【本の紹介】『スラム化する日本経済 4分極化する労働者たち』

【本の紹介】『スラム化する日本経済 4分極化する労働者たち』
               著者 浜 矩子(同志社大学大学院教授)
             講談社+α新書 2009年3月20日発行 838円+税

<<「年末底入れ・来年回復」説>>
 このところ、今回のグローバルな世界経済恐慌はそれほどたいしたものではなく、これ以上深刻化することはない、「年末底入れ・来年回復」するという楽観的なシナリオが盛んに喧伝されている。6/9に開かれた日米欧の経済協力開発機構(OECD)経済政策委員会は、今月末に発表する世界経済アウトルック(見通し)で各国の成長予測を前回予測から引き上げることを決め、各国とも生産や貿易が底を打ち、企業心理が改善、世界景気は年末に底入れし、来年には回復に向けた動きが出てくるとの見方を示すという。
 日本でも6/12には、東京株式市場で日経平均株価が、昨年10/8以来約8カ月ぶりに1万円台の大台を回復し、6/12、イタリア南部レッチェで開かれた主要8カ国(G8)財務相会合でガイトナー米財務長官と与謝野馨財務・金融・経済財政相が会談し、日米両国の経済動向について、景気後退が緩やかになり、最悪期を脱しつつあるとの見方を確認したという。
 景気動向はジグザグな過程をたどるものであり、山あり谷ありで予測しがたいものであるが、問題は経済恐慌を引き起こした本質的基本的原因がどのような状況にあるかを掘り下げることなく、主観的願望で判断しては裏切られるばかりであろう。1929年大恐慌時にも、翌年初め株式市場が一時持ち直し、当時のフーヴァー大統領は「好景気はもうそこまできている」と盛んに繰り返し、景気対策や市場への干渉を拒否し、「愚か者による株価の持ち直し」と揶揄される結末となった。
 今次恐慌においても、29年大恐慌以来最悪の金融危機・信用崩壊の最大の原因の一つとなった野放し・不透明・複雑怪奇なデリバティブ(金融派生商品)取引・マネーゲームにかかわった大手金融資本、「大き過ぎてつぶせない」金融機関が、ガイトナーらオバマ政権内の支援者のバックアップの下に公的資金の注入を徹底的に利用して息を吹き返し、いずれも政府に救済されたはずのシティグループやJPモルガン・チエース、ゴールドマン・サックスなどが集まって、ロビー団体「企業金融改革連合」を設立し、問題のデリバティブ取引に対する規制にあくまでも反対する傲慢・強欲な行動に乗り出している。こうした動きに力を得て、また各国の空前の規模の国債増発、市場への緊急資金供給を利用し、これまで現金や国債など安全資産に逃げ込んでいた投資資金、投機資本の一部が、株式や石油等原燃料・国際商品相場、通貨取引市場などに戻り始めているのである。こうして再び膨れ上がった投機資本が、悪化の様相を一段と強めつつある実体経済の動向とは無関係に市場を支配しようとしているのである。

<<日本が真の震源地である理由>>
 さてここで紹介する「本書のタイトルは『スラム化する日本経済』である。いかにもセンセーショナルなタイトルではある。だが、グローバル・ジャングルが砂漠化するとなれば、何が起こっても不思議ではない。本文のなかで見ていく通り、目下、日本では「豊かさのなかの貧困」が深まりつつある。このフレーズから「豊かさ」の部分が消えれば、残るは「貧困」のみである。」と著者自身が「はじめに」の中で述べている。
 本書の構成は、以下のとおりである。

はじめに-グローバル・ジャングルに広がる荒涼なる光景
序 章 グローバル恐慌は第三幕へ
第一章 インフレとデフレの狭間で
第二章 豊かさのなかの貧困
第三章 新・資本主義の構図
第四章 国家がハゲタカになるとき
終 章 砂漠化する地球経済

