【投稿】北朝鮮の2度目の核実験と日本の立ち位置
-豊下楢彦・「昭和天皇・マッカーサー会見」から読み解く-
福井 杉本達也
1 米中との“距離”のとりかた
北朝鮮が5月26日に2度目の核実験をして以来協議を重ねていた国連安保理の追加制裁決議が6月13日にようやく出された。緊張状態を極度に高め、偶発的戦闘が起こることが予期される船舶の「臨検」については、船籍国の同意を求める内容であり、非軍事的分野に限定されることとなった。核実験から安保理決議までの間に、韓国国家情報院から金正日総書記から三男・正雲?(ジョンナム)氏への権力継承の情報が流された(日経:2009.6.3)。スタインバーグ米国務副長官も「核実験強行やミサイル発射準備など相次ぐ強硬姿勢の狙いが内部の体制固めにあるとの見方を強め」(日経:6.4)、決議直前には北朝鮮問題担当のボズワース特別代表は9日「北朝鮮が一連の行動は米国の敵対的な態度に対応するものとしていることについては、米国には敵対心はないと否定。『米国には北朝鮮を侵攻したり、武力をもって北朝鮮体制を変革させようとする意向はない』とし、北朝鮮に対して6カ国協議の場に戻るよう呼びかけ」(ロイター:2009.6.10)北朝鮮の安全保障を確約した。北朝鮮の意図は「体制の生き残り」であるが、国内的には「体制の引き締め」、対外的には中露・特に中国の影響力をいかに少なくして「独自路線」をとるかである。「権力継承」情報が事実かどうかは確認できていないが、米韓から「体制固め」のみと見られたとすれば、核実験の政治目的は失敗である。
2 北朝鮮の位置とチェコの位置
麻生首相は5月にチェコを訪問した際、チェコを「チェコスロバキア」と言い間違えたが、北朝鮮もチェコも米が提唱した「不安定の弧」(arc of instability)(それを猿真似し2005年の安倍内閣発足時に麻生外相(当時)が提唱した「自由と繁栄の弧」)の最外周部に属する。チェコ・ポーランドにMD網を設置することと、北朝鮮に核実験・ミサイル発射騒動で日本にMD網を整備したこととは、どちらもロシアの核戦略包囲網の一環であり、上海協力機構の包囲網として連動している。オバマ大統領が4月5日にわざわざ、チェコの地において「核軍縮の包括構想」を打ち上げたが(日経:2009.4,6)、「不安定の弧」を不安定化させておくことこそ米英金融資本・軍産複合体の主要目的である。その意味で米英金融資本の北朝鮮の利用価値ははっきりしていた。ところが、イラクで足をとられ、アフガンでも泥沼につかり、NATO軍はパキスタンルートからの補給が困難となり、ロシアルートやイランルートからの補給を考えざるを得なくなっている(日経:2009.3.25・毎日:3.28)。また、ラトビア・ポーランドをはじめとする東欧は金融危機でMDの火遊びどころではなくなってきている。上海協力機構包囲網は今まさに崩壊寸前という状況にあり、北朝鮮の“価値”も米ドルの信認のように低下しつつあるのではないかと金正日“王朝”が考えたとしても不思議ではない。
3 ガイトナーの土下座外交
6月3日の日経は「財政赤字半減中国に公約」という見出しを掲げ、ガイトナー財務長官は「米議会に提示した財政赤字の半減構想を胡主席にも伝えたもようで、事事実上の対中公約とする考えを示した形だ」との記事を掲載した。まさに米国債を中国に買ってもらうための歴史的土下座外交である。覇権が米国から中国に徐々にではあるが移行しつつあることを如実に示すこととなった。そのガイトナーの片思いを逆なでするかのように、5日には500億ドルのIMF債(ドル、ユーロ、円、英ポンドで構成する合成通貨SDR(特別引き出し権)建て)を購入すると発表した。すかさず、ロシアも10日、米国債を売却しIMF債を100億ドル購入するとし、ブラジルも100億ドルのIMF債の購入を発表した(日経:6.3・6.11・6.12)。
4 危うい軍拡カード
