【投稿】画期的な大飯原発差し止め判決

【投稿】画期的な大飯原発差し止め判決
                           福井 杉本達也 

1 画期的な判決
 福井地方裁判所(樋口英明裁判長)は5月21日、関西電力大飯3,4号炉の稼働を禁止する判決を下した。判決は大飯原発が持つ危険性に対する関西電力の見通しはあまりに楽観的であり、その安全対策には福島第一原子力発電所の事故の教訓が充分に生かされていないと指摘した。福島第一原発の事故発生以来、日本国内にある50基の稼働可能な原発は点検と安全確認のため停止したが、2012年6月8日、当時の民主党野田政権は強引にも大飯原発の3号機、4号機のみを夏場の電力不足に備えるためと称して、2012~2013年にかけ、一時再稼働した。これに対し、大飯原発の周辺で生活する約200人の住民が、2012年11月関西電力を告訴、そして今回福井地裁から再稼働を禁じる命令が下った。
 
2 福島原発事故の反省の上に
 判決は「事故が起きると多くの人に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度な信頼性が求められる」とし、「15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、原子力発電技術の危険性の本質及び被害の大きさは福島原発事故で十分明らかになっている。自然災害と戦争以外で、この根源的権利が極めて広範に奪われるという事態を招く可能性があるのは原発事故のほかは想定しがたい。」と断定した。福島原発事故の反省に立ち、目の前にある事実をしっかりと踏まえた内容である。

3 250キロ圏内の住民に原告適格を認める
 判決は「原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難勧告する可能性を検討した。チェルノブイリ事故の場合の避難区域も同様の規模に及んでいる。」と述べ、その圏内の住民の原告適格を認めた。これまでは、裁判の度に、入口で「原告適格」を争われ、「当該住民の居住する地域と原子炉の位置との距離関係を中心として、社会通念に照らし、合理的に判断すべきものである」として、本来の原発の安全性論争に入る手前で訴えの資格があるかどうかという異様な消耗戦を強いられてきた。今回の判決はその「資格」を大幅に広げた。
 250キロ圏の危険を指摘したのは、事故当時の菅首相からの指示を受けて近藤駿介原子力委員長が作成した「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」であるが、(2011.3.25 http://www.asahi-net.or.jp/~pn8r-fjsk/saiakusinario.pdf)事故後10か月も経った2012年1月に情報公開されている。強制移転すべき地域が170キロ、希望移転区域が250キロにも及ぶ場合があると指摘している。チェルノブイリの教訓を踏まえてのシナリオである。
 
4 基準地震動
 基準地震動について判決は「日本の地震学会はこのような規模の地震の発生を一度も予知できていない。1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は不可能。国内最大の震度は、岩手・宮城内陸地震における4022ガル。地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しに過ぎない。」と切って捨てた。これまで、原発は近隣の活断層のみに注目し、その長さによって基準地震動を算出してきた。基準地震動が定まらなければ原発の安全設計はしようがない。つまりお手上げである。かつて斑目原子力安全委員長は、技術はどこかで「割り切り」をするといったが、どこで「割り切る」かが問題である。統計学者の竹内啓氏は「地震については、その発生場所、時刻、大きさ等は、少なくとも現在の科学においては偶然的な要素を含むと考えざるを得ないし、従って過去の観測データについていくら多くのデータを集めても確実な予測は不可能である…そのような『確率』が何らかの形で自然現象としての地震に関して客観的に存在すると考えることはできない。それは地震の発生に関する人間の判断を表すものであり、ある意味では主観的なものといわねばならない」(竹内啓「ビッグデータと統計学」『現代思想』2014.6)としている。統計学的には地震の『確率』はあくまでの学者の『希望的確率』に過ぎないのである。それをあたかも科学的・客観的データであるかのように装い、押し付けてきたことにこそ問題があるといわねばならない。
 
