【投稿】道州制論議が加速する中での都道府県の漂流 -橋下大阪府政の例-
福井 杉本達也
1.道州制論議の中での都道府県の位置
今年に入り都道府県を廃止し、より広い行政単位に移行しようという議論が加速している。特に3月の政府の「道州制ビジョン懇談会」中間報告では2018年までに移行すると明記した。全国を10程度のブロックに分け、国・道州・市町村は相互に余り関与しない関係とし、市町村を基礎に「補完性の原理」であり方を考えるとしている。市町村は地域に密着した対人サービスなど(消防・福祉・小中高・住宅・下水など)を、道州は基礎自治体の範囲を越えた広域行政(広域公共事業・高等教育・雇用対策・警察など)を、国の役割については国家の存立および国境管理、国家戦略の策定、国家的基盤の維持・整備、全国的に統一すべき基準の制定とし、外交、安全保障、金融、通商などを限定列挙した。
これを受け、自民党の「道州制推進本部」でも6月12日までに全都道府県知事・議長のヒアリングを行っている。ヒアリング結果では、大阪を除く近畿5府県知事、東京都、富山・石川・福井の北陸3県知事など14都府県が道州制に慎重な意見を表明している(福井:2008.6.13)。特に大きな問題点は「補完性の原理」といいつつ、国と道州と市町村の役割が明確でないところにある。辻山幸宣氏は『月刊自治研』(2008.6)において、都道府県の役割について「都道府県政府はいったい何を使命として、誰によって設立された政府なのだろうか。何のためにこの世に生み出されたのか」(「都道府県改革の視点」)と書いている。
元々、都道府県は国の統治機構の一部として発足し、戦後もGHQに解体されることなく「機関委任事務」という形で統治機構の実態が残されてきた。都道府県の事務の8割は機関委任事務といわれた。2000年の地方分権改革で機関委任事務制度は廃止されたが、意識としては国の「指示を受け」、市町村長に「指揮監督する」立場から抜け切れず、基礎自治体の「補完」?という『定位置を求めて』(辻山氏)漂流しているのである。
2.橋下知事は「小さな政府」志向の『貧乏神』か?
大阪府の橋下知事は6月5日に、事務費・人件費の665億円削減などを柱とした「大阪維新プログラム案」を発表した。中身は、私学助成金の削減、国際児童文学館の廃止・ワッハ上方の廃止、ドーンセンター(女性総合センター)の補助金廃止、職員給与の削減・退職金の削減など、財政再建団体への転落回避を最優先するものである。
プログラム案の「改革の基本姿勢」では、「将来世代に負担を先送りしません。大阪の未来のための布石を打ちます。」「府がこれまで実施してきた様々なサービスの水準や内容について、優先順位付けや、一定の見直しを行わざるを得なくなり…”少しずつのがまん”をお願いすることになります。」とし、「財政再建の考え方」では「平成20年度から、(1)減債基金からの借入れをしない、(2)借換債の増発をしない、ことを前提に「収入の範囲内で予算を組む」ことを徹底します。すべての事務事業、出資法人、公の施設についてゼロベースでの見直しを行うことにより…財政健全化団体にならないよう、財政構造改革に着手します。」と述べている。
しかし、これだけでは「小さな政府」を志向する財政均衡論のドグマに犯された、単なる質の悪い『破産管財人』である。市町村ならば、サービスの質の高低差は別として、消防、福祉、学校、ごみ、水道、下水道など基礎自治体としてどうしてもやらなければならない、一律に削減することができない事業が必ず列挙される。「府」の立場でも、市町村が処理するには無理がある削減できない事務があるはずである。例えば、救急医療とか、雇用とか、治水に重点を置くとか。すべての事業を見直すというだけでは「府」としての存在意義は見えてこない。元鳥取県知事の片山善博氏も「この案から漏れ落ちている要素の一つは国だ。国の直轄事業負担金は手付かずで聖域化している。…国にしても議会にしてもうるさいところは素通りして、ものを言いやすいところに負担増を求めている」(朝日:2008.6.9)と批判的コメントをしている。
3.淀川水系などの国直轄事業に切り込めるか?
