【投稿】被曝線量基準の切り下げを許すな
福井 杉本達也
1 消される『東北』・『福島』―消えない『放射能』
震災から丸2年の3月11日、新聞・テレビでは様々な震災・原発事故特集記事や番組が組まれた。しかしその多くが、お涙頂戴物語の類であった。宗教学者の山折哲雄は「『万の命』が海にのみこまれてしまった『東北地方』の人びとの『叫び』がまるでどこかにのみこまれてしまったかのように、この日本列島上から『東北』が消されてしまっていたのである」(山折哲雄「消された『東北』の名―静まらぬ万の命の叫び」福井:2013.3.10)と悲痛な叫びをあげた。山折は直接『福島』には触れてはいないが、『東北』と伴に『原発事故』も「消されてしまったのである」。IOC評価委員会の東京現地調査のプレゼンテーションにおいて、猪瀬東京都知事は一言も震災・原発に触れることはなかった(福井:2013.3.8)。安倍首相は1964年の東京オリンピック時の歌「より速く~より高く~より強く~」(「海を越えて友よきたれ」)を音程を外して歌い失笑を買った。ここまで『東北』が悲惨な状況に置かれているにもかかわらず「何事も学ばず」、高度成長の夢だけを追い求める「何事も忘れず」である。『東北』はあまりにも「政治都市」であり「経済都市」である『東京』に近すぎたのである。
2 日本は右傾化ではなく幼児化している
福島第一原発の現状は原子炉格納容器が破損し、圧力容器や格納容器に崩落した核燃料をただただ大量の水で冷やし続けるだけであり、状況は益々悪化するばかりである。高レベルの放射能を含んだ冷却水の一部は原子炉の外に絶えず漏れだし、汚染水は増え続ける一方である。汚染水は既に約36万㎥。東電は2015年9月までに貯蔵タンクを増設し、容量を70万㎥にする計画だが、広かった福島第一の敷地内での増設も限界に近づいている。更に、地下水の汚染、海洋へ流出が続いている。3月15日には第一原発港湾内で74万ベクレル/kgもの“化け物”のようなアイナメが捕れた。1kg食べると11ミリシーベルト(mSv)も内部被曝する量である(日経:2013.3.16)。冷却方法を見なおさない限り、汚染水は管理不能になり、海洋投棄するしかなくなる。東電は破廉恥にも、福島第1原発で発生した大量の汚染水について、処理後に海洋放出することを検討し始めた(毎日:2013.3.5)。
さらに、破損した原子炉の処理については、全く不透明である。経産大臣を議長とする廃炉対策推進会議は「原子炉からの燃料デブリの取り出しの早期実現に向けて、号機毎に大きく異なる建屋の損壊状況、放射能汚染状態、内部状況、さらには、他の工程などを踏まえつつ、以下の諸点を検討しながら、可能な限りスケジュールを明確化すること。」(2013.3.7)と書くが、まったく具体性を欠いている。まずは、矢板やグラウド材で福島第一敷地境界をぐるりと囲う深さ数十mの止水壁を構築し放射能の周辺への拡散(=地下水や海洋への放射性物質の漏洩)を止めなければならない(地下に強固な岩盤があるならば)。使用済核燃料プール内の核燃料棒はもし取り出しが可能な部分があるならば「乾式キャスク」による「暫定保管」をしなければならない。しかし崩落した核燃料(デブリ)は取り出すことは不可能である。1979年のスリーマイル原発では格納容器を水棺して水中の作業で溶融した燃料棒(デブリ)を取り出すことができたが、それでも事故後11年もかかった。福島原発は底抜けであり水棺することができない。空気中に取り出そうとすれば作業員は即死である。処理作業は、今後数十年から100年という期間において数十兆円オーダーの費用が必要である。超長期間にわたる放射性廃棄物の管理・処分にはどれだけの資金が必要となるのか検討もつかない(参照:近藤邦彦・ブログ「環境問題を考える」)。事故の処理の巨額の出費のために日本の経済は「より遅く~より低く~より弱く~」ならざるをえない。安倍首相の思いとは裏腹に、残念ながら『東京』は放射能の影響を遮るには『東北』に“近すぎた”。『東北』・『福島』を地図から抹殺しようが、言葉を消し去ろうが、『東北』は『東北』として現存し、『放射能』は消し去ることはできない。日本は右傾化しているとの声が多く聞かれる。だが、目の前にある原発の崩壊という厳然たる事実から逃げることはできない。それは今後数百年も続く放射能との苦しい闘いの入り口に過ぎない。我々の心は予期せぬ異常や危険に対しては鈍感にできている。神経が疲れ果ててしまうので普段通りの生活をしたいと思うからである。「正常性バイアス」という。危険が迫っていても信じたくないのである(広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるか』)。しかし、事実を事実として客観的に見ることができないこの国は右傾化ではなく幼児化しているに過ぎない。
3 住民を放射能に売り渡す「吸血鬼」佐藤雄平福島県知事・遠藤勝也富岡町長
