【コラム】ひとりごと–『新平等社会」への疑問』–
○私は、アサート327号に山田昌弘氏の「希望格差社会」の書評を書いている。本書は、ニートやフリーターと呼ばれる若年で非正規・不安定労働者層の増大する現実を解き明かし、「希望格差」が拡大することが社会的不安定を増大させることを指摘していた。○さらに、高度成長時代を通じて比較的安定的に推移してきた家族・教育・労働などの社会システムが崩れていく中で、こうした層が形成されたことを解明したことなど、問題提起の書としては、一読に値すると紹介した。○しかし、今回、同氏が出版された「新平等社会–希望格差を超えて」(文藝春秋 2006年9月)を読んでみて、前著とはまったく違う印象を受けた。○「経済改革には賛成(限定付きだが)、その結果生じた格差拡大への対処のため、生活の構造改革を進めるべしという立場である」(本書15P)と。全体を通じて、これが本書の結論である。構造改革の結果として格差拡大は止むを得ない。しかし、行き過ぎると社会に悪影響が出る。生活にも構造改革が必要だ、という事のようだ。○本書の随所に「小泉改革が格差拡大を進めたのではない」「格差拡大は不等ではない」との表現が多数ある。本当にそうだろうか。○今回の本に決定的に欠落しているのは、非正規労働・不安定労働を拡大し、成果主義賃金で総賃金を抑制してきた資本への批判であろう。高度成長期でさえ、日本の経営者達は、労働側への分配を渋ってきた。中小企業などでは、社会保険の負担コストさえ渋ってきた。○バブル崩壊後、中高年のリストラを強行し、派遣やパートなど非正規・不安定労働を拡大してきた資本は、労働者福祉からの一層逃亡を決め込んでいる。雇用保険や厚生年金加入を強める制度改正を一貫してサボタージュしている者への批判は微塵もない。まさに小泉の構造改革そのものである。○前書の書評においても、こうした資本への批判が欠落している点について、私は指摘している。今回の書では、それが一層あからさまになっている。ニューエコノミーになって、専門的知的労働と単純労働に労働は二極化することは、避けられない所与のものとして著者は受け止めているらしい。○その純化のヒントは、本書の中にあった。著者は、竹中平蔵経済担当大臣が報告書「日本21世紀ビジョン」の作成にあたって、生活・地域グループの一員として参加したらしい。残念ながら、こうした政府系の審議会に参加した人は、二つのタイプに別れる。知らぬまに、政府系の御用学者になるか、革新と思われる人の場合は、現場と政府との間に立たされて、悩んでしまうか、である。私は後者の例を知っている。山田氏の場合は、前者のようである。○安倍新政権は、「格差拡大の何が悪い」と居直った小泉と違い、「再チャレンジ政策」を抽象的に掲げている。新自由主義的立場をちょっと薄めようと言うわけだ。この線に乗るには、本書はピッタリである。○ちなみに、彼が参加した「日本21世紀ビジョン」の生活・地域グループの座長は、八代尚弘氏だが、彼は今回新たに経済財政諮問会議メンバーになった人物である。最近のテレビ番組で、八代氏は、「年功制があるから若者の雇用拡大が進まない。長期雇用は全廃しないと雇用の流動化は進まない」と発言していた。新自由主義の御用学者そのものである。○社会的不安定を生み出す格差拡大には対処が必要だ。保守でも、公明でも言うセリフである。本書は、その程度の本であることを紹介し、間違っても買わないようにお勧めする。私は買ってしまったが。(佐野秀夫)
【出典】 アサート No.347 2006年10月21日