【投稿】薄氷の上で踊る安倍政権
<<「価値観外交」>>
いよいよ安倍政権の危険な正体が露呈し始めたようである。7月の参院選までは国内情勢や未だ自民党にとって不十分な力関係を踏まえて、露骨な対中軍事力強化路線や9条改憲路線を抑えているかに見えていた。しかし衆院絶対過半数を獲得して舞い上がってしまって抑えきれなくなったのか、あるいはその軽薄な思慮なき本性から吹き出したのであろう、安倍首相はまずもって海外から、「価値観外交」なるものを掲げて、対中国軍事力強化・「中国封じ込め」路線を東南アジア諸国訪問の中で早々と打ち出し始めた。麻生副総理をミャンマーに、岸田外相はフィリピン・シンガポール・ブルネイ・オーストラリアに、そして自らはベトナム・タイ・インドネシアへの歴訪であった。
そして1/18、安倍首相は最後のインドネシアのユドヨノ大統領との会談で、両国の安全保障問題を討議する中で首相任期中に憲法改正を目指す考えを表明し、「国防軍」を保持するなどとした自民党の新憲法草案について説明したというのである。「国防軍」などというおどろおどろしき、日米共同軍事作戦と軍事介入を可能とする軍事力増強・緊張激化路線を、「自由と民主主義を基本とし、自由と民主主義を共有する国との友好関係をつくる」という、同じ「価値観」を持つ諸国と同盟し、この原則に合致しない中国のような国に対してはこれを軍事的に包囲するという、極めて危険極まりない路線を公然と打ち出したのである。全世界の世論、とりわけアジア諸国の世論は決してこのような危険な動きを見逃さないであろう。
問題は、安倍首相がこともあろうに日本帝国主義の軍部=「国防軍」が軍事侵略を欲しいままにし、「従軍慰安婦」など筆舌に尽くしがたい惨禍を与えたその舞台である東南アジア諸国歴訪の中で、それらになんの反省も言及もなく、ただ「平和主義は継承しつつ」というお題目を付け足しただけで、憲法9条改悪と自衛隊の「国防軍」への昇格、軍事力増強路線を合理化するという、これまでどの歴代首相の誰もが手を付けなかった路線に踏み出してしまったことである。安倍首相には、そうした歴史的反省と恥の概念が完全に欠落した軽薄さだけが浮き彫りになり、それが全世界に発信されたのである。
ここに、本来堅持すべき体制の異なる諸国とも平和的善隣友好関係を維持するという、これまで日本を含め圧倒的多数の国が堅持してきた平和共存政策が捨て去られてしまったといえよう。
しかしこのような危険な路線は、どのような理由付けをしようと持続できるものではなく、政治的・経済的に孤立化し、修正せざるを得ないか、遅かれ早かれ破綻せざるを得ないものである。
<<「安倍氏の恥ずべき衝動的行為」>>
安倍首相は、本来、まずはワシントン詣でをして、オバマ大統領との日米首脳会談からの始動を予定していた。それがたとえ参勤交代と言われようが、これまでの日本の歴代首相の通例であった。しかし、前野田政権以上の「日米同盟」の深化を掲げ、米軍事政策の最も忠実な首相の誕生としてすぐさま大歓迎されるであろうとの予測に反して、「1月は時間が取れない」と外交ルートを通していとも簡単に安倍首相の訪米が断られてしまった。安倍、麻生、ともにブッシュ政権や米共和党・ネオコンの産軍複合体路線の面々とは密接であれども、オバマ政権や民主党とは疎遠である。面子丸つぶれで外務省の無能さを怒りなじってはみたものの手遅れであった。その結果が裏返しとしての今回の東南アジア「価値観外交」であった。
しかしこの問題の背景に横たわっている、安倍政権の歴史観問題が、実は重大な安倍政権のアキレス腱となる様相が濃厚となってきている。