5 使用済み核燃料プールの危険性
 判決は「使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたとき、敷地外への放出を防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。全交流電源喪失から3日たたずしてプールの冠水状態を維持できなくなる危機的状況に陥る。使用済み核燃料プールの事故は、国の存続にかかわるほどの被害を及ぼす。」と指摘している。事故直後、米国から4号機プールに水がないと指摘され、また、日本存亡の危機として3号機プールに対して自衛隊や東京消防庁が命がけの放水を行ったが、この3年間、政府は意図的に燃料プールの危険性を忘れさせようとしている。
 戦時中、理化学研究所の仁科芳雄や湯川秀樹・武谷三男らは、水31キロに濃縮ウラン11キロを混ぜれば普通の火薬の1万トンに相当する原爆を製造できることを研究したが(中日「日米同盟と原発」2013.8.16)、3%程度の低濃縮ウランでも原爆ができることを実証してしまったのが福島原発事故である。「原子力発電=平和利用」という建前を通してきた米国や日本政府にとってこの実証はあまりにも具合が悪い。使用済み核燃料プールは現在止まっている全ての原発に大量の使用済み燃料を抱えたまま何の防護もなく現に存在している。原発の根本的弱点である。福島第一原発4号機燃料プールからの使用済み燃料の取り出し作業は、共用プールが一杯で移送ができないとして6号機プールに移送することになったが(日経:2014.6.19)、これでは、福島第一原発の事故対策はほとんど止まってしまう。
 
6 国富の損失とは
「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題などとを並べて論じるような議論に加わること自体、法的には許されない。多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではない。豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富で、これを取りもどすことができなることが国富の喪失となる。」これは先に閣議決定された『エネルギー基本計画』の「化石燃料への依存の増大とそれによる国富の流出、供給不安の拡大」という見出しで「原子力を代替するために石油、天然ガスの海外からの輸入が拡大することとなり、電源として化石燃料に依存する割合は震災前の6割から9割に急増した。日本の貿易収支は、化石燃料の輸入増加の影響等から、2011年に31年ぶりに赤字に転落した後、2012年は赤字幅を拡大し、さらに2013年には過去最大となる約11.5兆円の貿易赤字を記録した。貿易収支の悪化によって、経常収支も大きな影響を受けており、化石燃料の輸入額の増大は、エネルギー分野に留まらず、マクロ経済上の問題となっている。」という論調への根本的批判である。判決が国家政策に対しここまで明確に言い切ったことはかつてなかった。『エネルギー基本計画』を書いた官僚・「有識者」たちは国土や国民・人の命よりもカネを重視する亡者・魑魅魍魎以外のなにものでもない。この国の支配層はいつから国土や環境・文化や人・技術といった「ストック」を重視せず、カネという「フロー」のみをありがたがるようになったのか。

7 一審判決を頭から否定する関電・政府・県
 判決に対し、関電の八木社長は5月27日、規制委の安全審査・地元の同意さえあれば、控訴審判決前でも再稼働をすると会見で述べた。菅官房長官は再稼働の「政府方針は変わらない」とし、茂木経産相は規制委の新基準に適合した原発から再稼働するとした。また、西川福井県知事は一審判断だから(二審で引っ繰り返せる)と述べている。
 福島第一原発から250キロ圏内には東京を中心とする首都圏がスポッと入る。当時の菅首相は首都圏3000万人避難計画も考えたという(AERA 2011.11.7)。むろんそこには国会・政府機関も皇居も入る。そのようなシミュレーションが行われたことをたった3年で忘れたかのように原発の再稼働を進める輩は、国土や国民には全く関心はない。あるのはカネへの執着心のみである。カネのためには国土や国民も売るという思考の持ち主であり、石原環境相のように他人(福島の住民)も自分のようにカネ目当てだと本気で思っている。国民の生身の生活に関心がない輩とは、生活の物的基盤や国境などを考慮せずカネのみを唯一の基準として、儲かると見たらバクチだろうが詐欺だろうが他人の庭に土足で入り込み、儲からないと見たらさっと引き上げる世界を徘徊する国際金融資本や軍需資本の回し者である。
 我々は「日本は政策を自己決定出来る主権国家である」という前提で思考するから、国土が放射能に占拠され、国民の生命が侵されてもカネしか頭にない「ボーダレス」の官僚や政治家・学者・経営者・有識者の発言は、なぜ、同じ国民としてあのような不謹慎な発言をし、公約を破り、事故以前に発言していたことと正反対のことを言って平然としていられるのかと怒り、呆れ、失望し、意味不明に陥るが、日本がアメリカの属国であり、国際金融資本や軍需資本の手下であるという前提に立てば「彼ら」の話の筋立てはすっきりする(内田樹)。確か西川知事も事故直後には「最も重要なことは、福島第一原発事故を教訓としてその知見を安全対策に十分活かすこと」(2011.9.15)などと述べていたが、今日では事故の知見もさっぱり明らかになっていないにも関わらず再稼働を求めている。手下は親分の指示通りに動かなければならないものである。

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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