【投稿】安倍政権の帝国主義外交をめぐって 統一戦線論(32)
<<「盗っ人たけだけしい」>>
新年早々、安倍政権は取り返しのつかない失策に踏み出してしまったと言えよう。
1/6、日本政府は唐突に、韓国・釜山の日本総領事館前に「慰安婦」を象徴する少女像が設置されたことに関し、(1)長嶺安政駐韓大使、森本康敬釜山総領事の一時帰国、(2)在釜山総領事館職員の釜山市関連行事への参加見合わせ、(3)日韓通貨スワップ(交換)協議の中断、(4)日韓ハイレベル経済協議の延期―の対抗措置を当面取ることを、韓国政府に突き付けたのである。極めて異例の強硬措置であり、外交断絶通告にも等しい暴挙である。わざわざ韓国の国政空白期や米政権交代期を狙った安倍政権のあざとい、陰険な「奇襲攻撃」である。してやったりのつもりなのであろう。しかし、その植民地主義的、帝国主義的で、しかも高圧的な姿勢が韓国、アジア、全世界にさらけ出されたのである。
1/8、NHKの「日曜討論」で放送された収録インタビューで、安倍首相は、「日本は誠実に義務を実行し10億円をすでに拠出している。次は韓国がしっかりと誠意を示して頂かなければならない」と横柄な姿勢を披歴して日本の民族主義を煽り、さらには朴政権の機能喪失に付け込み、「たとえ政権が変わろうとも、それを実行するのが国の信用の問題だ」と次期韓国政権に指図までする傲慢さである。
「こっちはカネを払ったんだから、韓国政府は市民団体を黙らせろ、少女像を撤去させろ」と言わんばかりの発言は、性奴隷被害者の「慰安婦」問題に対する、加害者側の謝罪や誠実さのひとかけらもない安倍政権の居直り姿勢を如実に示してしまったのである。
当然、韓国の在野はあげて安倍発言に猛反発し、最大野党の禹相虎院内代表は「安倍に10億円を返そう」と述べ、野党第2党「国民の党」の朱昇鎔院内代表は、「加害者である日本が被害者である韓国政府に、それも我が領土にある少女像を撤去しろというのは盗っ人たけだけしい」とまで述べている。おりしも韓国の裁判所は合意に関連した交渉文書を公開せよとの判決を下している。
当初釜山の少女像撤去に動いた釜山東区庁長は、逆に「少女像が歴史に長く残る文化遺産になることを期待する」と少女像の保護に転換させてしまった。韓国最大野党「共に民主党」の文在寅元代表は「日本は少女像の設置に対し、前例のない強い報復措置を取り、韓国がまるで詐欺でも働いたかのように主張している」と指摘し、釜山の少女像の視察に出向き、「共に関心を持って守っていこう」と訴えている。
問題はさらに広がり、少女像設置運動が全国的に拡大、ソウル江北・銅雀区では推進委員会が設立され、全羅南道麗水、江原道春川では募金運動が展開され、平和碑または正義碑と呼ばれるものまで含めると、韓国内少女像は計55件にのぼり、今年末には韓国国内だけで少女像設置場所が70カ所を超えると予想される事態である。
<<“ならず者国家”の論理>>
ところが、こうした日韓関係の緊張激化という泥沼の事態を招いてしまったにもかかわらず、あるいはこうした事態だからこそか、日本政府側は、「首相を含め、怒りを募らせている」(外務省関係者)、安倍首相は周辺に「外務省は大使たちを早く韓国に帰したがっているが、早く帰す必要はない。」とまで語っていると報道されている。安倍政権は、冷静な判断能力を失ってしまったのであろう。居丈高になればなるほど、緊張を緩和させることは難しく、在韓大使や釜山の総領事を帰任させることは困難となり、事態はさらに泥沼化するであろう。アメリカの要請でやむを得ず札びらと内容と実質の伴わない謝罪で日韓合意にこぎつけ、「慰安婦問題は最終決着」と楽観視していた安倍首相が、自らの手で墓穴を掘り、出られなくなっているのである。
一昨年末の12・28日韓合意で岸田外相が明らかにした10億円の拠出は、少女像の撤去ではなく、あくまでも慰安婦被害者の「心の傷を癒やす措置」を講じるためのものであった。ところが、あたかも「10億円が少女像撤去の対価」であるかのように強引にすり替えられている。しかも、被害者に日本側の謝罪メッセージを伝える案が提起されると、安倍首相が「毛頭考えていない」(2016/10月)と開き直ってしまった。安倍首相がこうした本音を吐露したことは、12・28日韓合意がいかに人権を踏みにじり、被害当事者を無視、排除し、被害者を置き去りにしたままの合意であり、正義の原則を損ねたものであり、根本的に誤ったものであるかを暴露してしまったのである。
そして少女像の撤去を要求するウィーン条約違反の主張にもこじつけの論理がある。日本は、相手国公館の安寧と品位を守る責務を規定した第22条違反を掲げているが、この条項の一般的な解釈は過激なデモに限られている。安寧と品位を害するものとは程遠い少女像の設置にまで拡大適用することは日本の一方的主張に過ぎないのである。
