【映画評論】『破戒』―監督:前田和男―

【映画評論】『破戒』―監督:前田和男―

                            福井 杉本達也

島崎藤村が1906年に発表した同名小説の映画であり、過去、2度にわたり映画化されている。主人公の教師・瀬川丑松(間宮祥太朗)は被差別部落出身であることを隠して生きてきたが同じ出目の活動家・猪子蓮太郎(眞島秀和)との出会いや士族出身の娘・志保(石井杏奈)との恋愛を経て、理不尽な差別の現実と人間の尊厳の間で葛藤する姿を描いている。全国水平社創立100周年を記念して映画化されたものであり、2022年7月に全国映画館で公開されており、若干間延びしたしたが、最近、映画館以外の各地で上映会が企画されている。上映の前に主催者のY氏は、原作をそのまま映画化したのでは差別映画になってしまうので、最後の場面は希望が持てるようなストーリとしたと述べていた。「丑松」については、長年部落解放運動では、「『丑松』になるな」というのが、被差別部落の出身であることを隠し続けず、部落解放運動に参加するよう若者に呼びかける合言葉であった。

丑松は父親(田中要次)から、「自らの出目を隠し通せ、誰も信じるな」と厳命されていた。映画の冒頭、丑松は下宿先の理不尽な差別に直面する。宿の女将から、この宿には被差別部落の出身者であることを隠して泊まっていた客がいたので全ての部屋の畳を変えると言われる。裕福そうな老人・大日向(石橋蓮司)が人力車に乗って宿を出ていくが、人々は大日向に石を投げつける。そこで、丑松はこの宿を出ていく決意をし、新たに蓮華寺という寺に下宿することとした。

猪子の演説シーンは原作にはない、差別用語を使った「我は穢多なり。されど我は穢多を恥じず」という言葉がある。原作では猪子の著述『懺悔録』にある言葉であるが、これを演説中のセリフとして使うことで、猪子の思想家としての力強さと、映画全体として、部落差別に反対する監督の意図が伝わったのではなかろうか。また、志保が丑松の部屋に与謝野晶子の詩集を忘れ、それを丑松が手にすることで、二人が会話するきっかけとなり、志保が丑松に心惹かれていくシーンが描かれている。これも原作にはないシーンであり、志保の描き方が弱いと批判された原作の弱さを補っている。

丑松が父親の戒めを破って被差別部落の出身であることを明かそうとした猪子が暴漢に襲われたことで、丑松は同僚や生徒たちに全てを明かす決意を固めまた。同僚の土屋銀之助(矢本悠馬)は早まるなと説得したが、丑松は学校を辞め、飯山を離れる決意を固めた。教壇に立った丑松は、生徒たちに自分は被差別部落の出身であることを告白した。涙を流しながら、大人になった時にこの学校に瀬川という教師がいたこと、伝えてきたことを思い出してほしい、自分は卑しいと言われる身ではあったがみんなには常に正しいと思うことを伝えてきたと語った。生徒たちも涙を浮かべながら丑松の話に聞き入り、校長(本田博太郎)にも辞めさせないでほしいと嘆願した。丑松は東京で再び教師として再出発することにした。そこに銀之助が志保を連れて見送りに現れ、志保は全てを知ったうえで丑松と一緒になるといって荷車を引いて旅立っていく。この最後のシーンも、原作では真冬の雪の中、丑松は教職を捨て大日向と供にテキサスに旅立つ、志保とは今生の別れとなることでハピー・エンドではない。

ところで、映画では原作の最も重要な省かれたシーンがある。丑松の父親が死去し、丑松が帰郷し、父親の葬儀に立ち会う中で、丑松の出自が事細かく書かれた箇所である。藤村の小説の根底であり、ストーリー上避けて通れないものであるが、被差別部落に対する予断と偏見の差別意識が藤村の筆の行間に強く漂い、読むに堪えない箇所も多々あり、前田監督は思い切ってカットしたのであろう。それが映画を見るものにとって、丑松の「不安」を分かりにくくした面があるが、踏み込まなかったことによって、ハッピー・エンドの恋愛物語として映画に娯楽性を持たせたともいえる。

佐藤文隆は、学校教育について「学校は生徒を『未来』に導く仕掛けであり、教員は子供を『未来』へ導く導師だった。」(佐藤文隆:『転換期の科学』2022年)とし、「19世紀、中央集権的に国民国家形成を行ったフランス、プロシアそれに日本でも学校教育の『運動』は現存していた世の中を肯定せず、それを革新していく人材育成を学校は担っているという自負が教育界にはあった…教員は遅れた世の中の全国津々浦々に築かれた橋頭保の守り手であり、教員は世の中の革新者という攻めの意識を持っていた。…『世間並みに堕落してはいけない』という世の中の改造者としての使命感を昂揚させる旗であった。遅れた世間を跳ね返し遮断する」(佐藤文隆:『科学と人間』2013年)。と書いた。その師範学校を出た国家エリートである教師が生徒に土下座したのである。「遅れた世間を跳ね返し遮断」し、「世の中の改造者」としての国家使命を背負った教師が、「遅れた世間」の予断と偏見による差別意識に屈して土下座したのであるから一大スキャンダルである。丑松にはモデルがあるといわれており、藤村はこの一大スキャンダルを小説化したのであるが、60年ぶりに映画化された『破戒』はどこまで藤村に迫ったか。

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