【本の紹介】「素描・1960年代」(川上徹・大窪一志 同時代社 2007-03)

【本の紹介】「素描・1960年代」(川上徹・大窪一志 同時代社 2007-03)

 9年前、本紙上で書籍『査問』を紹介した。1972年日本共産党が民青同盟本部役員・県委員長などを「新日和見主義」として断罪し、数百人を処分した事件の当事者川上徹さんの著書であった。川上さんは、1991年に離党して、査問以後の経過を書かれたのである。 今年の7月、川上さんは『査問』が後編とすれば、前編にあたる「事件」に至る経過を中心に振り返る内容の著書を大窪一志氏と共著で出版された。それが『素描・1960年代』である。
 一読して、本書は60年代から70年代の青年学生運動の担い手になる「時代記」として、また、それを通じての運動総括への問題提起の書として、私は特別の書ではないかと感じた。一つには、立場は共産党・民青系であっても、60年代の時代精神である「革命への確信」を持つ世代が、60年代後半の「学園紛争期」を経て、その「自由の精神」故に弾圧されていく経過が綴られていることである。
 1964年の「民青全学連」再建後、新左翼、構革派などとの「競争」時代に入り、川上さんによれば、学生運動分野は、党勢拡大運動を除けば、学生対策部を中心に、党中央からの介入は少なかった。学生部分と民青の中では、自由な空気があったと言う。しかし、東大闘争の突然の党中央主導の方針変更に続いて、共産党の議席増など躍進が進む中、70年を前後して党中央は議会至上主義にのめり込み、党員に対して「教養を身に付けろ」、「服装は清潔に」など、選挙の票を減らさないために腐心し、「革命代行主義」を強めた。民青運動にも党に従属させるよう介入を行う。民主連合政府路線などの「議会主義」の跋扈に、川上氏らは違和感を感じていく。そしてこれに抗して、民青本部、県委員長を中心に大衆運動に軸足を置いた反論が組織されていくことになる。この動きを弾圧したものが「新日和見主義事件」であった。本書の中で川上氏は前回の『査問』では語られなかった「分派活動」の詳細についても触れておられる。
 二つには、60年代後半からの学生運動の「急進化」について、否定的・敵対的な対応ではなく、「ノンセクト・ラジカル」的な多数の学生をどう理解し、獲得しようとしたのか、という問題意識について語られて、60年代後半の青年学生運動全般の総括について貴重な問題提起が行われている事である。
 全共闘VS民青という構図が一般的には理解されている。バリケード派と反バリケード派とでも言おうか。大窪氏が関わった、1968年の医学部と文学部で学生処分に端を発した東大闘争では、すべての党派を巻き込んで「全学行動委員会」が結成され、機動隊の導入に対しても全学ストが闘われた。東大民青の左バネが自由に放たれたという。少なくとも、1968年11月の文学部長カンヅメ団交と党中央による介入までは。
 川上さんは述べている。「だが、運動は動いている。<敵>とわれわれだけが広い野原で対決しているのではない。そこには大衆が存在しているのであり、対決の帰趨を決定するのはその大衆をどちらが獲得するかなのだ。そこに大衆がいる限り、僕らは出かけていかなければならない。ましてや自主的で大衆的な<かたまり>が現にそこにあるとき、その中にひとりやふたりの(敵)が紛れ込んでいたところで、どうしてその<かたまり>全体を(敵)扱いできよう。そこから逃亡することなどもってのほかではないか。
 「トロ」とその影響下の学生(ノンセクトラジカル〉を区別せよ。後者をわれわれの陣営に引きつけよ。そのためには彼らの声を開け。よーく聞いて彼らと行動方針を一緒に決めよう!。こうした考え方に、一部からは「それは危険な考えだ」という声もあった。急進化した学生たちの声を聞いているうちにそっちに引きずられるから、というのがその理由だった。実際、新日和見主義事件のあと、共産党は一連のキャンペーンの中で、「この人たち」(僕らのことを指して)は、結局のところ「トロツキストたちの思想的影響」を深く受けることになったのだ、と。」
 大窪氏は1966年に東大入学。川上さんとは6つ年下だ。彼によると、1967年入学の学生の雰囲気は明らかに変化していたという。それまでの学生運動参加者の特質でもある「倫理意識」は薄らぎ、ベトナム戦争に加担する日本に不満を感じ、贖罪意識と行き場のない不満を根底にもつ世代。彼らは、戦後生まれであり、高度成長期に少年少女時代を過ごした、後付すれば「団塊の世代」であった。
 「そして、ヴェトナム戦争を考えることを契機にしてかきたてられた世界に対する罪責意識が、ヴェトナム戦争に実質的に荷担しながら、それに頬かぶりして平和を唱え経済成長を追い求める日本社会の集団エゴイズムに対する反撥を呼び起こしたのだ。僕は、この点こそが六〇年代後半の学生運動のエートスの原点だったと思う。「ヴェトナム」こそが僕らをそうした原点に立たせたのだ。」
