【投稿】ダム事業の中止と知事の醜態

【投稿】ダム事業の中止と知事の醜態
                             福井 杉本達也

 総選挙期間中からの国民の政治的覚醒を逸らす「豚インフル騒動」「ノリピー事件」等の大政翼賛報道は連立政権発足後も継続している。10月9日朝8時のNHK「おはようコラム」で島田敏男解説委員は鳩山首相の日中韓首脳会談の課題について、「鳩山総理は国連演説でも表明した東アジア共同体の構築を目指すという持論を展開するでしょうが、これは遠い将来の話」と切り捨て、日本にとっては「当面の焦点は北朝鮮問題です」とコメントしていた。公共放送を“自認する”NHKでさえ歴史的な「東アジア共同体構想」を「北朝鮮拉致・ミサイル問題」に矮小化する情報操作を堂々とやっているのだから、民放の実態はさらにひどい。片山さつきなどの落選議員を並べ、平沢勝栄・山本一太や金美齢らが常時出演する日本テレビの「太田光が総理大臣になったら」やテレビ朝日の「ビートたけしのTVタックル」などは醜悪番組以外の何物でもない。一方の活字媒体である新聞も亀井静香金融相の中小企業の返済猶予案を「鎌倉幕府の徳政令」(福井:2009.10.1)「金融機関は返済が滞るため経営が悪化」「借りたお金は約束通り返すという原則を国の命令で変えることなる」(毎日:10.7)と袋叩きである。では、日本政策投資銀行を通じての、金融危機に対応した危機対応融資26,254億円(620件:9月末現在)及びCP(コマーシャル・ペーパー)購入3,610億円(68件)をマスコミは批判しないのか。これらは全て大企業への政府保証融資である。また、藤井財務相の“円高容認”とも受け取れかねない発言も「鳩山政権は市場の懸念に耳を澄ませ」と攻撃している(日経社説:9.29)。しかし、藤井発言で円が88円台になったのではない。ドル不安から各国通貨に対してドル安が進んでいるからである。金に対しても投機資金が集まっている。ガセネタ臭いが「6日付の英インディペンデント紙は、中東の湾岸諸国が原油取引でドル決済をやめる案を日本や中国、ロシア、フランスと秘密裏に交渉している」(日経:10.7)とまで報じられている。金融資本の“同僚”のはずの英国にこけにされるほどドル=米国は追い詰められているが、こうした事実を覆い隠し、何としても日本における米国の利権をこれまでどおり確保させるために日本のマスコミを総動員している。

 こうしたマスコミの集中砲火を浴びているのが前原国交相の「ダム中止」である。東京新聞は「『利根川の治水対策を』カスリーン台風被災者 八ッ場ダム『中止』に不安」(9.22)と、治水対策への不安を煽り、長野原町ら”地元住民”は国交相の地元説明会をボイコットした。TVではボイコットした”住民”の「ダム中止」を“中止”せよとの意見を繰り返し放映した。しかし、中止反対を訴えていた”住民”は地元の町会議員であり、インタビューを受けていた”住民”が土建屋の社長では何をかいわんやである。しかも、怪しげな場所設定をした公明党の山口那津男新代表は「私は国交大臣の発言後、直ちに、党八ッ場ダム問題対策委員会のメンバーとともに同町を訪問、県知事や町長、地元住民と意見交換しました。多くの皆さんからは、一方的に中止を表明した政府のやり方に激しい怒りが表明されました。」(第33回公明党全国県代表協議会)と自ら手の内を暴露してしまった。
 一方、群馬県の大沢正明知事は「地元の意見を一言も聞かず、生活再建の代替案もなく、ただ『中止』と言う。これは独裁者という以外ないのではないか」と厳しく批判し(時事9/28)、東京都の石原知事も、「政権をとれば、公共事業を中止できると考えることは正に暴論だ」(NHK:9.14)などと述べている。しかし、計画から50年たっても完成しない治水事業とは何ぞやである。八ッ場ダムはまだ本体工事に着手していない。しかも、着工していないにもかかわらず既に事業費4,600億円の7割を使ってしまっているのである。それでも用地補償の3割、付け替え道路の3割が残っている。苦肉の策として取り合えず計画事業費内に全体工事費を抑えるため、本体関係工事費を613億円から429億円へと、事業費全体のわずか9%に落としたのであるが、八ッ場ダム工事事務所のQ&Aでは「ダム本体に係る費用が、建設に要した費用の10%以下であったダムは、現時点で国土交通省において把握している限りでは存在しない」と回答しており、“官僚的迷文”ではあるが、工事費の大幅増額は避けられそうもないことを自ら認めている。ちなみに福井県の桝谷ダム(農水省事業)は当初事業費300億円がその後600億円に変更され、完成時には1,240億円となった(事業評価書)。
 そもそも、なぜ多くの知事はダム中止に反対するのか。八ッ場ダムは、治水のためばかりではなく、群馬、茨城、埼玉県、千葉、東京に水道用水・工業用水を供給することを目的としており(ダム開発予定水量22.123立方メートル/秒)、6都県で1,670億円を負担している。しかし、上水や工水の水需要はあるのか。たとえば、河村たかし名古屋市長は5月15日に国内最大の総貯水量をもつ徳山ダム(岐阜県)の水を木曾川へ流す導水路事業からの撤退を表明している。「水の需要は減っている。」というのがその理由である(福井:5.16)。
 前述の桝谷ダムの場合、当初は農水・工水・上水の取水を目的にダムが計画された。ところが、途中で工水・上水の水需要が大幅に減ることとなったため、ダム高さを当初計画どおり維持するために治水事業を代わりに持ってきている。しかし、桝谷川だけでは流域面積が少なく治水効果が少ない(机上計算でも水がたまらない所にダムを計画するという摩訶不思議な計画)として、隣の日野川からトンネルにより導水している(Wikipedia)。水の工業需要もかつての鉄鋼や染色など重厚長大型産業から水を使わない産業や節水型産業に変わり、また上水も人口減少で需要増は見込めず、農水も減反などで現実には減少する中、一部地域を除いて水需要は確実に減っている。ダム中止反対を唱える知事の多くはこの現実を知っている。中止反対は地方の意見ではない。しかし、公共事業が減ることを、自らの権限が縮小することを恐れているのである。

