【投稿】「ぶれない」生き方 —「平和ツアー」で出会った人たちに学んだこと—
8月8~10日、大阪府下4単組の教職員組合女性部合同「平和ツアー」に参加し、多くのことを学ぶことができた。
1日目、岡山駅で降り、後楽園散策→荒手茶寮で昼食後、再び岡山駅から乗車、瀬戸内市邑久町へ向かった。国立療養所邑久光明園のAさんにお会いし、直にお話を聞くためである。16歳で発症し、「治療が終わったらすぐにでも帰れると思っていた。」と語るAさん。現在の年齢からすると、療養所で過ごして来られた年数は半世紀を超える。「辛かったことは…?」というわたしの愚問に、「辛かったのはあたりまえ。」「辛いことをいちいち気にしてたら、生きていかれへん。」と笑いながら答えてくださった。
2日目の午前中、長島愛生園で歴史館と園内を、学芸員の方の案内で見学した。
午後、岡山→徳山→柳井港→祝島と電車・船を乗り継いで、第2の目的地に到着。
船を降りるとすぐ、「はまや旅館」が見えた。今年3月下旬に祝島へ来た他県の友人が、「昭和の香り」がする旅館と表現していたが、正にその通りであった。予約したときに「食事なし」ということだったので、仕出し屋に夕食用の弁当を運んでもらった。交代で入浴を済ませ、聞きとりをさせていただく予定の清水さん(上関原発を建てさせない祝島島民の会、上関町町会議員)の到着を待った。
清水さんは、本業の多忙に加え、四年に一度行われる神恩感謝の合同祭事「神舞(かんまい)」に備えての練習指導で忙しくされているにも関わらず、祝島における反原発の闘いについて話をしてくださった。「建設予定地から4㎞と近く、『原発を見ながらの生活や離島で逃げ場がない』などを訴え、上関町・祝島の9割を超える住民で、1982年10月、反原発組織「愛郷一心会を結成(のち「上関原発を建てさせない祝島島民の会」に再編)。同年11月から現在まで毎週月曜日に島内デモを実施し、2008年6月に1000回を超えて現在も続いている。」島内デモについては、ギネスの記録を超えたということで、近いうちに登録申請を行うそうだ。
「なぜ、一つの地域がほぼまとまって反対するようになったのか。」について、いくつかの理由を挙げて説明をされた。「祝島からは、早朝昇ってくる朝日がとてもきれいに見える。そのちょうど真下が原発予定地。東の空が一変する可能性が大きい。それに対する憤りや反発が強かった。」というくだりに、わたしは一番共感し心に響くものを感じた。翌朝、平さんの棚田に行くために早めに起きたわたしたちは、祝島の人たちが誇る「朝日」を見ることができた!
今夏の平和ツアーで、「苦難」を強いられながらもたくましく生きてこられたAさんや反原発の闘いを貫いておられる祝島の皆さんに出会い、「ぶれない生き方」を学ぶことができた。政治家をはじめ「ぶれまくる」人々が多い昨今、この意味は大きい。「ぶれない」=「教条的」ということではない。人として一筋の生き方を持ち、それぞれの生き方を尊重し合い、高め合いたいと思う。
(大阪 田中雅恵)
【出典】 アサート No.417 2012年8月25日