 さらに、自己否定にまで行き着いた全共闘は「安田講堂決戦」のように、行動それ自体が目的となり、一方に武装路線の赤軍派の自己破産、一方に「企業戦士」として、運動それ自体から「身を引く」一般学生という2極を生み出していった。
 三つには、「新日和見主義」で処分された部分は、実は立場は違え、大衆運動の先頭に立ち、現場から運動を創ってきた部分であり、これらを切り捨てた共産党に残ったのは、議席増のための赤旗拡大、中央に従うだけの「優良党員」だけとなった。民青も67年には、20万人を組織したというが、「新日和見主義事件」の後は、停滞の坂を下ることになった。
 東大闘争の方針転換を、党中央直轄の部隊を投入して乗り切った宮本共産党だったが、それは組織内で「党不信」の種を蒔く事になった。72年の「弾圧」まで、彼らがどのように考え、行動したのか、『査問』の前史が語られているのである。
 「ところが、これからいよいよ正念場という11月に大転換がやってきた。まさに『やってきた』のである。
 11月初め、文学部秘密教授会を察知した文学部の日共=民青系学生が会場に乱入、教授会に対して追及を始めた。これに革マル系学生が便乗、「無期限カンヅメ団交」が始まった。マスコミはこれを非人道的なつるしあげあるいは「人質」作戦であるかのように書き立てたが、実態はそんなものではなかった。・・・・
 そんな団交が数日つづく中、突然、文学部の共産党員に、有無をいわせぬ「撤退命令」が伝えられ、翌朝の『赤旗』に党中央青年学生対策部副部長・土屋善夫名の「声明」が出て、僕らにはなんの事前連絡もなしに、東大闘争のありかたを非難し、方針転換を示唆した。
 なんなんだ、これは!?といっているうちに、11月16日、いきなり、「東大民主化行動委員会」なる聞いたこともない団体から活版刷りのビラが出た。・・・・いったい、いつ、どこで、こんな政策と組織が論議され、決定されたんだ!?東大闘争勝利行動委員会は、解散させられた。東大闘争の初期から東大に常駐して指導をしてきた共産党都委員会青学対部Kさんが解任された。」
 一方、民青本部にいた川上さんは、宮本指導による方針転換を学生にオルグする立場で動くことになる。本書では、党本部において宮本が主導する方針転換を党ぐるみで強要する過程が詳細に記されている。
 69年から70年にかけて、全学連再建当時の三役全員など10名程の研究グループが秘密裡に動き出した。そして、71年12月共産党は六中総を開催し「民青同盟に対する指導と援助について」という決議を採択する。共産党に従属する民青となるよう指導を強化する内容だった。しかし、川上さんらには「・・・六〇年代末から七〇年代初頭に至る青年学生連動の経験総括は、ここにはまるで反映されてはいなかった。代わりに「学習」「教養」「文化・スポーツ」が青年同盟に相応しい活動として奨励されていた。共産党版の「期待される民青像」がここに凝縮されていた。」と感じたという。
 さらに、民青の年齢資格を25歳とし、幹部も30歳以下とするという「年齢条項」は、内部提案として含まれていた、「『六中総決議』は民青活動家とくに都道府県委員長をはじめとする機関幹部には衝撃をもって受けとめられた。その多くが三〇歳以上だったからだ。」
 延期された民青大会での「六中総決議」の方針化の過程で、先の研究グループの輪は極秘の内に民青会館常駐者、県委員長などに広げられる。
 そして、72年5月、民青大会を前にした、運動方針と年齢条項論議において、川上さんらは党中央の方針に反対を組織し、決定すらできない情況を生みだすことになる。この直後、『査問』の網が打たれることになった。
 川上さんによれば、「シンヒヨ」は、秘密グループである必要はなかった。民青三役を除いた中央常駐者、各県委員長など総体が、党方針に反対で結集したのだという。それにより、幹部としての立場を失う確実な予感はあったが、党革新のためならば、「捨石」となる覚悟があったようだ。四半世紀におよぶ沈黙も頷けるのである。

 読み終えて見て共感を覚える記述が多い。60年代民青と新左翼・構革派との分岐が鮮明になって以降、党の直接指導は低下し、運動指導では、大衆的青年同盟としての「一定の独自性」が保たれ、運動は飛躍的に伸びた。しかし、それが党の許容を超えた時、弾圧が開始された。それが「新日和見主義事件」の本質だった。60年代の青年学生運動を語るに際して、貴重な書と言えるだろう。(佐野秀夫)

追記:本書の訳注には、民学同40年を考えるHPの中で紹介している「青年学生運動革新会議」の文書も、URL(P408)で紹介されている。

 【出典】 アサート No.360 2007年11月17日

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