ニューヨーク・タイムズ1月3日付社説「日本の歴史を否定する更なる試み」は、日本の植民地支配と侵略に「心からのおわび」をのべた村山富市首相談話(1995年)を「未来志向の声明」に置き換えたいとしていることや、日本軍「慰安婦」問題で旧日本軍の関与と強制を認めた河野洋平官房長官談話(1993年)を見直すとしていることを紹介し、「自民党のリーダーである安倍氏がどのようにこれらの謝罪を修正するのかは明らかになっていないが、彼はこれまで、日本の戦時史を書き換えることを切望していることを全然秘密にはしてこなかった。こういった犯罪を否定し、謝罪を薄めるようなどのような試みも、日本の戦時中の残忍な支配に被害を受けた韓国、そして、中国やフィリピンをも激怒させることであろう。」「安倍氏の恥ずべき衝動的行為は、北朝鮮の核兵器プログラム等の諸問題において、地域における大切な協力関係を脅かすものになりかねない。このような修正主義は、歴史を歪曲することよりも、長い経済不況からの回復に集中しなければいけないこの国にとって、恥ずかしいことである。」と厳しく断罪している。
社説で指摘しているように安倍首相は、第一次安倍内閣当時、従軍慰安婦問題について「強制性はなかった」とする国会答弁を繰り返し、訪米中の安倍首相に対するアメリカ議会の強硬な反発に直面して、ブッシュ大統領との共同記者会見で「人間として、首相として、心から同情し、申し訳ない思いだ」との謝罪に追い込まれた前歴を持っている。それにもかかわらず、安倍氏は、自民党総裁に返り咲いた直後の昨年11/4付米ニュージャージー州地元紙「スターレッジャー」への意見広告で名を連ね、「女性がその意思に反して日本軍に売春を強要されていたとする歴史的文書は…発見されていない」「(「慰安婦」は)『性的奴隷』ではない。彼女らは当時世界中のどこにでもある公娼制度の下で働いていた」などと性懲りもなく恥知らずな主張を展開しているのである。この意見広告は、桜井よしこ氏らでつくる「歴史事実委員会」名で出され、その後、首相に就任した安倍晋三自民党総裁や閣僚になった古屋圭司、稲田朋美、下村博文、新藤義孝氏らが署名、内閣官房副長官になった世耕弘成氏、首相補佐官になった衛藤晟一氏や自民党政調会長の高市早苗、山谷えり子、義家弘介氏らも賛同している。つまりは安倍個人ばかりか、安倍政権の主要閣僚、執行部そのものがこのような恥ずべき歴史修正に乗り出しているのである。
こうした事態の進行にオバマ政権は1/7、米国務相のヌランド報道官が記者会見で、「米国は歴史認識の問題について友好的な方法で、対話を通じて解決するよう望んでいる」とし、安倍政権が旧日本軍の従軍慰安婦の強制連行を事実上認めた「河野談話」など過去の歴史認識の見直しを検討していることに懸念を示し、「東アジアすべての国が歴史認識や領土の問題を対話を通じて解決するよう注視したい」と明らかに安倍政権に釘を刺している。安倍首相の訪米が2月に延期されたのは、まさに「頭を冷やしてこい」とのメッセージでもあろう。
さらに重要な動きとして、ニューヨーク州上下両院の議員が、旧日本軍の従軍慰安婦問題は「20世紀に起きた最大規模の人身売買」だとして、被害女性らへ謝罪するよう日本政府に求める決議案を両院それぞれに提出している。この問題について米国では、1999年にカリフォルニア州議会上院が決議、2007年に連邦議会下院で決議が採択されており、今回の決議案も、2007年に連邦下院で可決された日本政府に公式謝罪を求める決議を支持して、「歴史的責任を認め、未来の世代にこれらの犯罪について教育する」ことを日本政府に求めている。現在の安倍政権では、この決議通過を阻止できないであろう。2月訪米前に手を打てるのかどうか、米政権と米社会の注視の前に、安倍首相は薄氷を踏む思いであろう。
<<「バック・トゥ・ザ・フューチャー」>>
同じような指摘は全世界から出されており、オーストラリアのカー外相は、岸田外相との会談後の記者会見で、従軍慰安婦問題に関する河野談話の見直しについて否定的な考えを示し「93年の河野談話は近現代史のなかでも最も暗い出来事の一つと認識している。豪州としては、見直しが行われることは望ましくないと考えている」と明確に指摘している。また、1/5付英誌『エコノミスト』は「日本の新内閣 バック・トゥ・ザ・フューチャー」と題して「安倍晋三が組閣した ぞっとするほど右寄り内閣が、この地域に悪い兆し」、「新政権の真の性質は“保守”ではなく、過激な国粋主義者たちによる内閣だ」と指摘する事態である。