6月15日付けの朝日新聞によると、国直轄事業負担金は国の道路や河川の整備費用の一部を地方自治体に負担させる仕組みで、今年度の大阪府の負担額は410億円を超える。負担金は法律で決められが、河川整備計画については、1997年の河川法の改正で「住民意見の反映」することとさている。大戸川ダム(大津市)など淀川水系4ダムの整備について「淀川水系流域委員会」(宮本博司委員長)はダムの治水効果に疑問を呈し、見直しを求める意見書を出している(日経:5.12)。橋下知事は4月・6月に流域委員会の意見を聞いているが、「大阪だけのことだけを考えたら『ダムは要らない』と言えるが、京都や滋賀があふれるならば被害を防ぐためにダムは必要なのか」(毎日:6.7)と微妙に揺れる発言をしている。委員会の意見を尊重して、国の聖域に切り込むことができるかどうかで、橋下知事の顔がどちらを向いているかが判断されよう。
4.都道府県は河川管理を担えるか?
5月28日、「地方分権改革推進委員会」は国の管理する道路や一級河川の一部の整備・管理移譲などを明記した第一次勧告を行った。例えば北陸では富山県の黒部川・常願寺川、石川県の手取川などの名前が上がっている。このうち、常願寺川は標高差2661mに対し、川の延長は僅か56kmという、わが国屈指の急流荒廃河川であり、明治時代のお雇い技師のデ・レーケは、「これは川ではない。滝である。」と言ったと伝えられている。1852年に起こった飛越地震で立山カルデラの火口壁が崩れ落ち、常願寺川上流部の真川、湯川をせき止め、大小の湖を作った(今回の岩手・宮城内陸地震の斜面崩壊のように)。その後、立山カルデラから大量の土石流が発生し、富山平野に押し寄せ、死者は140人、負傷者が8,945人という大被害をもたらしている。元々加賀藩であった流域の富山県西部はこのように昔から水害に悩まされ、明治時代に一時期石川県に編入された際に水害対策への不満から旧越中国の住民から分県運動が起こり、再び富山県に編入された歴史を持つ。
河川は洪水時と通常時では全く様相を異にする。3・4年の期間で異動を繰り返す技術者では手に負えない。少なくとも10年・20年と同一河川を見続け、河川の性質を知り尽くした技術者を養成しなければならない。「自民党地方分権改革推進特命委員会」では「河川管理を(都道府県)に移したら、災害の時に心配だ」という異論が噴出した(朝日:6.19)。しかし、武田信玄の釜無川(山梨県)の例や、加賀藩の手取川・常願寺川の治水の例を挙げるまでもなく、江戸期以前においては、現在の県単位程度の『藩』が治水の責任を負っていたわけであり、本気で地方分権を進めるのであれば、都道府県は河川管理の一部を担う「気力」が必要であろう。
5.道路特定財源をめぐる都道府県のドタバタ劇
2~5月にかけ道路特定財源をめぐって国でも地方でもドタバタ劇が繰り広げられた。全国の自治体の首長で、暫定税率の廃止及び一般財源化に反対しなかったのは広島市長など6自治体しかなかった。知事は全てが廃止・一般財源化反対であった。地方分権とは名ばかりで、あまりにも中央集権的な実態をこれほど明確にしたものはない。もちろん、今年度の予算は組んだものの、暫定税率分の税収が入らない・交付金がこないので道路工事が始められないという当座の考えは分からないこともない。しかし、全くの「無思想」ではどうしようもない。
2006年度の道路予算では軽油引取税など道路特定財源の歳入が2.2兆円、これに一般財源1.8兆円を継ぎ足して、総額4兆円の地方道路予算である。このうち国直轄事業負担金が1.7兆円、地方単独道路予算は2.3兆円である(週間ダイヤモンド:2008.3.22)。既に、特定財源と同規模の一般財源を継ぎ足しているのである。どうして一般財源化に反対するのか、首長からは結局明確な答えを聞くことはなかった。暫定税率の維持ではさらに「思考停止状態」である。なぜ、一般財源化して暫定税率の維持なのか。道路建設を促進するための暫定税率を上乗せしたのである。一般財源化すれば道路だけに使うのではないから上乗せの根拠はない。そのような子供にでも分かる理屈をどの首長も一言も触れず、ただひたすら霞ヶ関に陳情を繰り返すだけであった。本当に財源が足りないのであれば、首長は住民に財源が足りないと説得すべきである。
自ら財源の手当ての努力もせず、自らの本来的な役割も定められない自治体は廃止されるしかない。しかし、その延長線上での道州制は戦前の内務省体制の復活である。橋下知事は「均衡財政」を振りかざし「府」の地方自治体としての内実を完全に掘り崩すことによって国交省地方整備局などの国の出先機関に権限を集中し、内務省型道州制への道を開こうとしているようも見えるが、うがった見方であろうか。
【出典】 アサート No.367 2008年6月28日