【本の紹介】「日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか」

【本の紹介】「日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか」(矢部宏治著)
      —「自衛隊」は発足時から米軍の指揮下にあることを解明— 

 11月17日安倍首相は、アメリカのトランプ次期大統領と会談を行った。大統領就任前で政策も定まらず、新政権のスタッフ人選も混乱している中、何を目的に会談したのか。TPPや日米安保について語ったと言われているが、おそらくその本質は、日本は引き続きアメリカに「隷属」いたしますと伝えに行ったということだろう。米軍の駐留は引き続き日本に必要だと。
 著者矢部宏治さんは、前著「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を2014年10月に出版している。米軍が平和条約締結後も60年以上駐留し、そして福島原発事故があっても原発を止められないのは日本政府を陰で支配するアメリカの存在があり、それは条約の裏にある「日米密約」の存在が原因であるとの内容であった。
 今回の著書では、①米軍が日本の基地を自由に使うための密約(基地権密約)と②米軍が日本の軍隊を自由に使うための密約(指揮権密約)の存在について、アメリカ公文書館の公開資料等を基に明らかにされる。
 本書の注目点は、1、戦争と軍備を放棄した憲法9条があるにも関わらず、なぜ自衛隊という軍隊が存在しているのか、2、サンフランシスコ平和条約で、日本は占領から脱したはずなのに、なぜ米軍基地が占領状態のごとく日本に存在しているのか、3、昨年強行採決された安保関連法によって、自衛隊は国内に限定した活動から国外での米軍の軍事行動を支援することが可能になった。米軍の指揮権のもと、日本が「戦争ができる国」になったことを明らかにしている点である。

<朝鮮戦争勃発で状況は一変した>
 1947年5月2日に日本国憲法は施行された。日中戦争・太平洋戦争を引き起こした旧陸海軍を解体し軍隊を持たず戦争を二度と繰り返さない国にする事は、敗戦時の連合国軍司令長官マッカーサーの構想であった。しかし、1950年に勃発した朝鮮戦争を起点とする「冷戦」時代の到来によってアメリカの日本に対する位置付けは大きく変化していくことになる。
 社会主義のソ連と中国に対抗するため、日本がアジアにおける防衛拠点とされていくのである。さらにマッカーサーは朝鮮戦争の最中、一進一退の戦争状態の責任を問われ、司令官を解任されてしまう。その後の日米関係(占領終了後も米軍が駐留できる)を構想し実行したのは、後に米国務長官となるジョー・ダレスであったと著者は言う。
 
1950年代前半の歴史的経過は、以下の通りである。
(1947年5月2日に日本国憲法は施行。)
1950年6月25日 朝鮮戦争勃発(北朝鮮軍が「国境」を超える)
1950年8月10日 「警察予備隊令」交付
1951年4月11日 マッカーサー解任
1951年9月8日 サンフランシスコ平和条約調印(1952年4月28日施行)
  同日 旧安保条約締結(別に「交換公文」手交)
1952年7月 旧日本軍将校の追放解除(警察予備隊に採用)
1952年10月 警察予備隊廃止し、「保安隊」発足
1953年7月27日 朝鮮戦争休戦協定締結 

 1945年9月日本に進駐した米軍は、連合国軍として日本占領を行い、陸海軍の武装解除や戦後改革を実施した。ポツダム宣言には、「平和条約締結後は、連合国軍は速やかに撤収する」との条項があった。朝鮮戦争には駐留米軍が「国連軍」として投入され、日本国内の米軍基地防衛のため「警察予備隊」が米軍の指示により創設された。米軍基地を警護する活動のみ行うとされた。平和条約締結後ポツダム宣言に基づく占領状態の終結を前に、日本に引き続き米軍を駐留させることを米軍もアイゼンハワー大統領も望んだ。

 著者は、1950年の朝鮮戦争の勃発により、マッカーサーが構想した「軍備を持たず、戦争をしない」という戦後日本の国の形は、朝鮮戦争へ参戦した米軍を「将来の国連軍」と見なして、「国連軍」としての米軍の戦争行動に、基地も「軍隊」も協力できる国へと変貌させたと指摘する。「・・・正規の国連軍ができない間は、国連憲章の中にある「暫定条項(106条)」を使って、日本が「国連軍のようなアメリカ」との間に、「特別協定のような二カ国協定(旧安保条約)」を結んで「国連軍基地のような米軍基地」を提供することしすればいい。それは国際法の上では合法である」と。基地権は、その後安保条約の改定を経ても維持され、「占領下の基地提供」が続いている。
 
<「自衛隊」が発足時から米軍の指揮下にあることを解明>
 さらに著者は、米軍の指揮権について、どのように成立したのかを明らかにする。
 1951年サンフランシスコ平和の締結後、旧安保条約が吉田首相によって調印されるが、その際別の「交換公文」が存在するという。それが「吉田・アチソン交換公文」である。
 「こうして国民が全く知らないうちに生み出された「吉田・アチソン交換公文」という、この日米間の巨大な不平等条約が意味しているのは、日本は占領下で米軍(朝鮮国連軍)に対して行ってきた戦争支援を、独立後も続ける法的義務を負わされてしまったという事実です。」「吉田・アチソン交換公文の全文と解説を読んでいただければ、「占領体制の継続」よりはるかに悪い「占領下における戦時体制(戦争協力体制)の継続」であることがはっきり理解してもらえると思います。」
 これで、基地権と戦争協力について、不平等な日米の法的関係は完成することになった。 次に、指揮権の問題である。1952年7月「有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべき」と吉田茂が発言した口頭の密約が存在し、さらに1954年2月に2度目の口頭密約が行われた。そして、統一指揮権を含む「国連軍地位協定・合意議事録」1954年2月に調印され、同年7月自衛隊が発足している。
 「完全にアメリカに従属し、戦時には米軍の指揮下に入る自衛隊」が出現したのだという。基地の提供、戦争協力・指揮権をアメリカに差し出した日本。そして司法までアメリカへの戦争協力体制に加担することになる。
 
<安保条約の違憲性を裁判所は判断しない—統治行為論—>
 司法もアメリカの圧力に屈し、高度な政治的問題は、司法は判断できないとする「統治行為論」を1959年12月9日砂川事件の最高裁判決の中で展開。これにより、数々の違憲訴訟において「裁判所の範囲ではない」と判断を回避した。統治行為論によって、以後裁判所は、日米の軍事同盟問題について、違憲判断を行わないのが慣例となってしまった。
 そして、昨年9月に強行採決された安保関連法によって、国内の活動(専守防衛)に限定されていた自衛隊の活動範囲を、米軍の指揮下に世界のどこでも行動(戦争)ができる「法的根拠」が整備されたのである。
 
 本書の内容は、私も初めて知ったことも多く示唆されるものが多かった。専守防衛と言われるが、米軍指揮下においては、自衛隊の交戦は認められる、それは憲法9条に違反しないとのロジック。朝鮮戦争が終結しておらず、国連軍が組織されていないあいだは「国連軍(米軍)」の指揮下で有事の際は、戦争ができる自衛隊。
 日米同盟は基本と、自民党も民進党も主張するが、「不平等な日米同盟」を脱することこそ、まず求められるのではないかと感じた。
 
 戦後史をめぐる書籍は、戦後70年を前後して数多く出版されている。
「検証法治国家崩壊–砂川裁判と日米密約交渉 創元社 戦後史再発見双書2」・「戦後史の正体 1945-2012 孫埼亨著 創元社 戦後史再発見双書1」などがある。もう一度読み返してみたい。(2016-11-20佐野)

【出典】 アサート No.468 2016年11月26日

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