4月の北朝鮮の「人工衛星」では日本に落下してきたら「迎撃」するとして、イージス艦やPAC3部隊を東北地方や周辺海域に移動させるなどの一連の「戦争騒ぎ」をやったが、今回も麻生首相は6月7日、都議選応援演説の中で、北朝鮮問題に触れ「我々は戦うべき時は戦わねばならない。その覚悟を持たなければ国の安全なんて守れるはずがない」と語気を荒げて戦争の必要性や軍備増強の必要性を力説した(きっこのブログ:6.7)。中谷元自民党安全保障調査会長は「『座して自滅を待つべしが憲法の趣旨とは考えられない』との鳩山一郎首相の答弁がある。」とし、民主党の前原誠司副代表は「まず遅きに失している感じがする。」とこれに応えた(県民福井=中日:6.6)。自民党国防部会・安全保障調査会の合同部会は6月9日、敵基地攻撃のために巡航ミサイルなども持つべきだとの提言をまとめた。これらとは別に、昨年10月に航空幕僚長を更迭された田母神俊雄氏は、毎月20~30回の講演をこなし、「核を持っている方が日本は安全。日本の政治家だけ持たない方が安全だと寝言を言う」と独自核武装の必要性を煽り続けている(福井:6.5)。
こうした一連の動きは、米国の覇権が弱まってきていることへの日本側の焦りである。日本はアングロサクソン金融資本の「属国」のまま一緒に沈没するのか、中国の「冊封体制」に入るのか厳しい選択をせまられつつある。北朝鮮と日本とは向かい合わせの鏡で踊っている。違いは、日本には何の戦略もないが、北朝鮮には「体制の生き残り」というはっきりした戦略があることである。
5 昭和天皇の「国体護持」が安保体制の出発点
なぜ、日本には何の戦略もないのであろうか。解くカギは日米安保体制の発足時にある。豊下楢彦関西学院大教授は『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫:2008.7.16)の中で、日本が米軍の占領期から独立するにあたって、米国の最大の関心事は「占領期と同じように、米軍が日本に駐留し基地や国土を自由に使用する権利を確保することにあった」とし、当時、交渉に当たっていたダレスは“無条件に”米軍が日本国土を使用するという「『このような特権』を米国に与える『いかなる政府』も『日本の主権侵害を許したという攻撃』にさらされるであろう」と非常に困難な課題として認識していたのであるが、昭和天皇は講話交渉を担っていた吉田首相をバイパスする形で、『二重外交』を繰り広げたと分析している。昭和天皇は1949年9月のソ連の原爆実験成功、10月の中国革命、50年6月の朝鮮戦争の勃発を「日本有事」「天皇制の有事」ととらえ、「革命」と「戦争裁判」と天皇制の打倒に繋がるものと看ていた。この未曽有の危機を救えるのは米軍以外にはないとし、吉田首相が米軍への基地提供で動揺することは許しがたいことであり、まして、基地提供を交渉カードに使おうとする白州次郎らなどの発想それ自体が認められないと考えていたのである。日本の基地提供と米軍駐留は、天皇制の死守をはかる昭和天皇にとって絶対条件だったのである。結果、日本は無条件的に米軍駐留を「希望」「要請」し、基地の「自発的オファ」に徹するものとし、1960年に改正する旧安保条約には「内乱条項」が盛り込まれ、革命から天皇制を守るきわめて重要な位置を占めていたのである。こうして「国体護持」を保障する安保体制こそ「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったと指摘している。
6 富田メモの解釈