 序章において著者は、現在のグローバル恐慌について、
 「『影響は軽微』説こそ総じて影を潜めたが、『影響は短期』説は必ずしも後退していない。今なお、全治二年説や全治三年説が少なくない。むろん、その程度の調整ですむに越したことはない。
 だがなぜ、その程度ですむと考えられるのか? そこには大きな疑問を感じざるを得ない。日本のバブル崩壊は『失われた一〇年』をもたらした。一九二九年の世界恐慌は一九三〇年代の不況につながった。全治三年どころではない。歴史的経験則としては、むしろ全治一〇年という数字がおのずと浮かび上がってくる。」と述べる。
 そして今次恐慌の震源地について、以下のように指摘する。
 「ちなみに、どこが震源地であるかにこだわるのだとすれば、むしろ、震源地は日本だという言い方さえできる。
 なぜなら、金融大膨張から金融大破綻につながる今回の展開は、元をたどれば日本の長引く超低金利がもたらしたものだと考えるべき面があるからだ。ゼロ金利政策が続き、政策としてはゼロ金利解除となったあとも、なお、金利水準は限りなくゼロに近い状態に張り付いたままだった。正常化が一向に進まない。
 そのなかで、日本の国内で金利を稼げないジャパンマネーが世界に溢れだし、世界的にもカネ余りと低金利を醸成する展開になった。そのような環境のなかでハイリターンを求める行動が、ハイリスクを内包する危うい金融商品の数々を生み出し、世界にグローバル恐慌の種をばらまいた。それがことの真相ではないかと思う。
 そうであるとすれば、日本は誰かが起こした危機のとばっちりを受けた被害者どころではない。むしろ震源地そのものだ。日本で形成された恐慌につながる力学が、地球経済を巡り巡って、結局は日本に里帰りしてきた。そう考えるべきところだ。
 いずれにせよ、現状において、もっとも危険なことは、問題の根の深さと広がりの度合いを直視しないことである。」
 鋭い指摘だといえよう。

<<下方柔軟化する賃金>>
 さらに重要な指摘は、グローバル時代とは、徹底した賃金最下位争いの時代だということである。著者は、以下のように述べる。

 「一九七〇年代においては、まだまだ、国という囲いがヒト・モノ・カネの動きを制約していた。だからこそ、その囲いのなかで物価と賃金の下方硬直的なスパイラル上昇が起こった。だが、国境を越えた賃金競争が、今やそれを許さない。競争の土俵が一つになってしまったことで、賃金は、むしろいくらでも下がるようになってしまった。下方硬直性ならぬ下方柔軟性の時代である。
 下方柔軟性の時代は最下位争いの時代だ。もっとも早く、もっとも低い賃金レベルに到達できる者が勝利する。そこはまことに熾烈な競争のアリーナだ。最下位記録はどんどん塗り替えられていく。
 かつては中国がこの分野の金メダリストだった。だが、その地位はたちまち後発諸国によって脅かされ、奪われていくことになる。
 次のチャンピオンに輝いたのがベトナムだった。ベトナムの次を狙うのがラオスであり、カンボジアだ。欧州に目を転じても、東欧諸国のなかには、まだまだ賃金の最下位争いに参加する資格が充分にある。
 この最下位争いが続く限りにおいて、賃金はいくらでも下方柔軟化する。そして、そうなればなるほど、インフレはデフレを深化させることになる。下方柔軟な賃金に甘んじざるを得ない人々にとって、インフレになるということは、生存権を奪われることに等しい。そのような立場に追い込まれる人々が増えれば増えるほど、経済活動は全体として活力を失い、委縮していく。インフレが生むデフレの構図だ。」

 ここに「なぜワーキングプアが必要なのか」という論拠がある。
 それは、「金融がグローバル化し、投資機会を求めるカネが世界を股にかけて飛び交うなかでは、企業は常に買収対象となる可能性を意識していなければならない。収益力が落ちれば、株価が下がる。株価が下がれば誰かに買収されてしまうかもしれない。
 このような状況下に追い込まれれば追い込まれるほど、企業はコスト削減と生産性向上の手を緩めるわけにはいかない。そんな彼らにとっては、低賃金労働は不可欠の寄る辺だ。賃金に下方柔軟性がなければ困る。ワーキングプア状態に甘んじる人々がいてもらわなくては、経営が成り立たない。」からである。

