【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(5)
▼ 前号で筆者は、都知事選をめぐって宇都宮陣営の選挙総括を取り上げ、「統一戦線形成に対する姿勢は全く変わってはいないし、前向きな変化も前進もほとんど見られない。」と書いた。ところがその後、『週刊金曜日』2014/5/16号、「風速計」欄で、同誌編集委員でもある宇都宮氏本人が「キリスト教徒も仏教徒も無宗教者も、保守も革新も、平和憲法を守るために、政治的、イデオロギー的立場を超えて手をつなぐことが重要である。私が好きな運動の格言に、「同質の集団の集まりは『和』(足し算)にしかならないが、異質の集団の集まりは『積』(掛け算)になる」という言葉がある」と書いておられる。この姿勢は、明らかに「異質の集団の集まりは『積』になる」という、統一戦線の本質を捉えた重要な洞察であり、「同質の集団の集まり」に取り込まれてしまっていた宇都宮陣営からすれば、遅きに失したとはいえ、候補者本人から発せられた重要で前向きな変化だと言えよう。
「同質の集団の集まり」の域を出なかったこと、共産党が宇都宮氏の最大の支持政党に限定されてしまい、前回(2012年)宇都宮選挙より幅広い支持を得る統一戦線戦略を構築もできぬままに出馬を先行させ、結果として『和』(足し算)としても不本意な、1 万3 千票ほどの上乗せしかできなかった、『積』(掛け算)を獲得できなかったことの厳しい現実をこそ直視すべきであろう。
▼ いや、『積』を求める姿勢は以前から一貫しているというなら、どうしてこうした姿勢が、選挙前も、選挙期間中も、そして総括文書にさえも一言も反映しなかったのであろうか。今更悔やんでも詮無いことであるが、今後ますます統一戦線の重要性が高まる情勢に直面していることからすれば、そうした姿勢からの真摯な総括こそが求められるところである。
ところで、同じ『週刊金曜日』2014/4/11号の「風速計」欄で、やはり同誌編集員でもある佐高信氏が「黒田喜夫の「除名」」と題して「先の東京都知事選で自民党は、自民党を批判したとして除名した舛添要一を支援した。除名によって純粋化し、狭くなる共産党となんという違いか。・・・「除名」ばかり続けていては「融通無碍」には勝てないだろう。」と指摘し、さらに佐高氏は、月刊『社会民主』2014/5月号の「佐高信の筆刀両断」で、「(2月)9日は都知事選。直前の『週刊現代』で誰に投票するかを問われ、細川護煕と答える。ココロは「私は小泉政権に異議を唱えたが、今回は眼をつぶって細川氏の原発問題のみならず、安倍政権の暴走にストップをかける役割を重視したい。政権に立ち向かえる候補者は彼だけ。」」と、自らの立場を鮮明にしている。2012年の都知事選では宇都宮氏を支援したであろう佐高氏が、今回は細川氏を支援した、そうした人々が多数存在したことの意味が深く問われるべきであろう。
▼ さて、その細川護煕氏を支援した「脱原発知事を実現する会」(細川勝手連、代表世話人 鎌田慧、河合弘之、両氏)も5月に入って、「脱原発に希望はあるか ―都知事選を振り返って―」という文書を公開している。
(http://nonukes-tokyo.org/post/87167259164/1)
1.脱原発勢力は敗れてはいない
2.細川護熙候補の敗北の原因をさぐる
3.脱原発候補の一本化について
4.選挙の敗北を噛み締める
5.運動の展望を見出すために