こうした文脈で2006年7月20日に日経紙上で公表された富田朝彦元宮内庁長官が残した日記・手帳(「富田メモ」)を豊下氏は読み解く。公表当時、小泉首相の靖国神社参拝問題が日中間の外交の障害となってこともあり非常に注目されたが、櫻井よしこ氏ら保守派の論客からは“捏造”説まで出された。富田メモの靖国神社参拝にかかわる部分である1988年4月.28日の記述で、昭和天皇は「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文のまま)までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べていた。そもそも靖国神社は天皇のための戦争によって死んだ兵士らを祭る神社であり、天皇の存在なしにはアイデンティティを維持しえない。その神社に天皇裕仁はA級戦犯の合祀後1976年以降一度も参拝せず死去し、現在の天皇明仁も一度も参拝していない。昭和天皇のスタンスは極東軍事裁判に「謝意」すら表明し、「すべての責任を東条にしょっかぶせるがよい」として、日米合作により東京裁判を切り抜けたのである。戦争責任を追及され天皇制廃止の可能性も否定できなかった当時、昭和天皇の側近として奔走したのが松平慶民であったが、その子松平永芳は「親の苦労も知らず」で、東京裁判史観を否定し、靖国神社宮司として東条らA級戦犯を合祀したのであるが、東京裁判の受諾と安保体制は不可分であり、合祀は天皇制の「国体」を根本から揺るがす行為であった。昭和天皇と松平永芳の東京裁判に対する見方は180度異なっていたのである。
7 保守派の論調と天皇制
保守派の論客関岡英之氏は「拒否できない日本」(文春新書)や「奪われる日本」(講談社現代新書)などで、米国の年次改革要望書や郵政民営化の狙いなどを積極的に暴き、アングロサクソン的価値観・グローバリズムを批判してきた。だが、一方では関岡氏は「安倍晋三氏は自民党の結党以来の悲願だった憲法改正のための国民投票法の制定、教育基本法の改正、防衛庁の省昇格という三つの偉業を成し遂げました」(日本会議「日本の息吹」:2009.5)と安倍内閣の憲法改正の一連の流れを積極的に評価するとともに、「奪われる日本」においても「皇室の伝統を守れ」という1章をわざわざ設け、米国の覇権が弱まる中で、「日本の伝統」「天皇制」に独自の国家戦略の根拠を求めようとしている。
しかし、昭和天皇の対米論は関岡氏の“期待”とは裏腹な無条件の服従であり、東京裁判の絶対承認の上に「天皇制」「国体」が守られたということであり、その結果、日本国土は60年以上にわたり米軍占領下にあり、「沖縄処分」がある。したがって、関岡氏を始めとする右派の論調とは「異様な“ねじれ”現象が生じている」(豊下)のである。小泉・竹中氏といった新自由主義者ばかりでなく、米中の狭間で揺れ動く関岡氏が依拠しようとした「天皇制」=昭和天皇その人こそ、1300年もの歴史を誇る「国体護持」のためにリアリスティックに日本を米国に売り渡した徹底した売国奴であったのである。天皇の外交について「政治的責任を負えないもの、公に説明責任を果たし得ないものが政治過程に介入し影響力を発揮するということは、日本の政治と民主主義の根幹を突き崩すことを意味している。仮に、この状況を評価せざるを得ないとすれば、日本の政治の持つ病根は限りなく深く、日本の民主主義は救いがたく未成熟である」(豊下)。60年後の今日も我々はまだこの現状を克服していない。中部大学の武田邦彦氏は「原爆報道は『凍り付いている』と思う。それは,『現状を報道できず,単に北朝鮮のことだけしか言えない』という報道だからだ。アナウンサーの口元は凍り付いていた。・・現在,アメリカとロシアが持っている核爆弾は2万5000発と言われている。さらにイギリス,フランス,中国など国連の安保理の中心国はすべて「核爆弾」を持っている。『自分たちは正しいから核爆弾を持っても良いが,北朝鮮は間違っているから核爆弾を持ってはいけない』という論理の正当性はいつまで続くのだろうか?」とブログで述べているが、昭和天皇から連綿と続く呪縛から抜け出さない限り、「口元は凍り付いた」ままであろう。
【出典】 アサート No.379 2009年6月21日