明らかに安倍政権は、国際的には、第二次世界大戦の教訓を踏みにじらんとする異質な政権として孤立しつつあり、世界の孤児になりかねない、その船出は危なっかしい限りの事態を迎えている。
この危なっかしい政権は、そもそも確固とした安定性が欠落しているのである。
まず第一に、先の総選挙で自民党が大勝したというが、自民党の長期低落傾向が阻止されたわけではなく、その得票率は27.7%で過去最低を更新したのである。59.32%という過去最低の投票率の中で、自民党は09年に民主党に惨敗した総選挙よりも、今回は獲得票数を小選挙区でさらに165万票も減らし、比例区では219万票も減らし、この比例代表では1996年の導入以来、最低の得票率16%にすぎないのである。「圧勝」どころか有権者全体の多数の支持を得たとはとても言えない結果なのである。それにもかかわらず、議席では小選挙区で79%、比例区で32%の議席を獲得できたのは、小選挙区制度の歪みのおかげと、民主党が自爆・自滅し、野党がバラバラで、棚からぼた餅式に転がり込んできたきわどい一時的勝利にしか過ぎない、不安的極まりない実態がその本質なのである。
そして第二に、こうした不安定性を打開する決め手として、領土ナショナリズムを煽りそれに便乗した、集団的自衛権の合法化・9条改憲・国防軍創設・軍事力強化・歴史修正主義の路線を前面に登場させて世論形成をなさんとしているが、この路線はアジアはもちろん、世界からの孤立化路線であり、継続すら不可能な、政治的・経済的に破綻が明確な路線にしか過ぎない。
第三に、これを補うものとして、デフレ脱却・インフレ目標設定路線を打ち出したが、これは明らかにこれまでの小泉政権時代、第一次安倍政権、そして民主党の菅政権から野田政権に引き継がれた財務省主導の縮小均衡・財政緊縮路線からの転換であったが、いざ出発という段になると、小泉構造改革のリーダーだった、地方切り捨て・新自由主義・規制緩和・競争原理至上主義者の竹中平蔵氏を登用したことによって、その先行きは途端に怪しくなってきた。主導権は竹中ら弱肉強食・市場万能主義路線に奪われ、早速、最低賃金を抑制し、年金、社会保障給付の水準を引き下げる生活保護費の削減を強行せんとしている。公共事業バラマキに群がる大手独占企業を潤せども、デフレ脱却に欠かせない、非正規雇用を減らし、賃金・所得を引き上げ、「ワーキングプア」を減少させる政策は検討対象外で、社会保障制度を解体する路線が前面に出ようとしている。貧困拡大に拍車をかける庶民の窮乏化政策はデフレ脱却政策とは全く相反するものである。ここでもアベノミクスはおぼつかない不安定そのものの姿を現している。
第四に、真のデフレ脱却のためには、財政緊縮路線の呪縛を断ち切って、新自由主義路線と決別して、東日本大震災からの復旧・復興、原発事故を封じ込める脱原発路線、新たなエネルギー戦略への転換、社会資本インフラの再生、医療・介護・教育や社会的セーフティネットの再生と投資、雇用の拡大、といった、これまでの自公路線とは本質的に異なった新たなニュー・ディール政策をこそ大胆に提起し、財政をそれらに総動員するデフレ脱却路線をこそ打ち出すべきであった。しかし第二次安倍政権はこの点においても、あいも変わらぬ原発再稼働、原発維持・拡大路線を改めて表明することによって、原発震災の教訓を何ら汲み取ることができず、圧倒的多数の脱原発の世論を無視し、拒否することによって、安倍政権は有権者といつ襲い掛かるとも知れない自然からの巨大なしっぺ返しに怯え続けなければならない不安定さの渦中にあるといえよう。
安倍政権は、野党勢力の不甲斐なさによって助けられているが、その実態は、まさに薄氷の上で不安定極まりない踊りを演じているのだといえよう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.422 2013年1月26日