と題して、1.の項では、「投票者数は前回よりも157万票減ったが、舛添+田母神票は猪瀬氏と比較し160万票も票を減らしている。つまり脱原発を政策とする候補に投票した人たちが2倍になっただけではなく、自民・公明・石原派が大きく後退している。そして、前回の脱原発票は宇都宮票(97万票)に集約されていたのだが、細川氏の立候補によってそれとほぼ同数の脱原発票が新たに上乗せされてきたことは、保守からの脱原発への参加の成果として高く評価されるべきであろう。」「脱原発票は進展したか、脱原発への希望はあるかといえば、まさにイエス!!である。それに付け加えるならば、舛添氏に「私も脱原発」といわざるを得ない状況にさせたことは、細川氏の立候補とその原発ゼロ政策にある。我々の戦いは進んだ。」と総括する。舛添氏に「私も脱原発」と言わせたのは、細川氏の立候補であったことは論を待たないであろう。
▼ 「脱原発候補の一本化について」では、「脱原発を希望する多くの都民、そして全国の人々から「脱原発候補を一本化できないのか、脱原発票が割れて細川+宇都宮の票が舛添を上まわるのに舛添が当選したらどうするのか」、という声が届いた。その声は非常に広範かつ強いものであり、到底無視できるものではなかった。脱原発運動にかかわる者として、この強い要請の声に誠実に対応せざるを得ないと、我々は考えた。」「脱原発候補の一本化への要請は迷っている脱原発志向の都民から、そして全国の脱原発を願う人々、有力な知識人、社会運動家から殺到していた。」
しかし「脱原発候補の一本化の試みは最終的に失敗に終わった。振り返ってみると、我々の「脱原発候補一本化」の願いは脱原発を願う圧倒的市民、知識人からの支持、要求があったにも拘わらず両候補からは顧みられることは全くなかった。この根本原因は、①宇都宮氏が政党の推薦を受けつつ早期に立候補を宣言して運動を展開したこと。②細川氏が立候補を決意し宣言したのが遅すぎたため、立候補宣言の時点では既に宇都宮氏に立候補取りやめを要請できるような情勢ではなく、また細川氏としてもそのような要請をする意思がなかった。以上の二つのことにある。」と振り返っている。苦々しい、厳しい現実である。
総括文書は最後に「今回の都知事選挙において、従来の脱原発運動のグループの間で、すなわち宇都宮支持グループと細川支持グループの間で若干の摩擦や感情的行き違いがあった。しかし双方ともフェアに戦ったので回復不能な亀裂ではない。我々は数十年の間、連帯して戦ってきたので再び力を合わせて脱原発実現を目指して前進すべきである。脱原発運動には希望がある。」と結んでいる。「再び力を合わせて前進すべきである」とする姿勢は高く評価されるべきであろう。
▼ 脱原発候補の一本化にギリギリまで奔走されていた鎌田慧氏は、そのさなかの2014/1/28付東京新聞「本音のコラム」欄で、ディミトロフの統一戦線論に触れておられる。
「ゲオルギー・デミトロフは、1933年2月のドイツ「国会議事堂放火事件」の容疑者として逮捕された。が、ナチスの共産党弾圧を引き出すための、自作自演のでっち上げだった。ナチスの法廷に引き出されたデミトロフは、徹底的に陰謀を論証して、翌年には無罪を勝ち取っている。
しかし、名前が記憶されているのは、国会放火事件によってではない。その二年後に行われた、「コミンテルン大会」での演説によってである。彼は独善的で公式的、現実には全く通用しない、排他主義的な同志たちを批判、大胆な反ファッショ統一戦線の結成を呼びかけた。ナチスと対抗するための、多様で広範な、民主主義のための共同行動を熱烈に訴えた.その情景が「獅子吼」として語り継がれている。
戦争に向かおうとしている、いまのこの危機的な状況にもかかわらず、広く手を結んで共同行動に立ち上がらず、あれこれ批判を繰り返している人たちに訴えたい。「いったい敵は誰なのか!」と。」
鎌田慧氏の「いったい敵は誰なのか!」というこの必死の叫びが実を結ばなくては、その声に応えられなくては、「一点共闘の拡大」とか「国民共同行動の拡大」とか、いくら綺麗事で取り繕っても、その場しのぎで、実際には仲間内の主体形成を優先させる虚しい空文句でしかないであろう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.439 2014年6月28日