釜山に設置された少女像(正式には「平和の碑」)は、「慰安婦」にさせられた被害者の苦痛を記憶し、二度と同じ過ちが繰返されないことを願う人々の思いを象徴するものとして、ろうそく集会の市民たちが一昨年末の慰安婦問題合意1周年を迎えて自発的に立てたものである。少女像の設置がこうした日本の責任回避と人権の蹂躙、歴史無視に対する韓国市民の抗議であり、謝罪と正義を求める声であることは自明である。本当に「心からおわびと反省の気持ち」を抱いているのであれば、安倍首相をはじめ全閣僚が現地に出向いて、少女像に花を手向け、真摯な謝罪と反省の姿勢をこそ示すべきなのである。さらに言えば、日本こそが性奴隷化を強制した「慰安婦」への謝罪と反省の意を表すモニュメントを建てるべきであろう。それを逆に、頑迷に少女像の撤去に固執し、強権的に封じ込める、それを韓国政府に要求すること自体、善隣友好外交とは全く真逆の、民主主義を踏みにじる“ならず者国家”の論理である。
ドイツでは、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(通称ホロコースト記念碑)が、首都ベルリンのブランデンブルク門の南、1万9073㎡の広大な敷地にコンクリート製の石碑2,711基がグリッド状に並べて一般公開され、地下にはホロコーストに関する情報センターがあり、ホロコースト犠牲者の氏名や資料などが展示されている。ドイツは、自国が犯した戦争犯罪・民族迫害の歴史を記す建造物を自らの意思で設置している。これに反して安倍政権は、本来なされるべきこうした事態に発展することを、「次世代に継承する」ことをあくまでも拒否したいのである。
<<共産党の拱手傍観と自発的隷従>>
この“ならず者国家”の論理に、日本の大手マスコミのほとんどが「韓国はけしからん」「日韓合意を守れ」と唱和している。まさに大政翼賛状態である。「慰安婦」問題で攻撃にさらされた朝日新聞の社説ですら「少女像問題の改善へ向けて、韓国政府は速やかに有効な対応策に着手すべきである。日本政府が善処を求める意思表示をするのも当然だ。」(1/7付)と安倍政権を擁護している。
問題なのは、野党までがこの大合唱に参加し、安倍政権と同調するという嘆かわしい事態に陥っていることである。共産党をも含めて野党共闘に参加するどの党からもこうした安倍政権の論理を批判し、緊張を激化させる強硬措置に抗議し、糾弾する声が聞かれないという、異常な翼賛状態である。
民進党の蓮舫代表は1/15、日本政府が駐韓大使と釜山総領事を一時帰国させるなどの対抗措置を取ったことについて理解を示し、「日韓合意の約束事が一方的に守られなかったことがあった。私たちが取り得る手段は限られており、仕方がなかった」と安倍政権にすり寄る姿勢を表明している。同党の野田幹事長に至っては、「ゴールポストがずるずる動く」と韓国の対応を批判し、「無責任なことを言う人たちが出てきている。政府間できちんと詰めた合意であり、さかのぼった議論に戻るのはおかしい」と息まき、記者が「まず相手(韓国)の気持ちを聞くべきだ」と質問すると、「ある意味ずっと聞いているじゃないですか」と色をなして反論する始末である。政権与党幹事長のごとき姿勢である。
共産党はと言えば、各紙が日本政府の強硬措置を大々的に報道しているのに対して、1/7付しんぶん赤旗は1面が「党大会成功へ、連日、党勢拡大の大飛躍を」がトップ、中心記事、2面に小さな3段記事で「少女像設置で対抗措置」として報道記事を載せているだけで、論評は一切なし。翌1/8以降、各紙に韓国側の反発が大きく報道されたが、赤旗はその報道記事さえ一切なし。もちろん、強硬措置に対する安倍政権批判も一切なし。それ以降の赤旗「週刊日誌」政治・経済欄にさえ記事ゼロ。まるで報道管制をひいたかのごとくである。
1/13付赤旗で、はじめて「在日本大韓民国民団の新年会 小池書記局長が祝辞」という記事の中で「日本軍「慰安婦」の問題について、一昨年末に両国政府の間でかわされた合意は、あくまで問題解決の出発点であり、すべての被害者の人間としての名誉と尊厳を回復してこそ、真の解決になると考えます。そのために日本政府は、過去、「慰安婦」被害者の方々の人権を著しく侵害したことへの謝罪を誠実に行うことが必要です。韓国政府と協力しながら、冷静に、誠実に問題の解決へと努力しなくてはなりません。」とこの問題についてほんの少し触れただけで、今回の安倍政権の強硬措置についてはやはり一切触れていない。
1/15から開かれた共産党第27回大会でも、志位委員長報告をはじめ、討論でも結語でも、この問題には一切触れていない。大会を通して、安倍政権の帝国主義的・植民地主義的・脅迫的外交に対する批判や糾弾、抗議の声はまったく聞かれなかったし、封じ込められてしまったのであろう。1/21付赤旗は、共産党議員団総会での 志位委員長のあいさつを掲載し、「大会決定の力を、国会を舞台とした安倍政権との論戦をつうじて示していく、そういう論戦を展開しようではありませんか。」と述べているが、やはりこの問題には一切触れていない。論戦する気が全くないのである。
共産党までもが、思考停止と拱手傍観によって、事実上、安倍政権への自発的隷従状態に陥っているのである。このような事態に直面して、野党共闘や統一戦線が民族主義に流されるような危険性について、真剣な警告が発せられるべきであろう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.470 2017年1月28日