 10月14日前原国交相と森田千葉県知事の間で1つの茶番劇が行われた。羽田のハブ空港化をめぐってである。前日、森田知事は「頭にきて夜も寝られなかった」と語っていたが、羽田と成田の共同運用ということで笑顔で握手して帰っていった。成田は国際線、羽田は国内線という割り振りは自民党政府が強引に成田空港の建設を目指した時の“屁理屈”である。国家はたとえ誤りがあったとしても一度決めたら変更しないという強硬策のため成田闘争が勃発し、成田も中途半端、羽田も中途半端の状況が30年も続いた。国交相の提案は千葉県知事にとっては渡りに舟だったのであり、歓迎さえすれ反対すべき理由は全くなかった。しかし、成田闘争を含めこれまでの経過・メンツがあり、いきなり賛成と言い出せなかっただけである。同様の事例はダム問題を含め多々ある。八ッ場ダムなどは群馬以外の都県からすれば、負担金だけを自動的に国に取られ、公共事業は群馬県内だけで行われるのであり他の各都県にとっては何のメリットもない。50年かかっても完成しない「治水事業」というのは負担金を取る名目に過ぎない。本当に「治水」上必要な施設なら、6都県が金を出し合って建設すればよい。恐らく言葉とは裏腹に国交相の決定を“歓迎”しているであろう。東海北陸自動車道・阪和自動車道御坊-南紀田辺間などの4車線化も見直しとなった。既に道路はあるのだから、後は予算との兼ね合いでの優先順位だけである。国道157号といった百番台の山間部の国道整備など「熊しか通らない道路」に予算を付けることは辞めなければならない。ムダな公共事業に予算付けを要望することが知事の仕事であるまい。前鳥取県知事の片山善博氏は「知事たちの、知事たちによる、知事たちのための地方分権」(『世界』:2009.9)と皮肉っている。都道府県事業の8割はかつて「機関委任事務」と呼ばれ、現在は「法定受託事務」などとして都道府県事業とした事務である。特に公共事業の多くがそうである。公共事業がなくなることは知事の権限の大幅縮小をもたらす。河川事業や国道事業を国から県に移せば、負担金の問題もなくなり、県もムダな事業の要望をする必要もなくなり、真剣に財源をどの事業に振り向けるかを考えるようになるであろう。県をまたぐ事業ならば淀川水系流域委員会のような調整機関を作り県間で話し合えばよい。県の現状はまだ国の指示に従う下級機関として「機関委任事務」の思考回路にどっぷり浸かったままである。

 今回、整備新幹線の新規着工区間は白紙とされた。一方、着工済みの区間は継続されることとなった。北陸新幹線では長野から金沢までの区間が認可された。新潟、富山県内でも順調に工事が進み、金沢―富山県境間は100%完成するなど、いまさら事業中止と言えないからであろう。しかし、問題は並行在来線のローカル線化をどうするかである。その多くは県と市町村・民間で構成する第三セクターで運営することとなっているが、膨大な経費がかかり安全管理も大変で大幅な赤字が予想される。地域住民の足をどう守るかは大問題である。ところが、並行在来線をどうするかは先延ばしの状態が続いている(日経:8.5)。100キロも200キロもの在来線を統一的に安全に運営しようと考えることさえ恐ろしいのである。特に、新潟県は第三セクターの北越北線を抱えている。現在は金沢・富山方面から上越新幹線を経由して東京行きの最短ルートとなっているが、長野から金沢間が開通すれば、単なるローカル線となってしまう。また、長岡-直江津間もローカル線化は避けられず、新潟県は膨大な負の遺産を抱え込むこととなるので、国との“条件闘争”に必死である(福井:10.14「新潟知事『認可は無効』国交相に申し入れ」)。新潟県知事の狙いは地方負担の軽減にあると思われるが、政権交代によって目算が狂ってしまった。「住民自治を置き去りにしたままで知事たちの自由度や権限や財源を増やしたのでは、住民にとっては却って窮屈で鬱陶しい地域社が現出しかねない…どうやら、自分たちがやりたいことをスムースにやれる環境を整えることが地方分権改革だと、勝手に思い込んでいる」(前述:片山氏)のではないだろうか。 

 【出典】 アサート No.383 2009年10月24日

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