【投稿】北朝鮮情勢と日本の閉塞
「血の粛清」
7月18日、北朝鮮の朝鮮中央通信などは「重大報道」として、金正恩第1書記が「共和国元帥」の称号を与えられたと報じた。さらに、これに先立つ15日には、朝鮮人民軍のトップである李英鎬総参謀長が、軍および朝鮮労働党のすべての役職を解任され、新たに総参謀長には16日付で「次帥」に昇格した玄永哲人民軍大将が着任したことが明らかにされた。
この一連の動きに関し、韓国の朝鮮日報紙は20日、同国政府関係筋の情報として、李前総参謀長解任に際し、身柄拘束に向かった崔竜海人民軍総政治局長指揮下の部隊と、李前総長の警護隊との間で銃撃戦が発生、これにより約20人が死亡し、李前総長自身も死亡、あるいは負傷したのではないか、と報じた。
この情報の真偽については、いまだに詳細は不明であるが、事実とすれば北朝鮮指導部内におけるバランスが大きく変化したことを物語るものといえる。
昨年末以降の権力移行過程において、「金正日総書記の遺訓」「先軍政治」の継承は不可逆のものとされた。それを具現化する指導部内での金正日側近、人民軍幹部の地位、勢力は増大したものと考えられ、故に、労働党が主導した核問題に関する今年2月の米朝合意にもかかわらず、それらを反故にする4月13日の「弾道ミサイル」発射が強行されたと見られてきた。
打ち上げ失敗が転機
しかし、打ち上げの失敗は北朝鮮自身が早々に認めざるを得ないほどの惨憺たるものであった。中国をはじめとする関係国の懸念を無視して、強硬路線を突き進んだあげく打ち上げに失敗した、李前総長ら人民軍指導部に対する憤りは充満していったものと思われる。
打ち上げ失敗以降も、再度の発射情報、さらには3回目の核実験強行情報などが盛んに流れさた。これは、対外緊張関係を意図的に作り出し、人民軍の地位を保持せんとするための見せかけの動き=李前総長派の延命工作であった可能性が高い。(実際は弾道ミサイルや核弾頭の製造技術レベルが露見した後ではこけおどしにもならないが)
「ミサイル発射」直前に就任した崔局長は、金正恩第1書記の叔父である張成沢労働党政治局員の最側近の一人である。そしてこの間、張局員の命を受け李前総長の動静を探っていたといわれる。
これは、自儘にふるまう軍指導部に対して労働党が、金第1書記に恥をかかせた打ち上げ失敗を利用し、反撃の機会を狙っての動きであったといえよう。そして、実力行使も辞さない構えで、一気に排除へと動いたのである。
公式には李前総長の解任しか報じられていないが、銃撃戦も含めてかなりの関係者が処分されたと思われ、今後しばらくは「残党狩り」が進められるだろう。金第1書記は権力継承以降、乱暴な方法で意にそぐわない幹部の粛清を進めてきたが、今回の事件はその集大成ともいえる。
路線転換は不可避
李前総長粛清の理由として経済問題もあったと見られている。中国関係筋からは、李前総長が人民軍の利権を守るため経済の「開放・改革」に強硬に反対し、中朝貿易で私腹を肥やしていた、との報道もなされている。
中国にとって、緊張緩和と経済改革の阻害物である李前総長は好ましからざる人物であったのは確実で、その排除には、実力行使までを想定していたかは分からないが、中南海の暗黙の了解があったという見方もある。
21日、香港の市民団体は中国軍が17日以降中朝国境の警戒を強化し、緊急演習を繰り返しているとの情報を明らかにした。この動きは朝鮮労働党を支持するとともに、李前総長派に対する威嚇の意味が込められたものである。中国共産党指導部は1971年の林彪事件を思い起こしたかもしれない。
北朝鮮指導部内の権力構造の変化は、当面経済問題に反映される形となろう。もう一つの重要課題である核開発問題については、膠着状態が続くだろう。
20日、朝鮮外務省は「アメリカ情報機関の指示を受けた脱北者が金日成主席の銅像を爆破しようとした」として「核問題を全面的に再検討」すると明らかにした。「爆破計画」は6月に北朝鮮国内で逮捕された脱北者が「自供」したものである。それは多額の報酬を餌に銅像に仕掛けた爆発物を遠隔操作で起爆させる、とされている。