民主党政権下において「年間の被曝線量1mSv以下」という目標値を掲げた「除染」は難航している。「伊達市では40ヶ所以上の仮置き場ができて、除染が進みましたが、残念ながら元の線量には戻れません。国は毎時0.23マイクロシーベルト以上の地域は除染する方針ですが、この線量はなかなか達成できない。低いところをさらに除染してもあまり下がらない。現実的な目標設定が必要です。」と伊達市除染担当の半沢隆宏は言う(朝日:2013.3.12)。除染しても線量が下がらないため住民の帰還が進まないとみた国や県は、事実上の安全基準の緩和に向けて動き始めた。住民は、被曝の不安と生活の苦しさの間で揺れている。それに付け込んで生き血をすすろうと佐藤雄平知事は「風評被害の観点からも、新たな放射線の安全基準などを政府の責任で示してほしい」と国に要望、遠藤勝也富岡町長は「年間1mSvという除染の目標は達成できるか疑問。現実的な範囲で科学的、医学的な安全基準を国に示してほしい」と発言。菅野典雄飯舘村長は「同じ地域であっても、住人の年代や性別ごとに適切な数値を示すべきだ」と求めた。こうした発言を受ける形で復興庁が3月7日にまとめた『復興の現状と取組』の中で「国は避難指示解除を待つことなく、前面に立って以下の施策を速やかに実行に移す。これにより、今後1、2年で帰還を目指すことが可能となる区域等において、避難住民の早期帰還・定住を実現する。」と書いた。 安倍首相は11日、避難した住民の帰還について、今夏をめどに見通しを示す意向を示した。「緩和は避難者を福島に戻す圧力だとしか思えない。避難する権利が奪われている。住めない地区が広がれば、東電の賠償も増える。だから、我慢して住めということになる。加えて、国にとっては原発の再稼働や輸出をするため、原発事故の過小評価をしたいという意図もあるのだろう」と荒木田岳福島大学准教授はいう(東京:3.14)。福島県は原発事故翌日の2011年3月12日午前5時頃の大熊町避難所の貴重な放射線データをわざと消し去ってしまった(福井:2013.3.10)。犯罪を隠す準備は着々と進行している。
4 犯罪に荷担する学者(?)
こうした意図を受けてか、またぞろあまりにも無責任な発言をする学者?が増えている。産業総合技術研究所フェローの中西準子もその1人である。「生きていくうえでは、さまざまなリスクがあります。放射能にも、移住にもリスクがある。両方を比べてどちらをちるか個々人が判断していくしかありません。放射線影響の専門家は、100ミリシーベルト以下だと影響は見えないとずっと言い続けています。私は、その見解は尊重できるように思います。私は、その見解は尊重できるように思います。リスクがないわけではありませんが、外部被曝の積算が15年で50~100ミリシーベルト程度なら、住む選択肢があっていい。」(朝日:2013.3.12)。中西は何を根拠に100mSv以下は影響ないというのか。福島県立医大副学長の山下俊一の言葉の受け売りなのか。福島原発事故に際し、ICRP(国際放射線防護委員会)は 「放射線源が制御されても汚染地域は残ることになります。国の機関は、人々がその地域を見捨てずに住み続けるように、必要な防護措置を取るはずです。この場合に、委員会は、長期間の後には放射線レベルを1mSv/年へ低減するとして、これまでの勧告から変更することなしに現時点での参考レベル1mSv/年~20mSv/年の範囲で設定すること(ICRP 2009b、48~50節)を用いることを勧告」している。( ICRP国際放射線防護委員会 2011.3.21)一般公衆が住む場合は「放射線レベルを1mSv/年へ低減する」べきであり、「参考レベル1mSv/年~20mSv/年」は事故後数年間の復興段階においてである。ICRPの前提は「放射線源が制御」されていることである。福島の場合には「放射線源が制御」されていない。いまなお放射能を環境中に出し続けている。今後確実に減り続けるとは言えない。崩壊した原発の核燃料の処理が旨くいかなければ増加するかもしれない。事故後2年も経って、除染に膨大なカネを注ぎ込んでも放射線量がそれ以上下がらないとなればもう復興段階とはいえない。中西は無責任にも「15年で50~100mSv程度なら」こうした環境中でも住民に住めというのである。中西のいう「15年で50~100mSv」には何の安全の根拠もない。何の根拠もないことを言いふらすのは学者のすることではない。国は「放射線レベルを1mSv/年へ低減」させなければならない。させられないならば住民を住まわせてはならない。ICRPは核(原発を含む)保有国が核を管理するための放射線防護に関する基準を定める国際機関であるが、何の根拠も無しに「勧告」しているわけではない。国がICRPの勧告に反するようなことをするならば、日本は核管理能力がない国だと国際的に見なされることとなるであろう。
「まだ恋も 知らぬ我が子と 思うとき 『直ちには』とは 意味なき言葉」・「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」(俵万智3・11短歌集『あれから』より)。母のうたは吸血鬼には聞こえない。
【出典】 アサート No.424 2013年3月23日