<<民間委託が貧困者を増やす>>
 さらにそれに拍車をかけるのが自由競争原理主義に基づく規制緩和、公共サービスの民間委託である。「政府が自ら貧困の種をまき、しかも財政難で充分な救済資金を用意できない」事態を現出している。
 「建設労働者、病院の雑用係り、保育施設の補助的スタッフ、学校の給食係り。民間委託された公共事業のありとあらゆる場面で、派遣労働者たちがこき使われる。
 委託元である政府省庁や自治体は、彼らに関する労務管理について、いっさい、責任を持たない。すべては委託先に丸投げされる。委託元のお役所たちが求めるのは効率性と低コストだけである。経費節減が実現されさえすれば、そのための手段は問わない。
 一方で公共サービスの質的向上を口にしながら、一方では、派遣労働者たちを最悪の雇用環境のなかに封じ込めていく。ここに大いなる矛盾と欺瞞があることは明らかだ。.労働福祉という社会政策の要の部分を踏みにじりながら、公共サービスの向上をいうのは、いかにもご都合主義だ。
 そもそも、公共サービスが「豊かさのなかの貧困」を拡大再生産すればするほど、結局は弱者救済のための財政負担も大きくなっていくわけである。公共事業の経費節減を目指した官業の民間委託が、貧困対策のための財政負担の増大をもたらす。赤字が増えた政府はますます経費節減をせざるを得ず、一段と安上がりな民間委託を進めようとする。
 すると、そのことがワーキングプア化する人々をますます増やしていく。このような悪循環に陥ったのでは、一体、何のために何をしているのか、さっぱり分からなくなってくる。
 政府が自ら貧困の種をまき、しかも財政難で充分な救済資金を用意できないというようなことになれば、格差と貧困は広がっていく一方だ。そのような状態に陥れば、経済活力は確実に弱まっていく。」
 著者は、「本来は格差と貧困から人々を救うはずの政策や行政が、格差と貧困を作り出す。グローバル・ジャングルのこの奇妙な力学をどう矯正するか。ここでもまた、我々の叡智が問われるところだ。」と問題を提起する。

<<四分極化する労働者たち>>
 このような事態の結果として、本書のサブタイトルとなっている「四分極化する労働者たち」の問題が提起される。それは、正規労働者、非正規労働者、外国人労働者、そして雇用機会を得られない「労働難民」への四分極化である。著者は次のように述べる。

 「かつて、資本主義の構図は、「資本」と「労働」を基本骨格としていた。ところが今や、我々は「労働」と「労働」が対立する、新しい二元構図の世界へと向かいつつある。そのように見える。なぜならば、今の時代を生きる労働者たちに団結の力はない。
 正規労働者が非正規労働者と対峙している。非正規労働者が登場したことで、正規労働者たちは既得権益の損失に怯えることになった。一方、非正規労働者たちは、労働の世界において二流市民の扱いを受けていると感じて、憤懣を募らせている。
 かくして、「労働」対「労働」の新たな対時の構図が出現している。それは、世界中の企業がグローバル・ジャングルのなかで、苛烈ともいえる生き残り競争を強いられているからだ。生き残るために、何よりも必要なのが徹底したコスト削減だ。グローバル・ジャングルは最下位争いの世界だ。コストについても価格についても、もっとも低水準を制した者が、勝利を博する。
 最下位争いを勝ち抜くために、お雇い経営者も擬似資本家も、徹底的といえるほどに労働を選別する。かくして世は格差社会の時代を迎え、情け容赦ないほどの労働者の格付けが進んでいく。
 しかもこの「労働」対「労働」の新二元論は、次第に三元論的な様相を呈しつつあるのが現状だ。すなわち、「正規労働者」対「非正規労働者」対「外国人労働者」という関係である。この三者が三つどもえで対峙する構図がすでに見え始めている。
 さらにいえば、労働の世界は今や四元対立の世界になりつつある。第四の存在として、そもそも労働者になりたくてもなれない人々が増えているからである。彼らがすなわち、ネットカフェ難民に代表される人々だ。住所不定であるゆえに、雇用機会を得られない。このように「労働難民」化する人々の存在を、見落とすわけにはいかない。」

 以上の論点は、掘り下げが足らないと感じられるが、あくまでも本書の一部分である。著者は「富める者がより豊かになり、貧する者がより貧乏になるような構図を放置していれば、経済活動全体が豊かさを失う。一人勝ちの論理から共存の論理へと、人々の行動原理を軌道修正しなければならない。」と主張する。共感できるところである。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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