「計画」の真偽は不明であるが、これを口実に米朝協議や6か国協議を先延ばししようとする意図は伺える。しかしこうした怪しげな話で、北朝鮮指導部が本気で「核問題を全面的に再検討」することはないだろう。
今後は核開発に依拠してきた人民軍を牽制しながら、核カードを利用しアメリカとの取引を進めるというスタンスに落ち着いていくものと考えられる。
放置される北朝鮮
この間の北朝鮮の情勢に対する関係国の動向は、4月の「弾道ミサイル」問題に比べ非常に低調である。中国のコミットはあったとしても限定的であるし、アメリカも特段の反応は示していない。北朝鮮関係の動きには独自の見解を示すロシアも沈黙を続けている。韓国は重大関心事であろうが当面注視を続けるに留まるだろう。
これは今回の騒動が現在のところ北朝鮮の国内問題以上のものではないし、「核弾頭」もまったく差し迫った脅威ではないためだが、それにも増して各国の重要課題が他方面にあるからである。要は北朝鮮は放置状態にある。
アメリカは、イランの核開発問題と大統領選挙がある。とりわけイランに対しては、関係国協議の進展がみられないまま、経済制裁が段階的に強化されてきている。今後イラン産原油の輸出がストップすれば、イランはホルムズ海峡封鎖を示唆している。
周辺海域の緊張は高まってきており、7月16日にはアラブ首長国連邦沖でアメリカの補給艦が漁船を銃撃し、インド人船員一人が射殺された。これは過剰反応による誤射というべき事態であるが、この地域の緊迫感を示すものである。
現在ハワイ沖では日米露など22か国が参加する環太平洋合同軍事演習「RIMPAC2012」が8月初旬までの日程で実施されているが、その終了後の9月には、ペルシャ湾で米軍が主導し、日本なども参加する大規模な多国間掃海演習が実施される。
これは現時点では演習であるが、それまでに核問題協議が最終的に決裂しイランがホルムズ海峡封鎖に踏み切れば、実戦になりかねないものである。アメリカは当面この地域に全神経を集中することになるだろう。
ロシアはシリア情勢に最大の関心を寄せざるを得ない。シリアでは内戦が激化しているが、最大の援助国ロシアはアサド政権に見切りをつけられないでいる。6月には戦闘部隊を乗せたロシアの揚陸艦がシリアに向かったという偽情報も流されたが、7月20日ノーボスチ通信は「ロシア北方、バルト、黒海各艦隊が8月に地中海で演習を行う」と報じた。
その陣容は各艦隊の大型揚陸艦を中心として警備艦が付くものとなっており、約10万人といわれるシリア在住ロシア人の救出に備える態勢とも見られているが、イラン情勢の展開次第ではそれへの対処も必要となろう。
中国は南シナ海、東シナ海への権益確保が第1義となっている。北朝鮮は中国のこの地域での利用価値はないし、むしろ足かせとなる可能性がある。韓国は大統領選挙が終わるまで積極的な対北政策の展開は不可能だろう。
無為無策の日本政府
日本はこれまで北朝鮮の脅威を理由に軍拡を進めてきた。しかしこの間の尖閣列島問題を契機として、中国を「仮想敵」とする国民的合意が図られんとする現在、北朝鮮の利用価値は低下している。
7月19日、内閣府は北朝鮮による拉致問題について「関心が低下している可能性がある」との世論調査結果を公表した。拉致被害者、家族も使い捨てにされそうな雰囲気が漂い始めている。また、北朝鮮が示した日本人遺骨の返還問題は、日朝交渉打開に向けてのサインと考えられるが、日本政府の反応は極めて鈍い。
関係国が北朝鮮への関心、関与を低下させているなか、拉致問題はおろか戦後補償など未解決の具体的課題を抱えている日本は、むしろ積極的に働きかけを強めるべきである。
しかし、内政問題でさえ対処しきれていない満身創痍の民主党・野田内閣では、こうした閉塞状況の突破は不可能だろう。
「国会の政局が第一」ではなく、東アジアの緊張緩和を外国政策の柱とするような「第3極」勢力と、その総選挙後のキャスティングボードの確立が望まれるところである。(大阪O)
【出典】 アサート No.416 2012年7月28日