであり許されるべきではないことを、思い知るべきであろう」と書いている(山本:上記)。近代社会=「資本主義の<その先>」を論じるならば、16世紀以前の「技術」が持っていた自然に対する畏れ」の感覚をもう一度取り戻すことから始めなければならない。