【投稿】大阪復権とは無縁の「大阪都」構想―虚構を食い物にする「大阪維新の会」 ―
元田隆文
<選挙目当てのみで野合する「大阪維新の会」>
橋下大阪府知事が主導する地域政党、「大阪維新の会」が4月19日に発足した。
この橋下新党は、・府と大阪市などを再編し、ワン(ONE)大阪を目指す、・大阪(伊丹)空港の将来的な廃港、・府庁舎をWTCに移転、・府議会の定数削減、を基本政策として、橋下知事を代表者とし、結成総会には自民党系を中心に府会議員24人、大阪市会議員1名、堺市会議員5名が参加した。そして、いわゆる「大阪都」を実現すること一点を突破口とし、5月の大阪市議補欠選挙を皮切りに、大阪市長、大阪府議と大阪市・堺市議の過半数を制することを目論むというのである。
そもそも大阪に「都制」を導入しようとする案は、前太田知事時代に関西財界の意向を受けて打ち出されたものの全く相手にされずお蔵入りしたという経過がある。「都制」の導入について、橋下知事の政治的野心に一定の距離を置く財界や自民党からも、「大阪府・市の二重行政解消や広域行政投資の迅速・集中化に意義がある」との発言がなされ、マスコミで全面肯定的な報道ばかりが一方的に流されている理由はここにある。
しかし、この「橋下」「大阪都」構想は、前構想と比べても橋下流のバイアスがかかり、大阪復権、地方分権の切り札とはとてもいえず、将来に大きな禍根をもたらす様々な問題を有するばかりでなく、具体的内容や実現の手順などが意図的にぼかされており、決して真面目なものということはできない。
ワイドショー的な話の大きさと面白さで府民を煙に巻き、それへの注目でしか存在しえない政治集団。橋下知事にとっては自分の独裁的府政運営を担保する大政翼賛議会実現を狙い、「誰も本気で府市再編など考えていない(自民府議)」議員にとっては、次の地方選挙を橋下人気にあやかって乗り切りを狙うもので、政治の本質を忘れ、目先の利益を狙う、野合の集団という以外にない。
<府市再編「大阪都」構想の虚構>
「大阪都」構想とは、つまるところ、自治権限の強い政令市を始め市町村自治が存在するから大阪は潜在能力を発揮できないなので、府内経済の大部分を占める地域について、広域行政などの権能と財源を府に移し、地域の行政内容を一手に府がコントロールする制度に変える、というのである。
確かに、これまで大阪には、府と大阪市の対立に根ざす無用な二重行政と地域発展に関する一元的戦略の欠如という大きな問題があり、これが凋落を加速させてきた。
だからといって、2政令都市及び周辺9市を消滅させ、府に権限を集中させれば解決するというのは、論理のすり替えと飛躍でしかない。
そもそも、広域行政の責任主体としての府の責任と能力のなさを棚に上げて、府がやれば何でも旨くいくということ自体がありえない。府がこれまでどれだけ多くの巨大プロジェクトを失敗させ、大阪経済に打撃を与えてきたことかをみれば一目瞭然である。
<地方分権の流れに逆行する「大阪都」>
構想では、大阪市は基礎自治体としては大きすぎるので、基礎自治体機能と広域自治体機能を明確に区分し、基礎自治体はコミュニティ施策に集中することが望ましいとして、大阪市、堺市の分割を主張する。そして、都区は公選の区長と議会を持つから現行政令市の区制より住民のコントロールが効くと、あたかも自治が前進するかのようにいう。
しかし、ここにも嘘がある。大都市内の分権は今後の課題として存するが、都市はそれが全体として持つ権限が大きければ大きいほど市民に還元できる施策の幅も大きくなる。もともとの権限と財源を減らすのでは、公選の区長、議会にするといえども自治の進展とはいえない。まして、周辺9市は、単に市から区に権限を剥奪されるだけであり、何の必然性もない。大阪市は、関西経済活動の中枢機能を担っている。大阪市民は自分たちの身の回りのことだけ関心を持てばよいのであって、大きなことにはよらしむべからず、というのでは、まさに官治の思想であり、大阪の衰退が加速されるだけであろう。
政令指定都市は不十分な制度とはいえ、政治経済が集積する都市の制度として政策的、歴史的、文化的に国民生活の前進に大きな役割を果たしてきたし、今もその役割を担っている。
政令市と周辺市を消滅させて都区にすることは、自治の後退に外ならず、基礎自治体の優先(補完性原理)という世界的自治制度の流れに大きく逆行するものである。地方制度は、第一義的に、自治の制度としていかなる価値のあるものかが問われなければならない。
<「大阪都」では大阪問題は解決しない>
仮に都制が実現したとしても大阪地域の抱える困難な諸課題を解決する保証は全く無い。
大阪・関西の経済的衰退、関空などの困難というのは、本質的には、日本の政治・経済で東京一極集中が進行しその他の地域が衰退している反映であり、大阪の内部事情である府市連携という問題への矮小化で解決できないものである。なるほど、司令塔を一本化し独裁的に運用すれば、戦時経済的に投資効率は向上するかもしれない。しかし、それが大阪全体の嵩上げに繋がるかどうかは別物である。東京都制では、区部と周辺の格差解消問題が旨くいっているわけではないし、区部で独自施策が出来ているように見えるのも、東京一極集中で財政的に余裕があるからなのである。
<橋下構想の不純な意図>
このような問題に加え、構想は、現状の問題点、将来構想の内容などを明確にしていない。橋下知事は、走りながら考えたらよいのであって結論を出してから動くのでは事態を変える力にならないと強弁する。だが、都制しかありえないと決めつけ、それに反対する者を口汚く罵倒して世論誘導するためには、明確にすると支障が出るのである。
さらに、ここでも、橋下知事はデマと論理のすり替えを行っている。
市民の共同体としての自治体としての政令市大阪のあり方という問題であるにもかかわらず、都市制度の点から疑問を呈する平松大阪市長に対し、市長は「大阪市役所」に乗っ取られていると表現し、再編反対者=「大阪市役所」=守旧派というレッテルを貼る。市民の反公務員感情を煽りたて、市民と市役所という架空の対立をでっち上げ、冷静な制度論から市民の目を逸らそうとしているのである。
地方制度というのは、一時的な感情的熱狂で進めるべきものではない。にもかかわらず、何故かくも性急に政治争点として持ち出されているのか。そこには、広域行政の効率化に名を借りて財源を集中し、橋下独裁の下で大型公共投資と都市運営の利権を配分することが目当てという極めて不純な意図が見え隠れする。
なお、橋下構想問題はひとり大阪の問題ではなく、全国に共通する国と自治の問題であり、地域のあり方の問題であることを改めて強調しておこう。
【出典】 アサート No.389 2010年4月24日